<82カ国目;コロンビア>ウシュアイアであった彼とカルタヘナで再会
- 2018/05/06
- 17:52
こんにちは。
現在、グアテマラ・アンティグアです。
コーヒーがめっちゃ美味しい!1日2回はカフェに出かけています。

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世界一周ブログランキングに参加中。
1日1クリックで応援よろしくおねがいします。
素敵な時間をすごしたメデジンを後にし、やってきたのはカリブ海のリゾートカルタヘナ。
要塞に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。


17世紀から18世紀にかけて、スペイン支配下のカルタヘナは、南米各地の農産物や先住民から強奪した金や銀と、アフリカからの奴隷などの交易の中心地となった。
そんなお宝の宝庫、カルタヘナはカリブの海賊に何度となく襲われることになる。
カリブの海賊の正体って誰だと思います?!?!
もともとこの地に住んでいてスペイン人によって侵略された原住民の人でしょうか?
違います。
なんと、スペインの富をよく思わない、フランス人やイギリス人です。
そんなカリブの海賊たちから街を守るために、スペイン王フェリペ2世の命で街を囲む城壁が築かれた。
城壁の中の旧市街には、例のごとくコロニアルでかわいい建物が並んでいます。


こちらカルタヘナは、完全なるカリブ海のリゾート。たくさんのおそらくアメリカ人の観光客がいらっしゃいます。
でも、旧市街を外れるとこちらも治安がぐっと悪いようで。旧市街にやってくるのにタクシーを使えとかいてある。
それともうひとつ、道中で会った先にカルタヘナに行った旅人から南京虫にやられた報告をたくさん受けた。
そんなわけで、かなりお高いけど旧市街の中のそこそこ良いホステルに泊まった。

中庭がとってもキュート。
コロンビアのボゴタ、メデジンからやってくると、カルタヘナの黒人の多さに驚く。
もちろん、奴隷貿易時代にアフリカから連れてこられた人々の子孫。

旧市街は完全に観光地化されているので、道路を観光客を乗せた馬車が走っている。
馬車が10台くらい続いて大渋滞していることも。
そしてその合間を縫うように、民族衣装を着て果物を売っている黒人の売り子さんたち。
写真撮ったらお金せびられるからこっそり撮影。

税関広場にある、税関の建物。
この広場で奴隷が売られていた。
16世紀初めにやって着たスペイン人はこの地に住んでいた先住民を酷使し、金山や銀山を掘られ、大規模プランテーションで農作物を収穫させた。
だが、スペイン人が持ち込んだ疫病で多くの先住民が命を落とすと、その人手不足を補うように黒人奴隷が次から次へとこの地に運び込まれた。
そんなカルタヘナを、大コロンビア帝国の一部としてスペイン人から解放したのも、南米の父、シモン・ボリバルです。
ここ、カルタヘナは私にとって、南米大陸最後の街。私が訪れた街の中では最も北に位置する。
そんなカルタヘナで、ちょっとした再会がありました。
南米最南端、アルゼンチン・ウシュアイアで一緒だった、イスラエル人・ゲンくん。
(参照記事)
<78カ国目;アルゼンチン>チカチカ〜〜〜!!!常に上からゲンくん
最南端で会った旅友と、最北端で再会するとか、なんかドラマチックじゃない?
兵役を終えて半年間の旅に出たゲンくんにとってウシュアイアは、旅のスタート地点。
彼の英語ひどかったんだけどね、、、3ヶ月ぶりに再会すると、、、英語上手くなっとるやん!!!
そして、スペイン語もちょろっと喋れるようになっとる!!なんと、3週間、山の中の先住民の家族と暮らしていたんだって。彼らは一切英語を話せなかったらしい。
その家族とテレビ電話してるところ見たけどね、お母さん、ゲンくんのこと、Hijo(息子)って呼んでたよ。
やっぱりね、語学を学ぶには現地に溶け込むのが一番なんだよね。語学学校なんかより。
相変わらずの、チカチカ〜!!
そして上から目線にはさらに磨きがかかっておる。
インスタグラムにカルタヘナに行くってあげてたからね、私も居るよーってメッセージ送ったら、自動的に一緒にご飯を食べることになった。
しかも、彼のホステスのキッチンで自炊することになった。
久しぶりの再会にしばらく話をしていたら、そろそろお腹空いたね、作ろうかってことになった。
”ここの宿のキッチン、8時までしか使えないんだ。”
この時点で、夜の9時。そこからお買い物に出かける。
彼、こういうところがある。ちょっと一般常識が通用しないというか、、、
スーパーにて、彼、品物を探さない。
すぐにそこら辺の人に、聞く。
”トマト?” 、”肉?” 、”パスタ?”
しかも文になってない。単語だけ。
スーパーの品物の並びって大体予想つくやん。そんな珍しいもの買うわけじゃないし、絶対自力で見つけられるやん。
ウシュアイアにいる時も、道を聞くのに走っている車を止めるレベル。しかも100メートルおきくらいに。
おいらと、違うんだな。私は、一度自分でやってみてどうしても無理だったら人に頼むのがやり方。
8時に閉まるキッチンで10時頃から調理開始。
ウシュアイアで一緒に自炊した時もね、色々こだわり強くて面倒臭いから、彼に作ってもらう。
私は野菜を切るんだけど、大きさも事前に確認する。
それでも言われた、”チカが切る野菜がデカすぎるから時間がかかる。”
相変わらずパスタも水から茹で始める。茹で時間40分。水かなかなか沸騰しないから鍋を2つのガスコンロにまたがるようにおいて2つのコンロに火をつけているんだけど、それ意味あるの?てか、危ないし。。。
出来上がったのは、おなじみのぬちょぬちょパスタ。
味は悪くないんだけど、、、
ワインを飲みながらおしゃべり。
”なんで半年以上中南米にるのに、スペイン語出来ないの??”
話せないわけじゃないし。まだ私の方があなたより喋れると思うよ。
”なんで、せっかく海外にいるのにアクティビティしないの??”
結構してると思うけど。トレッキング系はあんまり好きじゃないからあなたほどはしてないけど。
”なんでバスで移動するの?時間もったいないじゃん??”
バスの方が、楽しいじゃん。お金も節約できるし。
なんかね、話してると疲れてきた。_(:□ 」∠)_
私と彼、年齢も旅のスタンスも違いすぎるのね。
尋常じゃない上から目線にもちょっとうんざり。
過度なスキンシップもおいらは苦手。
ゲンくんはもう少し飲もうって感じだったけど、ワインが空いたところで私は宿に帰った。
だけどこうして、旅の一部分を共有した人と再会できるのはやっぱり嬉しいことなのでした。
ましてや、旅の終わりに、南米の南で会った人と北で再会できたんだから。

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素敵な時間をすごしたメデジンを後にし、やってきたのはカリブ海のリゾートカルタヘナ。
要塞に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。


17世紀から18世紀にかけて、スペイン支配下のカルタヘナは、南米各地の農産物や先住民から強奪した金や銀と、アフリカからの奴隷などの交易の中心地となった。
そんなお宝の宝庫、カルタヘナはカリブの海賊に何度となく襲われることになる。
カリブの海賊の正体って誰だと思います?!?!
もともとこの地に住んでいてスペイン人によって侵略された原住民の人でしょうか?
違います。
なんと、スペインの富をよく思わない、フランス人やイギリス人です。
そんなカリブの海賊たちから街を守るために、スペイン王フェリペ2世の命で街を囲む城壁が築かれた。
城壁の中の旧市街には、例のごとくコロニアルでかわいい建物が並んでいます。


こちらカルタヘナは、完全なるカリブ海のリゾート。たくさんのおそらくアメリカ人の観光客がいらっしゃいます。
でも、旧市街を外れるとこちらも治安がぐっと悪いようで。旧市街にやってくるのにタクシーを使えとかいてある。
それともうひとつ、道中で会った先にカルタヘナに行った旅人から南京虫にやられた報告をたくさん受けた。
そんなわけで、かなりお高いけど旧市街の中のそこそこ良いホステルに泊まった。

中庭がとってもキュート。
コロンビアのボゴタ、メデジンからやってくると、カルタヘナの黒人の多さに驚く。
もちろん、奴隷貿易時代にアフリカから連れてこられた人々の子孫。

旧市街は完全に観光地化されているので、道路を観光客を乗せた馬車が走っている。
馬車が10台くらい続いて大渋滞していることも。
そしてその合間を縫うように、民族衣装を着て果物を売っている黒人の売り子さんたち。
写真撮ったらお金せびられるからこっそり撮影。

税関広場にある、税関の建物。
この広場で奴隷が売られていた。
16世紀初めにやって着たスペイン人はこの地に住んでいた先住民を酷使し、金山や銀山を掘られ、大規模プランテーションで農作物を収穫させた。
だが、スペイン人が持ち込んだ疫病で多くの先住民が命を落とすと、その人手不足を補うように黒人奴隷が次から次へとこの地に運び込まれた。
そんなカルタヘナを、大コロンビア帝国の一部としてスペイン人から解放したのも、南米の父、シモン・ボリバルです。
ここ、カルタヘナは私にとって、南米大陸最後の街。私が訪れた街の中では最も北に位置する。
そんなカルタヘナで、ちょっとした再会がありました。
南米最南端、アルゼンチン・ウシュアイアで一緒だった、イスラエル人・ゲンくん。
(参照記事)
<78カ国目;アルゼンチン>チカチカ〜〜〜!!!常に上からゲンくん
最南端で会った旅友と、最北端で再会するとか、なんかドラマチックじゃない?
兵役を終えて半年間の旅に出たゲンくんにとってウシュアイアは、旅のスタート地点。
彼の英語ひどかったんだけどね、、、3ヶ月ぶりに再会すると、、、英語上手くなっとるやん!!!
そして、スペイン語もちょろっと喋れるようになっとる!!なんと、3週間、山の中の先住民の家族と暮らしていたんだって。彼らは一切英語を話せなかったらしい。
その家族とテレビ電話してるところ見たけどね、お母さん、ゲンくんのこと、Hijo(息子)って呼んでたよ。
やっぱりね、語学を学ぶには現地に溶け込むのが一番なんだよね。語学学校なんかより。
相変わらずの、チカチカ〜!!
そして上から目線にはさらに磨きがかかっておる。
インスタグラムにカルタヘナに行くってあげてたからね、私も居るよーってメッセージ送ったら、自動的に一緒にご飯を食べることになった。
しかも、彼のホステスのキッチンで自炊することになった。
久しぶりの再会にしばらく話をしていたら、そろそろお腹空いたね、作ろうかってことになった。
”ここの宿のキッチン、8時までしか使えないんだ。”
この時点で、夜の9時。そこからお買い物に出かける。
彼、こういうところがある。ちょっと一般常識が通用しないというか、、、
スーパーにて、彼、品物を探さない。
すぐにそこら辺の人に、聞く。
”トマト?” 、”肉?” 、”パスタ?”
しかも文になってない。単語だけ。
スーパーの品物の並びって大体予想つくやん。そんな珍しいもの買うわけじゃないし、絶対自力で見つけられるやん。
ウシュアイアにいる時も、道を聞くのに走っている車を止めるレベル。しかも100メートルおきくらいに。
おいらと、違うんだな。私は、一度自分でやってみてどうしても無理だったら人に頼むのがやり方。
8時に閉まるキッチンで10時頃から調理開始。
ウシュアイアで一緒に自炊した時もね、色々こだわり強くて面倒臭いから、彼に作ってもらう。
私は野菜を切るんだけど、大きさも事前に確認する。
それでも言われた、”チカが切る野菜がデカすぎるから時間がかかる。”
相変わらずパスタも水から茹で始める。茹で時間40分。水かなかなか沸騰しないから鍋を2つのガスコンロにまたがるようにおいて2つのコンロに火をつけているんだけど、それ意味あるの?てか、危ないし。。。
出来上がったのは、おなじみのぬちょぬちょパスタ。
味は悪くないんだけど、、、
ワインを飲みながらおしゃべり。
”なんで半年以上中南米にるのに、スペイン語出来ないの??”
話せないわけじゃないし。まだ私の方があなたより喋れると思うよ。
”なんで、せっかく海外にいるのにアクティビティしないの??”
結構してると思うけど。トレッキング系はあんまり好きじゃないからあなたほどはしてないけど。
”なんでバスで移動するの?時間もったいないじゃん??”
バスの方が、楽しいじゃん。お金も節約できるし。
なんかね、話してると疲れてきた。_(:□ 」∠)_
私と彼、年齢も旅のスタンスも違いすぎるのね。
尋常じゃない上から目線にもちょっとうんざり。
過度なスキンシップもおいらは苦手。
ゲンくんはもう少し飲もうって感じだったけど、ワインが空いたところで私は宿に帰った。
だけどこうして、旅の一部分を共有した人と再会できるのはやっぱり嬉しいことなのでした。
ましてや、旅の終わりに、南米の南で会った人と北で再会できたんだから。

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