<78カ国目;アルゼンチン>なぜか惹かれる女性、エビータの生涯。
- 2018/02/15
- 10:00
こんにちは。
現在、ブラジル・サンパウロ。
思ったより寒くて、風邪ひきましたわ。
鼻水がじゅるーん。

にほんブログ村
世界一周ブログランキングに参加中。
1日1クリックで応援宜しくお願いします。
まだまだ続くブエノスアイレス編。
だって、ブエノスアイレス、めちゃめちゃ濃かったんですもの。
何より、現地の友達のうちに泊めてもらえたことが大きい。アルゼンチンの本当の生活を垣間見ることができた。
そこらへんはまた後ほど。
本日は、私が大好きなアルゼンチン人の女性について。
エビータです。
エビータ、知ってる?!?!日本じゃいっとき化粧品の名前にもなってたよね???
エビータ。
マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン。
アルゼンチン史上最も愛された女性。

100ペソ札に描かれています。
貧しい農村の私生児として生まれたエバ。
高等教育は受けられず、15歳でブエノスアイレスへと上京する。
モデルや高級売春婦として働きながらもやがてラジオ声優や女優として活躍するようになる。
やがて、当時政界に強い影響力を持った、ホアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会う。
その後、ペロン大佐の愛人として過ごす。自身のラジオ番組でペロンの政治宣伝などを担った。
当時、ラジオの視聴者の多くが無学で字の読めない労働者階級の人々。
このおかげて、ペロン大佐は労働者階級から絶大な支持を得るようになる。
1945年のクーデターでペロン大佐は有罪判決を受けるが、これまたエビータのラジオでの呼びかけでペロン大佐は釈放される。その直後にエバと結婚。
翌1946年には、大統領に就任する。
ファーストレディとなったエバは積極的に政治に介入するようになる。
女性参政権を導入させたほか、毅然団体エバ・ペロン財団を創設し、孤児院や養老院の設備、ミシンや食料などの配布を行う。
こういった行動により、アルゼンチンの多くを占める労働者階級から多くの支持を受けるようになる。
エビータは、彼らがつけたエバの愛称。
その一方で、財団の資金は強制的に取り立てられた献金によって賄われていたり、財団を利用して個人的な蓄財や汚職の疑いもあった。
そして何より、下層階級出身の無学な売春婦上がりの女性が、選挙に選ばれたわけでもないのに国政に参加していることに、知識階級や富裕層からは大きな批判を受ける。
そんな彼女の生涯を展示する博物館に行って来ましたよ。

ここ、ブエノスアイレスに来たら絶対行きたかった場所。

内部は撮影禁止なのですが、エビータの洋服があったり、エバペロン財団が作った製品なんかがあったり、彼女の出演していた映画が流れていたり。
数十年前まで生きていた人だからね、たくさんの資料が残っている。
私は、なんでこの女性が好きなんだろう。。。
エビータを知るきっかけになったのは、劇団四季のミュージカルですわ。
前後して、マドンナの映画を見たんですね。
(未だにペロンを支持する”ペロニスタ”にはこの映画やミュージカルを批判する人がたくさんいるそうですが、私はこの映画が大好き。)
今でも1年に1回は必ず見ていて、私史上2番目か3番目によく見てる映画ですね。一番はぶっちぎりでタイタニックですが。
アンドニオ・バンデラスが演じる”チェ”(ゲバラですよね、モデルは確実に、、、。)が皮肉っているところも私は面白くて好き。
あとは、曲も好き。”アルゼンチンよ、泣かないで”とか、有名でしょ?私は、あの愛を欲している歌詞が好き。
だから、もしかしたら私は彼女じゃなくて、エビータっていうミュージカルが好きなのかもしれないね、よく考えてみると。。。
こちらは、大統領府、通称ピンクハウス。
バリケードがあって近づけなかったけど、、、

このバルコニーでエビータや大統領が演説した。
なんと、当時の大統領の許可を得て、エビータが演説した本物のバルコニーで、マドンナが、”アルゼンチンよ、泣かないで”を歌うシーンが撮影されたんです!!!
エビータに話を戻しますと、彼女の人気に期待をかけたペロン大統領はエバに副大統領の地位を与えようとした。
その矢先、エバは子宮癌に侵されていることが判明する。
そしてその翌年、1952年、わずか33歳で彼女は永眠する。
彼女の遺体は防腐処理が施され展示された。
約2週間の彼女の葬儀中、連日数十万人の国民が参列。アルゼンチン国内から花という花が消えたという。
彼女の葬儀はアルゼンチン史上最大であった。
彼女の遺体はイタリア、スペインと転々とされ、1976年にやっと、愛する母国のお墓に安置された。
ブエノスアイレスの観光スポットの1つになっている、ラ・レコレッタ墓地。
アルゼンチンの著名人が多く眠る巨大墓地。

地図を見て、行きたいお墓の場所を確認する。


お墓の1つ1つが大きい。そして、教会ですか?っていうレベルの装飾。
内部を覗くと棺がいくつも置かれている。
入り口から歩くこと10分。
エビータが眠るドゥアルテ家のお墓を発見。


今でもたくさんの花が手向けられている。
私が、彼女を好きな理由。
きっと学歴や生い立ちなど、コンプレックスがいっぱいあったんだと思う。
そんなの全て押し隠して、自身が持っている美貌っていう武器をもって高みへと上がっていく。
そして何より、愛を欲してたんだと思う。
死後数十年経ってもこんなにも愛されているのに、ありのままの彼女を受け入れてくれる揺るぎないたった1つの愛を得たくてもがいていた人なんだと思う。
それに、33年という短い生涯がまた彼女の儚さを一層引き立たせる。
おこかがましいけどね、ちょっと似てると思うんだな。私と彼女。(美貌とか、特にね。←冗談です。)
さて、妻の人気のみでやって来たベロン大統領はどうなったのでしょうか?
エビータの死の3年後、クーデターで失脚します。
亡命先のスペインで、ナイトクラブ歌手のイザベラと結婚します。
アルゼンチン国内に残るベロニスタの請願で亡命の18年後の1973年になんとアルゼンチン大統領選に出馬、
見事当選します。
そして副大統領には妻のイザベルを就任させます。
ですが、ペロンさん、翌年1973年に死去。
彼の後を妻のイザベルが、なんと当時世界初の女性大統領に就任するんです!!!
なんて、ドラマティックな国なんですかね、アルゼンチン!!!
イザベルもエビータ人気にあやかろうと彼女の髪型や服装、化粧などすべて真似たが、政治的力量がなく1976年に失脚します。
アルゼンチンの歴史。
新しくて面白いね。

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思ったより寒くて、風邪ひきましたわ。
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だって、ブエノスアイレス、めちゃめちゃ濃かったんですもの。
何より、現地の友達のうちに泊めてもらえたことが大きい。アルゼンチンの本当の生活を垣間見ることができた。
そこらへんはまた後ほど。
本日は、私が大好きなアルゼンチン人の女性について。
エビータです。
エビータ、知ってる?!?!日本じゃいっとき化粧品の名前にもなってたよね???
エビータ。
マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン。
アルゼンチン史上最も愛された女性。

100ペソ札に描かれています。
貧しい農村の私生児として生まれたエバ。
高等教育は受けられず、15歳でブエノスアイレスへと上京する。
モデルや高級売春婦として働きながらもやがてラジオ声優や女優として活躍するようになる。
やがて、当時政界に強い影響力を持った、ホアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会う。
その後、ペロン大佐の愛人として過ごす。自身のラジオ番組でペロンの政治宣伝などを担った。
当時、ラジオの視聴者の多くが無学で字の読めない労働者階級の人々。
このおかげて、ペロン大佐は労働者階級から絶大な支持を得るようになる。
1945年のクーデターでペロン大佐は有罪判決を受けるが、これまたエビータのラジオでの呼びかけでペロン大佐は釈放される。その直後にエバと結婚。
翌1946年には、大統領に就任する。
ファーストレディとなったエバは積極的に政治に介入するようになる。
女性参政権を導入させたほか、毅然団体エバ・ペロン財団を創設し、孤児院や養老院の設備、ミシンや食料などの配布を行う。
こういった行動により、アルゼンチンの多くを占める労働者階級から多くの支持を受けるようになる。
エビータは、彼らがつけたエバの愛称。
その一方で、財団の資金は強制的に取り立てられた献金によって賄われていたり、財団を利用して個人的な蓄財や汚職の疑いもあった。
そして何より、下層階級出身の無学な売春婦上がりの女性が、選挙に選ばれたわけでもないのに国政に参加していることに、知識階級や富裕層からは大きな批判を受ける。
そんな彼女の生涯を展示する博物館に行って来ましたよ。

ここ、ブエノスアイレスに来たら絶対行きたかった場所。

内部は撮影禁止なのですが、エビータの洋服があったり、エバペロン財団が作った製品なんかがあったり、彼女の出演していた映画が流れていたり。
数十年前まで生きていた人だからね、たくさんの資料が残っている。
私は、なんでこの女性が好きなんだろう。。。
エビータを知るきっかけになったのは、劇団四季のミュージカルですわ。
前後して、マドンナの映画を見たんですね。
(未だにペロンを支持する”ペロニスタ”にはこの映画やミュージカルを批判する人がたくさんいるそうですが、私はこの映画が大好き。)
今でも1年に1回は必ず見ていて、私史上2番目か3番目によく見てる映画ですね。一番はぶっちぎりでタイタニックですが。
アンドニオ・バンデラスが演じる”チェ”(ゲバラですよね、モデルは確実に、、、。)が皮肉っているところも私は面白くて好き。
あとは、曲も好き。”アルゼンチンよ、泣かないで”とか、有名でしょ?私は、あの愛を欲している歌詞が好き。
だから、もしかしたら私は彼女じゃなくて、エビータっていうミュージカルが好きなのかもしれないね、よく考えてみると。。。
こちらは、大統領府、通称ピンクハウス。
バリケードがあって近づけなかったけど、、、

このバルコニーでエビータや大統領が演説した。
なんと、当時の大統領の許可を得て、エビータが演説した本物のバルコニーで、マドンナが、”アルゼンチンよ、泣かないで”を歌うシーンが撮影されたんです!!!
エビータに話を戻しますと、彼女の人気に期待をかけたペロン大統領はエバに副大統領の地位を与えようとした。
その矢先、エバは子宮癌に侵されていることが判明する。
そしてその翌年、1952年、わずか33歳で彼女は永眠する。
彼女の遺体は防腐処理が施され展示された。
約2週間の彼女の葬儀中、連日数十万人の国民が参列。アルゼンチン国内から花という花が消えたという。
彼女の葬儀はアルゼンチン史上最大であった。
彼女の遺体はイタリア、スペインと転々とされ、1976年にやっと、愛する母国のお墓に安置された。
ブエノスアイレスの観光スポットの1つになっている、ラ・レコレッタ墓地。
アルゼンチンの著名人が多く眠る巨大墓地。

地図を見て、行きたいお墓の場所を確認する。


お墓の1つ1つが大きい。そして、教会ですか?っていうレベルの装飾。
内部を覗くと棺がいくつも置かれている。
入り口から歩くこと10分。
エビータが眠るドゥアルテ家のお墓を発見。


今でもたくさんの花が手向けられている。
私が、彼女を好きな理由。
きっと学歴や生い立ちなど、コンプレックスがいっぱいあったんだと思う。
そんなの全て押し隠して、自身が持っている美貌っていう武器をもって高みへと上がっていく。
そして何より、愛を欲してたんだと思う。
死後数十年経ってもこんなにも愛されているのに、ありのままの彼女を受け入れてくれる揺るぎないたった1つの愛を得たくてもがいていた人なんだと思う。
それに、33年という短い生涯がまた彼女の儚さを一層引き立たせる。
おこかがましいけどね、ちょっと似てると思うんだな。私と彼女。(美貌とか、特にね。←冗談です。)
さて、妻の人気のみでやって来たベロン大統領はどうなったのでしょうか?
エビータの死の3年後、クーデターで失脚します。
亡命先のスペインで、ナイトクラブ歌手のイザベラと結婚します。
アルゼンチン国内に残るベロニスタの請願で亡命の18年後の1973年になんとアルゼンチン大統領選に出馬、
見事当選します。
そして副大統領には妻のイザベルを就任させます。
ですが、ペロンさん、翌年1973年に死去。
彼の後を妻のイザベルが、なんと当時世界初の女性大統領に就任するんです!!!
なんて、ドラマティックな国なんですかね、アルゼンチン!!!
イザベルもエビータ人気にあやかろうと彼女の髪型や服装、化粧などすべて真似たが、政治的力量がなく1976年に失脚します。
アルゼンチンの歴史。
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