<7カ国目:インドネシア>インドネシアの歴史について考える
- 2015/08/15
- 01:32
現在タイ・バンコク。インドビザを待ちながら、マッサージの学校に通っています。

にほんブログ村
ランキングに参加しています。上の世界一周をクリック‼︎‼︎
予定より長い滞在になったジョグジャカルタ。電車のチケットが取れなかったため私より早くアルヴィン達は旅立った。
アルヴィン一家と旅をしている間、私は一切お金を払っていない。払おうとすると"後で!"って言われる。
別れの日。朝早く旅立つアルヴィン達にさよならを言うために早起き。一緒に朝ごはんを食べてお別れのハグ。

今まで払っていなかったお金を渡そうとした。想像ついてたけどね、アルヴィンは受け取らなかった。
”自分がやりたくてやったことだから、チカがいてくれて楽しかったから、お金なんかいらない”と。
、、、あるゔぃん涙‼︎‼︎
もうさ、バファリンじゃないけどさ、私の旅は半分以上優しさ出来ているよ。
今私にできることは、ボッタクられても、失敗しても、元気に日本に帰ってその時には悔いない旅だったって思えるように、今を大切にすることだと思った。
いつかまたアルヴィンに会いにいくよ。
ロンボック島に興味がある方、ガイドさんは激しくアルヴィンをお勧めいたします。彼は日本語を話しませんが、日本語ガイドも紹介してくれるそうです。
興味がある方はchicabuenviaje@gmail.comにご連絡を。
アルヴィン達とお別れして、私はフレデブルフ要塞博物館へ。オランダ植民地時代の要塞を利用したインドネシアの占領と独立の歴史をテーマにした博物館。
フレデブルクてオランダ語で、日本語訳すると平和橋。

私はすっかりさっぱり忘れてたけど、日本は戦前、2年間インドネシアを占領していた。
その前には私の留学していたオランダによって200年以上植民地化されていた。
インドネシアでオランダから独立しようという動きが高まってきた時、日本人はやってきた。
チャリンコと徒歩で。そのシーン。

そして、オランダの占領に対しことば巧みにて同情の意を示しながら近づき、結局は占領した。
(と博物館の説明に書いてあった。)
日本が戦争に負けて撤退を開始したころ、オランダが再植民地化しようと進行してきた。
1つの戦争が終わったことで、新しい戦争が始まった。

、、、、戦争は1945年8月15日には終わっていない。
だんだん気持ちが沈んできて、一人どよーんとしていたら、地元の高校生数人に話しかけられる。
日本語を勉強しているらしく、授業の一環でインタビューをさせて欲しいと。日本とインドネシアが戦っているジオラマの前で。
、、、っっっえ??日本が侵攻してきたことについてですか?何を言ったらいいかわからないけど。
でも、たくさん優しくしてくれたインドネシア人に恩返しになるかなと思って、受けることにした。
ビデオ撮影係、インタビュー係、メモ係。
内容はどうしてインドネシアに来たのかから始まり、この博物館をどう思いますか?というもの。
本当にどう答えたらいいのかわからないけど、素直に私なりに頑張って答えたつもり。

日本語勉強してくれてるなんて嬉しいね。この博物館見てる最中だからなおさら嬉しいね。
そして、そこそこしゃべれるのがすごい。日本人は英語しゃべれないよねっていっつも言われる(+_+)。
博物館の後は、ジョグジャのメインストリート、マリオボーロ通りへ。

週末とあって、旅行者もローカルも溢れんばかり。屋台飯うまそう。

バイクのせいでジョグジャは常に渋滞。

ローカルの市場にも行ってきました。
ずきん屋さん。

ブラジャーには著変なし。

翌日、電車でジャカルタに向かいました。中国以来の電車移動。
もう世界の車窓からの音楽が頭の中で流れ始める。

電車入ってきた時ぼろって思ったけど、なかはそこそこ。これでもエグゼクティブクラスなんです。


つなぎ目から線路見えてる。

インドネシア、いい思い出ができました。後ろ髪を引かれながら、再びタイで冒険します。
インドビザ(耳寄り珍情報あり。)に、マッサージスクール、、、、お楽しみに!

にほんブログ村
宜しくお願いします。50番以内にいたい、、、。

にほんブログ村
ランキングに参加しています。上の世界一周をクリック‼︎‼︎
予定より長い滞在になったジョグジャカルタ。電車のチケットが取れなかったため私より早くアルヴィン達は旅立った。
アルヴィン一家と旅をしている間、私は一切お金を払っていない。払おうとすると"後で!"って言われる。
別れの日。朝早く旅立つアルヴィン達にさよならを言うために早起き。一緒に朝ごはんを食べてお別れのハグ。

今まで払っていなかったお金を渡そうとした。想像ついてたけどね、アルヴィンは受け取らなかった。
”自分がやりたくてやったことだから、チカがいてくれて楽しかったから、お金なんかいらない”と。
、、、あるゔぃん涙‼︎‼︎
もうさ、バファリンじゃないけどさ、私の旅は半分以上優しさ出来ているよ。
今私にできることは、ボッタクられても、失敗しても、元気に日本に帰ってその時には悔いない旅だったって思えるように、今を大切にすることだと思った。
いつかまたアルヴィンに会いにいくよ。
ロンボック島に興味がある方、ガイドさんは激しくアルヴィンをお勧めいたします。彼は日本語を話しませんが、日本語ガイドも紹介してくれるそうです。
興味がある方はchicabuenviaje@gmail.comにご連絡を。
アルヴィン達とお別れして、私はフレデブルフ要塞博物館へ。オランダ植民地時代の要塞を利用したインドネシアの占領と独立の歴史をテーマにした博物館。
フレデブルクてオランダ語で、日本語訳すると平和橋。

私はすっかりさっぱり忘れてたけど、日本は戦前、2年間インドネシアを占領していた。
その前には私の留学していたオランダによって200年以上植民地化されていた。
インドネシアでオランダから独立しようという動きが高まってきた時、日本人はやってきた。
チャリンコと徒歩で。そのシーン。

そして、オランダの占領に対しことば巧みにて同情の意を示しながら近づき、結局は占領した。
(と博物館の説明に書いてあった。)
日本が戦争に負けて撤退を開始したころ、オランダが再植民地化しようと進行してきた。
1つの戦争が終わったことで、新しい戦争が始まった。

、、、、戦争は1945年8月15日には終わっていない。
だんだん気持ちが沈んできて、一人どよーんとしていたら、地元の高校生数人に話しかけられる。
日本語を勉強しているらしく、授業の一環でインタビューをさせて欲しいと。日本とインドネシアが戦っているジオラマの前で。
、、、っっっえ??日本が侵攻してきたことについてですか?何を言ったらいいかわからないけど。
でも、たくさん優しくしてくれたインドネシア人に恩返しになるかなと思って、受けることにした。
ビデオ撮影係、インタビュー係、メモ係。
内容はどうしてインドネシアに来たのかから始まり、この博物館をどう思いますか?というもの。
本当にどう答えたらいいのかわからないけど、素直に私なりに頑張って答えたつもり。

日本語勉強してくれてるなんて嬉しいね。この博物館見てる最中だからなおさら嬉しいね。
そして、そこそこしゃべれるのがすごい。日本人は英語しゃべれないよねっていっつも言われる(+_+)。
博物館の後は、ジョグジャのメインストリート、マリオボーロ通りへ。

週末とあって、旅行者もローカルも溢れんばかり。屋台飯うまそう。

バイクのせいでジョグジャは常に渋滞。

ローカルの市場にも行ってきました。
ずきん屋さん。

ブラジャーには著変なし。

翌日、電車でジャカルタに向かいました。中国以来の電車移動。
もう世界の車窓からの音楽が頭の中で流れ始める。

電車入ってきた時ぼろって思ったけど、なかはそこそこ。これでもエグゼクティブクラスなんです。


つなぎ目から線路見えてる。

インドネシア、いい思い出ができました。後ろ髪を引かれながら、再びタイで冒険します。
インドビザ(耳寄り珍情報あり。)に、マッサージスクール、、、、お楽しみに!

にほんブログ村
宜しくお願いします。50番以内にいたい、、、。