<73カ国目・メキシコ>フリーダと私の共通点
- 2017/09/18
- 07:45
こんにちは。
現在まだまだメキシコシティ。
見どころがありすぎるんです、この街。
なるべく飛ばしたいところですが、これ本当にメキシコだけで1ヶ月以上掛かるんじゃないかな?

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世界一周ブログランキングに参加中。
1日1クリックで応援宜しくお願いします。
とにかく行きたいところがたくさんあるので、到着翌日から積極的に行動開始。
まずは、フリーダ・カーロ美術館へ。
宿で一緒に朝ごはんを食べてイギリス人のおじさんに、地下鉄に乗って行くって言ったら、
自分たちは2日後にタクシーで行くから一緒に行こうって誘われた。
うーむ。2日後には予定があるし、前日地下鉄に乗った感じではそんなに危なくなさそう。
自力で行って来ます。ありがとう。

めっちゃ混んでた。
ここは、フリーダ・カーロが実際に住んでいたお家。

ところで、皆さん、フリーダ・カーロってご存知です?

眉毛がつながったおばさんです。
去年のハロウィン、オーストラリア・シドニーにいたんだけど、眉毛つなげてカラフルな衣装を着たフリーダ・カーロがたくさん街中を歩いていた。
フリーダ・カーロ。
1907年生まれのメキシコを代表する画家。
6歳でポリオにかかり、右足の成長が止まってしまい、歩行に困難が伴うようになる。
そんな彼女にさらなる不遇が。18歳で交通事故に遭い瀕死の重傷を負う。
数ヶ月間の寝たきり生活を強いられたのちも、後遺症の背中の痛みに悩まされるようになる。
その頃から絵を描くことに没頭するようになる。

彼女が日中横になっていたベッド。
天井に鏡が貼られている。
1928年、体調が回復してきたフリーダが参加したサークルで当時の売れっ子画家、ディエゴ・リベラと出会い、22歳の年齢差を超えて結婚。
2人の並んだ姿は当時、”美女と野獣”と言われた。
浮気性で、自身の妹にも手を出すダメンズ・ディエゴを、フリーダは生涯愛し続けた。
とか言いながら彼女自身もイサム・ノグチや、ロシアから亡命してきていたトロツキーといい関係になっちゃう。
彼女の夜用のベッドの天蓋には、彼女の宝物、イサム・ノグチからのプレゼントの蝶の標本。

サルマ・ハーエックがフリーダ・カーロを演じた2002年の映画『フリーダ』を見て、
とても鮮やかでカラフルな絵なのにちっとも幸せそうじゃないあの自画像たちに何故が共感した。
その理由の1つが、たぶんコルセット。


バスの後遺症から、彼女はコルセットを常用していた。
実は私も側湾症があって、小中学生時代にコルセットをつけていた。
2002年は私が手術をした年だ。
映画館に見に行ったことは覚えているけど、それが手術の前だったのか、後だったのか思い出せない。
周りに自分以外にコルセットなんかしてる子いないもんね。
誰も私の気持ちなんかわからんと思うけど、同じようにコルセットしていたフリーダの憂いがある顔つきに当時の私は、
自分を重ねていたのかな?
そして、彼女、当初は医師を志していた。
フリーダは、当時のメキシコ最高教育機関であった、国立予科高等学校に入った最初の女性35人のうちの1人。
彼女の体の障害が医学部に進むことを許さなかった。

ディエゴとの子供を流産したことは、彼女の作品に多くの影響を与えた。
絵の中にはしばしば生まれてこなかった胎児が登場する。
この美術館には、フリーダの自画像はほどんどない。
ほとんどが、海外の美術館などに所蔵されている。
ここに残されているのは、彼女の初期の作品や、愛蔵品など。

自画像はこの2つくらい。


スターリンさん!!
彼女は社会主義的思想に傾倒していた。メキシコ共産党の熱心な党員。
足を壊疽で切断しても、医師の反対を押し切って隣国グアテマラのデモに参加してしまうくらい!

寝室の壁にある、謎の壁掛け人形。こちらもフリーダが作ったもの。
足の長さが違うのは自分自身を模したから。
眉毛がつなっがったたくさんの自画像とともに、最も有名な作品の1つ。
『viva la vida』

彼女の最後の作品となった。

彼女の絵にはしばしばスイカが登場する。
スイカは彼女が好きな果物だったから。
なんでスイカ???
メキシコの国旗の色だから。
最後の最後まで国と夫を愛しすぎるくらい愛していたフリーダ。
映画では、彼女自身が過剰に手術をしたがる様子も描かれていたけど、30回にも及ぶ手術。
そして、夫ディエゴも、(お外では女遊びをしながらも)フリーダの高額な医療費を稼ぐために一生懸命に絵を描いた。
そんな彼女の最後の作品が、スイカ。。。
『Viva la vida』
人生万歳。
最後の作品の名前が、人生万歳。
彼女は満たされた人生を全うしたのか?
英語のオーディオガイドでの翻訳は、 ” I want to live " だった。
彼女のバックグラウンドを知ってから見ると、この絵に込められている、真の意味がわかる気がする。
他の絵と違ってこの絵はぱっと見、彼女特有の悲壮感が出ていないけど、
1番悲しい絵なのかもしれないね。

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もう1つ共通点。
ダメ男好き!!笑
現在まだまだメキシコシティ。
見どころがありすぎるんです、この街。
なるべく飛ばしたいところですが、これ本当にメキシコだけで1ヶ月以上掛かるんじゃないかな?

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まずは、フリーダ・カーロ美術館へ。
宿で一緒に朝ごはんを食べてイギリス人のおじさんに、地下鉄に乗って行くって言ったら、
自分たちは2日後にタクシーで行くから一緒に行こうって誘われた。
うーむ。2日後には予定があるし、前日地下鉄に乗った感じではそんなに危なくなさそう。
自力で行って来ます。ありがとう。

めっちゃ混んでた。
ここは、フリーダ・カーロが実際に住んでいたお家。

ところで、皆さん、フリーダ・カーロってご存知です?

眉毛がつながったおばさんです。
去年のハロウィン、オーストラリア・シドニーにいたんだけど、眉毛つなげてカラフルな衣装を着たフリーダ・カーロがたくさん街中を歩いていた。
フリーダ・カーロ。
1907年生まれのメキシコを代表する画家。
6歳でポリオにかかり、右足の成長が止まってしまい、歩行に困難が伴うようになる。
そんな彼女にさらなる不遇が。18歳で交通事故に遭い瀕死の重傷を負う。
数ヶ月間の寝たきり生活を強いられたのちも、後遺症の背中の痛みに悩まされるようになる。
その頃から絵を描くことに没頭するようになる。

彼女が日中横になっていたベッド。
天井に鏡が貼られている。
1928年、体調が回復してきたフリーダが参加したサークルで当時の売れっ子画家、ディエゴ・リベラと出会い、22歳の年齢差を超えて結婚。
2人の並んだ姿は当時、”美女と野獣”と言われた。
浮気性で、自身の妹にも手を出すダメンズ・ディエゴを、フリーダは生涯愛し続けた。
とか言いながら彼女自身もイサム・ノグチや、ロシアから亡命してきていたトロツキーといい関係になっちゃう。
彼女の夜用のベッドの天蓋には、彼女の宝物、イサム・ノグチからのプレゼントの蝶の標本。

サルマ・ハーエックがフリーダ・カーロを演じた2002年の映画『フリーダ』を見て、
とても鮮やかでカラフルな絵なのにちっとも幸せそうじゃないあの自画像たちに何故が共感した。
その理由の1つが、たぶんコルセット。


バスの後遺症から、彼女はコルセットを常用していた。
実は私も側湾症があって、小中学生時代にコルセットをつけていた。
2002年は私が手術をした年だ。
映画館に見に行ったことは覚えているけど、それが手術の前だったのか、後だったのか思い出せない。
周りに自分以外にコルセットなんかしてる子いないもんね。
誰も私の気持ちなんかわからんと思うけど、同じようにコルセットしていたフリーダの憂いがある顔つきに当時の私は、
自分を重ねていたのかな?
そして、彼女、当初は医師を志していた。
フリーダは、当時のメキシコ最高教育機関であった、国立予科高等学校に入った最初の女性35人のうちの1人。
彼女の体の障害が医学部に進むことを許さなかった。

ディエゴとの子供を流産したことは、彼女の作品に多くの影響を与えた。
絵の中にはしばしば生まれてこなかった胎児が登場する。
この美術館には、フリーダの自画像はほどんどない。
ほとんどが、海外の美術館などに所蔵されている。
ここに残されているのは、彼女の初期の作品や、愛蔵品など。

自画像はこの2つくらい。


スターリンさん!!
彼女は社会主義的思想に傾倒していた。メキシコ共産党の熱心な党員。
足を壊疽で切断しても、医師の反対を押し切って隣国グアテマラのデモに参加してしまうくらい!

寝室の壁にある、謎の壁掛け人形。こちらもフリーダが作ったもの。
足の長さが違うのは自分自身を模したから。
眉毛がつなっがったたくさんの自画像とともに、最も有名な作品の1つ。
『viva la vida』

彼女の最後の作品となった。

彼女の絵にはしばしばスイカが登場する。
スイカは彼女が好きな果物だったから。
なんでスイカ???
メキシコの国旗の色だから。
最後の最後まで国と夫を愛しすぎるくらい愛していたフリーダ。
映画では、彼女自身が過剰に手術をしたがる様子も描かれていたけど、30回にも及ぶ手術。
そして、夫ディエゴも、(お外では女遊びをしながらも)フリーダの高額な医療費を稼ぐために一生懸命に絵を描いた。
そんな彼女の最後の作品が、スイカ。。。
『Viva la vida』
人生万歳。
最後の作品の名前が、人生万歳。
彼女は満たされた人生を全うしたのか?
英語のオーディオガイドでの翻訳は、 ” I want to live " だった。
彼女のバックグラウンドを知ってから見ると、この絵に込められている、真の意味がわかる気がする。
他の絵と違ってこの絵はぱっと見、彼女特有の悲壮感が出ていないけど、
1番悲しい絵なのかもしれないね。

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もう1つ共通点。
ダメ男好き!!笑