<21カ国目:ボスニア・ヘルツェゴビナ>何がどうなってるの、バルカン諸国??
- 2015/12/05
- 06:54
現在、クロアチア・ザクレブ。
宿がハズレや、、。・°・(ノД`)・°・
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エジプトでダイビングを満喫した後、大嫌いな冬真っ只中のヨーロッパ、特に”東欧”と呼ばれる国々を回っています。
ハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、、。
ここら辺を旅していると、付いて回るのが、1990年台に起きた”紛争”という過去。
ちょっと読んでみてもたくさん民族が出てきてすぎてわからない(;´▽`A``
でもね、せっかく見て回るんだから、最低限の知識については自分なりに触れておこうと思います。
すべてネットからの情報ですが、、、全くないよりマシでしょ(^▽^;)
ハンガリーを除き、私がまわった、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアは旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属していた国々。
旧ユーゴスラビアは、『7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字、1つの国家、』と言われるほど多様性に富んだ国。日本ではあり得ないことだからどんな感じなのか想像もつかないね。
バルカン半島にはもちろん長い長い歴史があるけど、ここ最近を私なりにかいつまむと、
1914年のサラエボ事件を機に第1次世界大戦が勃発。
↓
イスラム圏やゲルマン圏に支配されていたスラブ系民族が独立、1818年ユーゴスラビア王国誕生
↓
大戦後の1919年、民族自決の原則がベルサイユ条約に盛り込まれる。
↓
同じスラブ系といえども、違う文化を営み生活してきた別々のコミュニティーの集合。
いろいろ窮屈になって、独立したくなってくる。
↓
第2次世界大戦で大ダメージを食らったユーゴスラビア国王は国外に逃避。そこに、チトー率いるゲリラ政権が樹立され、1943年、ユーゴスラビア連邦人民共和国となる。
↓
チトーさんは上手くこの多民族国家を統治していたが、死後に統制がとれなくなり再び独立運動が起こっていく。
1つ独立したらまた1つ。そのたびに連邦が侵攻。紛争。
特にボスニア紛争はPR会社が関与し、戦況はあえてセルビア人が悪者になるように報道され、結果ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を勝ち取った。
↓
2002年、ユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロの連邦国家になる。しかし、この2カ国も2006年に分裂。ユーゴスラビアは名実ともに姿を消した。
、、、うん、こんだけわかってたら、この先もきっと楽しくなるね。
(全然足りてないけどさ、、、もう勉強疲れたの。皆さんも字ばっかりで読むの飽きたでしょ?)
サラエボからはバスに乗り、モスタルという小さな町へ移動。
夜に到着したのでこの日は寝るだけ。宿、お客さん私一人だったよ。。。
翌日、チェックアウト11時っていうからさ、ゆっくり起きてぐだぐたして、11時ちょっきりに出発。
この日は1日モスタルを見て回ったら、クロアチアのドブロブニクに移動予定。
バスのチケットを買いに行くと、、、なななんと、本日の最終12時30分!!!
ええええっっっっっ!!!これだからオフシーズンはヽ(`Д´)ノ
とりあえずあと1時間15分で見れるだけ見るしかないね。
ウージくんから、モスタルの歴史は複雑で紛争の被害はかなりひどかったと聞いていた。
とりあえず、スタリ・モストというシンボルの橋を見なくちゃ!!
急ぎ足でバス停から旧市街へ向かう。

バス停付近からの景色。めっちゃ綺麗。

やはり町の至る所に銃弾のあと。
廃墟もたくさんある。


最上階の狙撃手を狙ったのかな?上に行くほと銃弾のあとが多い気がする。
そして見えてきた、スタリ・モスト。

16世紀のオスマン帝国時代に作られた。アーチ橋の中では、世界最古の部類に入るらしい。
1993年にクロアチア人によって破壊された。そして再建されたのは2005年。ウージくんがいうにはわざと再建しなかったのだとか。
確かに橋の一方はモスクがあり、ムスリムな雰囲気。かたや反対側には大きな塔を持つ教会があった。

モスク。モスクの中も開放されているらしいけど、私が行った時はお祈り中だから30分後にまた来てと言われた。残念なから30分後はバスの中です(>_<)。

教会。
橋の周りは旧市街。おみやげ屋さんやカフェがいっぱいあって観光客で賑わっている。



もともとクロアチアの自治州であったが今はボスニア・ヘルツェゴビナ領。これはもう複雑すぎてわからんかった。内戦勃発時はセルビア人vsボスニア人+クロアチア人。セルビア人が撤退すると、今度はボスニア人vsクロアチア人。
私、オランダに留学してた時、ユーゴスラビア出身の双子ちゃんと同じクラスだったけど、彼ら冗談交じりに言ってた。
俺らの民族、すごく勝ち負けにこだわるって。決着つかないとすぐ手が出ちゃうって。
そんな感じでなんとか1時間ちょいで見て回れた。もっとゆっくりカフェしながら橋を見つめていたかったけど、、、。
あーよかったよかった( ̄▽ ̄)=3

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ハンガリー、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、、。
ここら辺を旅していると、付いて回るのが、1990年台に起きた”紛争”という過去。
ちょっと読んでみてもたくさん民族が出てきてすぎてわからない(;´▽`A``
でもね、せっかく見て回るんだから、最低限の知識については自分なりに触れておこうと思います。
すべてネットからの情報ですが、、、全くないよりマシでしょ(^▽^;)
ハンガリーを除き、私がまわった、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアは旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に属していた国々。
旧ユーゴスラビアは、『7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、2つの文字、1つの国家、』と言われるほど多様性に富んだ国。日本ではあり得ないことだからどんな感じなのか想像もつかないね。
バルカン半島にはもちろん長い長い歴史があるけど、ここ最近を私なりにかいつまむと、
1914年のサラエボ事件を機に第1次世界大戦が勃発。
↓
イスラム圏やゲルマン圏に支配されていたスラブ系民族が独立、1818年ユーゴスラビア王国誕生
↓
大戦後の1919年、民族自決の原則がベルサイユ条約に盛り込まれる。
↓
同じスラブ系といえども、違う文化を営み生活してきた別々のコミュニティーの集合。
いろいろ窮屈になって、独立したくなってくる。
↓
第2次世界大戦で大ダメージを食らったユーゴスラビア国王は国外に逃避。そこに、チトー率いるゲリラ政権が樹立され、1943年、ユーゴスラビア連邦人民共和国となる。
↓
チトーさんは上手くこの多民族国家を統治していたが、死後に統制がとれなくなり再び独立運動が起こっていく。
1つ独立したらまた1つ。そのたびに連邦が侵攻。紛争。
特にボスニア紛争はPR会社が関与し、戦況はあえてセルビア人が悪者になるように報道され、結果ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を勝ち取った。
↓
2002年、ユーゴスラビアはセルビア・モンテネグロの連邦国家になる。しかし、この2カ国も2006年に分裂。ユーゴスラビアは名実ともに姿を消した。
、、、うん、こんだけわかってたら、この先もきっと楽しくなるね。
(全然足りてないけどさ、、、もう勉強疲れたの。皆さんも字ばっかりで読むの飽きたでしょ?)
サラエボからはバスに乗り、モスタルという小さな町へ移動。
夜に到着したのでこの日は寝るだけ。宿、お客さん私一人だったよ。。。
翌日、チェックアウト11時っていうからさ、ゆっくり起きてぐだぐたして、11時ちょっきりに出発。
この日は1日モスタルを見て回ったら、クロアチアのドブロブニクに移動予定。
バスのチケットを買いに行くと、、、なななんと、本日の最終12時30分!!!
ええええっっっっっ!!!これだからオフシーズンはヽ(`Д´)ノ
とりあえずあと1時間15分で見れるだけ見るしかないね。
ウージくんから、モスタルの歴史は複雑で紛争の被害はかなりひどかったと聞いていた。
とりあえず、スタリ・モストというシンボルの橋を見なくちゃ!!
急ぎ足でバス停から旧市街へ向かう。

バス停付近からの景色。めっちゃ綺麗。

やはり町の至る所に銃弾のあと。
廃墟もたくさんある。


最上階の狙撃手を狙ったのかな?上に行くほと銃弾のあとが多い気がする。
そして見えてきた、スタリ・モスト。

16世紀のオスマン帝国時代に作られた。アーチ橋の中では、世界最古の部類に入るらしい。
1993年にクロアチア人によって破壊された。そして再建されたのは2005年。ウージくんがいうにはわざと再建しなかったのだとか。
確かに橋の一方はモスクがあり、ムスリムな雰囲気。かたや反対側には大きな塔を持つ教会があった。

モスク。モスクの中も開放されているらしいけど、私が行った時はお祈り中だから30分後にまた来てと言われた。残念なから30分後はバスの中です(>_<)。

教会。
橋の周りは旧市街。おみやげ屋さんやカフェがいっぱいあって観光客で賑わっている。



もともとクロアチアの自治州であったが今はボスニア・ヘルツェゴビナ領。これはもう複雑すぎてわからんかった。内戦勃発時はセルビア人vsボスニア人+クロアチア人。セルビア人が撤退すると、今度はボスニア人vsクロアチア人。
私、オランダに留学してた時、ユーゴスラビア出身の双子ちゃんと同じクラスだったけど、彼ら冗談交じりに言ってた。
俺らの民族、すごく勝ち負けにこだわるって。決着つかないとすぐ手が出ちゃうって。
そんな感じでなんとか1時間ちょいで見て回れた。もっとゆっくりカフェしながら橋を見つめていたかったけど、、、。
あーよかったよかった( ̄▽ ̄)=3

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