<77カ国目・チリ>一気に見すぎるとやっぱり飽きがくるんです、モアイ。
- 2018/01/24
- 21:59
こんにちは。
現在、アルゼンチン・ブエノスアイレス。
まだまだ友人の家に居候中。
ブラジルでカーニバルに行くのですが、それまでにちょっと時間がありすぎるんですね。
お金かからないし、いつまでも居ていいから!!って言ってくれるけどね、色々してもらいすぎるとこっちもちょっと気を使ってしまうので、、、そろそろ旅立つときかな、なんて思ってます。

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さて、イースター島ミステリーハンターごっこの続き。
(参照記事)
<77カ国目・チリ>モアイと一緒にミステリーハンターごっこ
なぜ、すべてのモアイが倒されるような事態になったのか。。。
その原因はモアイ自身だと言われている。(諸説ありますが。)
地質学的にモアイが作られた当時は島内にはたくさんのヤシの木が生い茂っていたと考えられている。
それが今では、本当にびっくりするくらい大きな木がない。

どこまでもどこまでも地平線を見渡すことができてしまう。
島民は森林を、家屋やカヌーの製造、燃料として伐採して行った。
そして、あのモアイの運搬にも大量の木材を必要とした。
モアイを作れば作るほど、森林は伐採されて行った。
森林減少は土壌は貧しくし、環境の悪化を招いた。
その結果食料のや耕地などを巡って部族間で対立するようになる。
そして、その部族間争いのために、士気を高めたり、村の守り神としてのモアイをさらに競って立てるようになり、さらに環境悪化を招くと言う最悪の悪循環が始まった。
その結果として、森林の消失、モアイ製造が中止され、もともと立っていたモアイ像は部族間対立のため倒されて行くことになった、、、。
と考えられている。
さらに、19世紀になると、欧米や南米大陸からの侵略者によって島民が大量に奴隷として連れ去られることになる。
わずか数ヶ月で島民の半分の1500人が島外に連れ去られ、また、外部から持ち込まれた天然痘や結核が猛威を振るった結果、島民は絶滅寸前にまで追い込まれる。
しかし、その当時の島民の生活レベルは、石器時代とほとんど変わらないものだったと言われている。
1872年の記録では、島民はわずかに111人であった。
この過程で独自の文字や文化継承は断絶してしまう。
キリスト教布教のため、多くの伝統的な文字・ロンゴロンゴが書かれた木版が焼き払われてしまった。
その結果、現在ではロンゴロンゴを解読できる人は1人もいなくなった。
現在の島民の多くは、奴隷として連れさられて帰還してきた人々の子孫。
このような、一連のイースター島の悲劇を、環境破壊が進んで行く地球の行く末を示唆していると、警鐘を鳴らす人もいる。
はい、大まかな歴史がわかると遺跡観光はさらに楽しくなりますよ!!
では、島内を回って見ましょうか。ユーカちゃんが運転してくれるスクーターの後ろに乗って。
トンガリキ、日中バージョン。


お天気が少々残念。
アフ・アキヴィ

ツアーで、映画のロケ地を巡る世界旅をしている日本人男性に会った。
各ロケ地で、映画に登場したのと同じアングルで写真を撮って回っているのだそう。
その方曰く、このアフ・アキヴィのモアイはゴジラの映画で宇宙に指令を送るシーンで使われているらしい。
そしてもう1つ、多くのモアイが海岸沿いのアフ(モアイを立てるプラットフォーム)に海に背を向けて立てらてているのに対して、このアフ・アキヴィのモアイは、内陸で海を向けて立てられている。
こちらはアナケナのモアイたち。

ちょっぴり小ぶりだけど保存状態がとてもよい。
なぜならずっと砂浜のサラサラな砂に埋もれていたから。
モアイたちの背後には、綺麗な色の海のビーチが広がっています。

はい、ここまで比較的見応えのあるモアイたちを見てきましたが、中には、思いっきり倒れていたり、岩なのかモアイなのかわからないような物体だったり、帽子の一部だったりと、何が何だかわからないものをあるわけです。



こういったものも、スクーターで島内をめぐっていればたくさんあって、地図にはスポットとしてマークされてるのですが、、、
どうでもよくなるよね笑。スクーターから降りるのがめんどくさくなっちゃうの!!!
贅沢だね、あんなに見たかったモアイなのに、一気に見すぎると、ちょっぴりどうでもよくなる!!!
次回は、そんな見飽きるくらい見たモアイを見た後でも、感動的なラノララクとオロンゴというスポットについて。

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まだまだ友人の家に居候中。
ブラジルでカーニバルに行くのですが、それまでにちょっと時間がありすぎるんですね。
お金かからないし、いつまでも居ていいから!!って言ってくれるけどね、色々してもらいすぎるとこっちもちょっと気を使ってしまうので、、、そろそろ旅立つときかな、なんて思ってます。

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なぜ、すべてのモアイが倒されるような事態になったのか。。。
その原因はモアイ自身だと言われている。(諸説ありますが。)
地質学的にモアイが作られた当時は島内にはたくさんのヤシの木が生い茂っていたと考えられている。
それが今では、本当にびっくりするくらい大きな木がない。

どこまでもどこまでも地平線を見渡すことができてしまう。
島民は森林を、家屋やカヌーの製造、燃料として伐採して行った。
そして、あのモアイの運搬にも大量の木材を必要とした。
モアイを作れば作るほど、森林は伐採されて行った。
森林減少は土壌は貧しくし、環境の悪化を招いた。
その結果食料のや耕地などを巡って部族間で対立するようになる。
そして、その部族間争いのために、士気を高めたり、村の守り神としてのモアイをさらに競って立てるようになり、さらに環境悪化を招くと言う最悪の悪循環が始まった。
その結果として、森林の消失、モアイ製造が中止され、もともと立っていたモアイ像は部族間対立のため倒されて行くことになった、、、。
と考えられている。
さらに、19世紀になると、欧米や南米大陸からの侵略者によって島民が大量に奴隷として連れ去られることになる。
わずか数ヶ月で島民の半分の1500人が島外に連れ去られ、また、外部から持ち込まれた天然痘や結核が猛威を振るった結果、島民は絶滅寸前にまで追い込まれる。
しかし、その当時の島民の生活レベルは、石器時代とほとんど変わらないものだったと言われている。
1872年の記録では、島民はわずかに111人であった。
この過程で独自の文字や文化継承は断絶してしまう。
キリスト教布教のため、多くの伝統的な文字・ロンゴロンゴが書かれた木版が焼き払われてしまった。
その結果、現在ではロンゴロンゴを解読できる人は1人もいなくなった。
現在の島民の多くは、奴隷として連れさられて帰還してきた人々の子孫。
このような、一連のイースター島の悲劇を、環境破壊が進んで行く地球の行く末を示唆していると、警鐘を鳴らす人もいる。
はい、大まかな歴史がわかると遺跡観光はさらに楽しくなりますよ!!
では、島内を回って見ましょうか。ユーカちゃんが運転してくれるスクーターの後ろに乗って。
トンガリキ、日中バージョン。


お天気が少々残念。
アフ・アキヴィ

ツアーで、映画のロケ地を巡る世界旅をしている日本人男性に会った。
各ロケ地で、映画に登場したのと同じアングルで写真を撮って回っているのだそう。
その方曰く、このアフ・アキヴィのモアイはゴジラの映画で宇宙に指令を送るシーンで使われているらしい。
そしてもう1つ、多くのモアイが海岸沿いのアフ(モアイを立てるプラットフォーム)に海に背を向けて立てらてているのに対して、このアフ・アキヴィのモアイは、内陸で海を向けて立てられている。
こちらはアナケナのモアイたち。

ちょっぴり小ぶりだけど保存状態がとてもよい。
なぜならずっと砂浜のサラサラな砂に埋もれていたから。
モアイたちの背後には、綺麗な色の海のビーチが広がっています。

はい、ここまで比較的見応えのあるモアイたちを見てきましたが、中には、思いっきり倒れていたり、岩なのかモアイなのかわからないような物体だったり、帽子の一部だったりと、何が何だかわからないものをあるわけです。



こういったものも、スクーターで島内をめぐっていればたくさんあって、地図にはスポットとしてマークされてるのですが、、、
どうでもよくなるよね笑。スクーターから降りるのがめんどくさくなっちゃうの!!!
贅沢だね、あんなに見たかったモアイなのに、一気に見すぎると、ちょっぴりどうでもよくなる!!!
次回は、そんな見飽きるくらい見たモアイを見た後でも、感動的なラノララクとオロンゴというスポットについて。

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