<78カ国目;アルゼンチン>今、世界で一番歴史的に有名なアルゼンチン人といえば???
- 2018/02/14
- 08:34
こんにちは。
現在、ブラジル・サンパウロ。
今度は友達のいとこのお家にお邪魔中。
みんなお家がでっかいのね。。。ブラジルに住みたいわー!!!

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パタゴニアを周って来て、ブエノス・アイレスは久しぶりの大都会。
街並みはもうまさにヨーロッパ。南米ってヨーロッパよ、ほんとに。
BA(ブエノス・アイレス)、ちょっと久しぶりに街自体が好きになった。街並みが可愛い。

なんかね、おしゃれなワンピース着て、大きな麦わら帽子かぶって、ハイヒールこつこつ音立てながら歩きたくなる街。

全ての街角にカフェあるんじゃないの?ってくらいカフェだらけの街。
イタリア系移民からの影響らしい。


ここ、ブエノス・アイレスで一番有名な教会、メトロポリタン大聖堂。

入り口のタイルがアルゼンチンカラーで可愛い。

この教会が有名な理由は、
アルゼンチンやペルーを独立に導き、南米解放の父、と言われたホセ・デ・サンマルティン将軍の遺体が安置されているから。

厳重な警備。

サンマルティンは1778年にスペイン軍人の父の元にアルゼンチンに生まれ、7歳でスペインに渡る。22年間職業軍人としてスペイン軍に従軍。1811年にはスペイン軍の師団長にまで上り詰めるが、母国の独立運動に参加するために全てを投げ打つ。
彼は政治闘争とは距離を置き、軍人としての職務に徹する。
アルゼンチンのみならず、南米諸国が独立することが必要と考えたサンマルティンは南米支配の拠点となっているペルー・リマの解放が必要だと主張する。
数度の敗北を喫しながらも、まずは、1817年マイプーの戦いでチリを独立に導く。
その際に、サンマルティンは政務官に選出されるが、その申し出を断った。
続いてペルーの解放に乗り出したサンマルティンは1821年にリマで独立を宣言。
しかし、この際の独立は海岸部にとどまり、彼が行った奴隷解放などの政策は富裕層の指示を得られなかった。
そこで、エクアドル解放のために戦っていたシモン・ボリバルに支援を求めた。
しかし、やがてシモン・ボリバルと仲違い。失意の中引退を決意する。
アルゼンチンに戻り、家族と穏やかな生活を夢見た矢先、妻が亡くなる。傷心のサンマルティンはアルゼンチン国内の戦争に巻き込まれることを嫌いイギリスに亡命。
その後、アルゼンチンに戻ろうとするが、船内で罵声を浴びせられて断念。
フランスで失意のうちに亡くなる。
彼が再評価あれるようになったのは、1880年代に入ってからだ。
そんな、スペイン軍人の息子で彼の生まれた国アルゼンチンの独立は果たせなかったけど、お隣さんの国々を独立に導いた、ちょっと複雑な英雄さんですが、、、
それ以上に、今後必ず歴史の教科書に載るであろう人がいるのですが、ご存知ですか?
ヒントは、今生きてるキリスト教信者の中では一番偉い人!!!
そうです、現ローマ教皇・フランシスコ教皇です。

彼は、ローマ教皇になる前、この教会で、大司教を務められておりました。
すごくない?!?!?私、キリスト教徒じゃないけど。
この2年半の旅で、もう数え切れないくらい教会を見て来たけど、そんなキリスト教会で一番偉い人がこの教会でミサをしてたんだよ!!!
このフランシスコ教皇は、史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇。まあ、アメリカ大陸の国は全部新しいからね。。。
そして、イエズス会出身の教皇っていうのも史上初。
そんでもって、ヨーロッパ以外の出身者がローマ教皇につくのは、731-741年に在位していたシリア出身のグレゴリウス3世以来なんと1272年ぶりなんです!!!
日本にいると、キリスト教の世界ってわからないね。
旅先で旅行行っても、”あー、マリア様の絵、綺麗だなー。”て終わっちゃうけど、この教会は、いつも以上に感慨深い気持ちになれたよ。

そんなアルゼンチンの一番ホットな教会でした。

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全ての街角にカフェあるんじゃないの?ってくらいカフェだらけの街。
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ここ、ブエノス・アイレスで一番有名な教会、メトロポリタン大聖堂。

入り口のタイルがアルゼンチンカラーで可愛い。

この教会が有名な理由は、
アルゼンチンやペルーを独立に導き、南米解放の父、と言われたホセ・デ・サンマルティン将軍の遺体が安置されているから。

厳重な警備。

サンマルティンは1778年にスペイン軍人の父の元にアルゼンチンに生まれ、7歳でスペインに渡る。22年間職業軍人としてスペイン軍に従軍。1811年にはスペイン軍の師団長にまで上り詰めるが、母国の独立運動に参加するために全てを投げ打つ。
彼は政治闘争とは距離を置き、軍人としての職務に徹する。
アルゼンチンのみならず、南米諸国が独立することが必要と考えたサンマルティンは南米支配の拠点となっているペルー・リマの解放が必要だと主張する。
数度の敗北を喫しながらも、まずは、1817年マイプーの戦いでチリを独立に導く。
その際に、サンマルティンは政務官に選出されるが、その申し出を断った。
続いてペルーの解放に乗り出したサンマルティンは1821年にリマで独立を宣言。
しかし、この際の独立は海岸部にとどまり、彼が行った奴隷解放などの政策は富裕層の指示を得られなかった。
そこで、エクアドル解放のために戦っていたシモン・ボリバルに支援を求めた。
しかし、やがてシモン・ボリバルと仲違い。失意の中引退を決意する。
アルゼンチンに戻り、家族と穏やかな生活を夢見た矢先、妻が亡くなる。傷心のサンマルティンはアルゼンチン国内の戦争に巻き込まれることを嫌いイギリスに亡命。
その後、アルゼンチンに戻ろうとするが、船内で罵声を浴びせられて断念。
フランスで失意のうちに亡くなる。
彼が再評価あれるようになったのは、1880年代に入ってからだ。
そんな、スペイン軍人の息子で彼の生まれた国アルゼンチンの独立は果たせなかったけど、お隣さんの国々を独立に導いた、ちょっと複雑な英雄さんですが、、、
それ以上に、今後必ず歴史の教科書に載るであろう人がいるのですが、ご存知ですか?
ヒントは、今生きてるキリスト教信者の中では一番偉い人!!!
そうです、現ローマ教皇・フランシスコ教皇です。

彼は、ローマ教皇になる前、この教会で、大司教を務められておりました。
すごくない?!?!?私、キリスト教徒じゃないけど。
この2年半の旅で、もう数え切れないくらい教会を見て来たけど、そんなキリスト教会で一番偉い人がこの教会でミサをしてたんだよ!!!
このフランシスコ教皇は、史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇。まあ、アメリカ大陸の国は全部新しいからね。。。
そして、イエズス会出身の教皇っていうのも史上初。
そんでもって、ヨーロッパ以外の出身者がローマ教皇につくのは、731-741年に在位していたシリア出身のグレゴリウス3世以来なんと1272年ぶりなんです!!!
日本にいると、キリスト教の世界ってわからないね。
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