<82カ国目;コロンビア>おでぶさんとおちびさん(失礼)
- 2018/04/29
- 18:12
こんにちは。
予約投稿です。
おかげさまでなんと、世界一周ブログランキンク3位をいただきました。

嬉しくてスクリーンショット撮っちゃったよ!!!
みなさん、いつもありがとうこざいます。
ここからは、帰国まで毎日更新を目標に頑張ります。
いや、毎日書かないと、リアルタイムに追いつけない、、、。
本日も1クリック宜しくお願いします。

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ボゴタには無料の博物館、美術館が4つも入った複合施設があります。
貨幣博物館に、近代アート博物館と、もう1個なんだか忘れちゃった、、、
そして、その中でたぶん一番人気なのが、コロンビアを代表する画家、ボテロの美術館。
1932年にコロンビア第2の都市・メデジンで生まれたフェルナンド・ボテロは”もっともコロンビアらしい芸術家”と呼ばれ、国民に愛されているのか、、、コロンビアどこに行っても彼の作品にお目にかかります。
ただ、わたくしこの方の絵、好きになれません。

モナリザ、

ジーザス、

アダムとイブ、

西洋梨、、、、
何を描いてもおデブになってしまいます。
そして、描かれている子供はどれも驚くほどブッサイク。

でも気になる作品を発見。以下の2つ。
これらの作品をみて、とある絵を思い出しました。

これと、

これ。
皆さんも多分知っている有名な絵です。
ちなみに意味わからなくて私が惹かれる絵です。
もちろん、スペインに行った時に本物を見ました。

(ネットから)
ベラスケスのラス・メニナスです。
絵の中に画家自身が写り込んじゃってるところ、鏡を使っているところ、肖像画を描かれている夫婦が飽きないように周りに使える子供達の中に、ちょっと異様な顔貌な女の子がいること。
ボテロは、スペイン・マドリードのサンフェルナンドアカデミーで美術を学び、ゴヤやベラスケスの影響を受けたそうです。
なるほど。
このボテっとした技法をボテリスモというそうです。
このボテロ美術館、彼の作品のみならず彼が所蔵していたピカソやダリなんかの作品も飾ってあり、
入場無料の写真撮影可能でございます。

そしてもう1人、南米の国を旅しているとどこの国のどの街にも大抵彼の名前がつく通りや、広場があるんですね。
その方も、ボテロに負けず劣らず、コロンビア国民に愛されているのですが、、、(たぶん)
南米解放の父、シモン・ボリバル。

ボリビアの国名の由来になっているのはもちろんですが、ボリビア以外にも、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルーの独立にも関わりました。
南米を旅していたら、彼を語らないわけにはいきませんね。いつか書かなきゃと思っていました。
ついに登場です!!!
彼自身は、ベネズエラの南米屈指の裕福なクリオーリョ(スペイン人の両親から源氏で生まれた人々)として生まれた。
ヨーロッパに渡り教育を受け、ナポレオンに仕えたこともあったが、南米でスペインからの独立運動が盛んになると、自分の祖国・ベネスエラの独立を志すようになる。
イギリスに独立の支持の取り付けに失敗したり、カラカス地震にじょうじてスペインにカラカスを再占領されてしまったりとなかなかうまくいかず、一度ジャマイカに逃れる。
兵力を整え、再び南米大陸に戻ったボリバルは各地で好戦。
1819年にスペイン軍に勝利し、大コロンビア共和国の独立を宣言し、大統領となった。
その後、1822年には、エクアドルを独立へと導いた。
その頃、もう1人の南米独立の父、サンマルティンはペルー独立を宣言したものの、スペイン軍の反撃に苦戦していた。
(参照記事)
<78カ国目;アルゼンチン>今、世界で一番歴史的に有名なアルゼンチン人といえば???
サンマルティンはボリバルに共闘を申し出るが、ボリバルが目指す国家は共和制、サンマルティンが目指す国家は君主制と国家構想に相違があったことから協力を拒否。
サンマルティンはペルー独立から手を引き、その後、ボリバルがペルーの独立を確固たるものにした。
各国が独立して間もない1826年、南米諸国の集団的安全保障体制を目指してパナマ会議を招集した。
当時は批准には至らなかったものの、このボリバルの考えは、のちのパン=アメリカ主義の基礎となった。
この発想ちょっとすごくない?
独立したらそれで終わりじゃなくて、一緒に植民地支配していたヨーロッパ諸国から身を守る術を考えましょうよ、と。
そんな、偉大な南米解放の父へ、当時の大コロンビア共和国政府が送った別荘がボゴタに残されている。

敷地内の庭園は緑がいっぱい。
その一角に、ボリバルの胸像。周りには彼が独立に関わった国の国旗が掲げられています。

ヨーロッパ留学時代に結婚。
奥さんを連れてベネズエラに帰るも、その翌年に愛する妻は黄熱病で亡くなってしまう。
その後、再婚はせず、生涯独身を貫いた。この別荘には女連れ込んでたみたいだけどな。女の部屋あった。

なかなかオシャレなお宅です。
私財を南米独立に捧げたボリバル家は彼の死後、没落したそうな。

彼のベッド、、、小さい!
写真じゃわからないと思いますが、長さがおかしいんです。ホビットサイズ。
英雄ボリバルさん、とっても背が低かったそうです。
彼にぴったりサイズの可愛いベッドでした。

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嬉しくてスクリーンショット撮っちゃったよ!!!
みなさん、いつもありがとうこざいます。
ここからは、帰国まで毎日更新を目標に頑張ります。
いや、毎日書かないと、リアルタイムに追いつけない、、、。
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ボゴタには無料の博物館、美術館が4つも入った複合施設があります。
貨幣博物館に、近代アート博物館と、もう1個なんだか忘れちゃった、、、
そして、その中でたぶん一番人気なのが、コロンビアを代表する画家、ボテロの美術館。
1932年にコロンビア第2の都市・メデジンで生まれたフェルナンド・ボテロは”もっともコロンビアらしい芸術家”と呼ばれ、国民に愛されているのか、、、コロンビアどこに行っても彼の作品にお目にかかります。
ただ、わたくしこの方の絵、好きになれません。

モナリザ、

ジーザス、

アダムとイブ、

西洋梨、、、、
何を描いてもおデブになってしまいます。
そして、描かれている子供はどれも驚くほどブッサイク。

でも気になる作品を発見。以下の2つ。
これらの作品をみて、とある絵を思い出しました。

これと、

これ。
皆さんも多分知っている有名な絵です。
ちなみに意味わからなくて私が惹かれる絵です。
もちろん、スペインに行った時に本物を見ました。

(ネットから)
ベラスケスのラス・メニナスです。
絵の中に画家自身が写り込んじゃってるところ、鏡を使っているところ、肖像画を描かれている夫婦が飽きないように周りに使える子供達の中に、ちょっと異様な顔貌な女の子がいること。
ボテロは、スペイン・マドリードのサンフェルナンドアカデミーで美術を学び、ゴヤやベラスケスの影響を受けたそうです。
なるほど。
このボテっとした技法をボテリスモというそうです。
このボテロ美術館、彼の作品のみならず彼が所蔵していたピカソやダリなんかの作品も飾ってあり、
入場無料の写真撮影可能でございます。

そしてもう1人、南米の国を旅しているとどこの国のどの街にも大抵彼の名前がつく通りや、広場があるんですね。
その方も、ボテロに負けず劣らず、コロンビア国民に愛されているのですが、、、(たぶん)
南米解放の父、シモン・ボリバル。

ボリビアの国名の由来になっているのはもちろんですが、ボリビア以外にも、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルーの独立にも関わりました。
南米を旅していたら、彼を語らないわけにはいきませんね。いつか書かなきゃと思っていました。
ついに登場です!!!
彼自身は、ベネズエラの南米屈指の裕福なクリオーリョ(スペイン人の両親から源氏で生まれた人々)として生まれた。
ヨーロッパに渡り教育を受け、ナポレオンに仕えたこともあったが、南米でスペインからの独立運動が盛んになると、自分の祖国・ベネスエラの独立を志すようになる。
イギリスに独立の支持の取り付けに失敗したり、カラカス地震にじょうじてスペインにカラカスを再占領されてしまったりとなかなかうまくいかず、一度ジャマイカに逃れる。
兵力を整え、再び南米大陸に戻ったボリバルは各地で好戦。
1819年にスペイン軍に勝利し、大コロンビア共和国の独立を宣言し、大統領となった。
その後、1822年には、エクアドルを独立へと導いた。
その頃、もう1人の南米独立の父、サンマルティンはペルー独立を宣言したものの、スペイン軍の反撃に苦戦していた。
(参照記事)
<78カ国目;アルゼンチン>今、世界で一番歴史的に有名なアルゼンチン人といえば???
サンマルティンはボリバルに共闘を申し出るが、ボリバルが目指す国家は共和制、サンマルティンが目指す国家は君主制と国家構想に相違があったことから協力を拒否。
サンマルティンはペルー独立から手を引き、その後、ボリバルがペルーの独立を確固たるものにした。
各国が独立して間もない1826年、南米諸国の集団的安全保障体制を目指してパナマ会議を招集した。
当時は批准には至らなかったものの、このボリバルの考えは、のちのパン=アメリカ主義の基礎となった。
この発想ちょっとすごくない?
独立したらそれで終わりじゃなくて、一緒に植民地支配していたヨーロッパ諸国から身を守る術を考えましょうよ、と。
そんな、偉大な南米解放の父へ、当時の大コロンビア共和国政府が送った別荘がボゴタに残されている。

敷地内の庭園は緑がいっぱい。
その一角に、ボリバルの胸像。周りには彼が独立に関わった国の国旗が掲げられています。

ヨーロッパ留学時代に結婚。
奥さんを連れてベネズエラに帰るも、その翌年に愛する妻は黄熱病で亡くなってしまう。
その後、再婚はせず、生涯独身を貫いた。この別荘には女連れ込んでたみたいだけどな。女の部屋あった。

なかなかオシャレなお宅です。
私財を南米独立に捧げたボリバル家は彼の死後、没落したそうな。

彼のベッド、、、小さい!
写真じゃわからないと思いますが、長さがおかしいんです。ホビットサイズ。
英雄ボリバルさん、とっても背が低かったそうです。
彼にぴったりサイズの可愛いベッドでした。

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