<74カ国目・アメリカ>これが最後の再出発。20年ぶりの再会
- 2017/12/09
- 12:21
こんにちは。予約投稿です。
現在、トランジットでメキシコ・カンクン。
これからエクアドルをめざします。これからしばし大好きなお姉さんと2人旅!!

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1日1クリックで応援宜しくお願いします。
さて、日本で1ヶ月充電。バイトでちょっぴり資金も補充。
これでほんとに最後の再出発。次に帰ってくるときは、もう一時帰国じゃないんだな、、、。
泣いても笑ってもあと4ヶ月。楽しみ倒す!!!

出発の日。
これが、かれこれ5度目の再出発。家族もそこそこ慣れて来たようだ。
私は、出発当日に、羽田から成田にトランスファーしなきゃいけないってことに気づいたよ。
まあ時間たっぷりあったから問題なかったけど。
今回のエアラインはデルタ。
まあ、本日の装いめっちゃ中国人っぽいけどさ、カウンターのお姉さん、最初から中国語で話しかけるのやめてもらって良いですか?私日本人です。
出発までの時間、ベンチに座ってポーッとしていたら、気になる放送が、、、。
それは、私が乗る便ではない、エティハド航空の放送だったんだけど、
”当便には、フライトナニーが乗務しております。お子様連れのお客様はご遠慮なくお声掛けください。”と。
フライトナニーって?!?!?!
めっちゃいい仕事やん。空飛びながら子供達に夢と希望を振りまくなんて。。。
どっかの航空会社さん、フライトドクターいりませんか???
さて、目指すはアメリカ・メッドフォード。
前回会うことができなかった、20年前に御世話になったホストファミリーについに会いに行く。
直前に、彼らの家の近くで大規模な山火事があって、行くことを延期した。
(参照記事)<一時帰国中>再出発しました、5円玉たっぷり持って!
ついに、ついに、ついに、20年ぶりの再会。
中学校1年生の時に2週間ホームステイさせてもらった。
私は別に特別な英語教育や英会話学校に行っていたわけではないから、私の英語は中学校の授業で習ったものが全て。
私は小学校、中学校大っ嫌い。ある意味私の暗黒歴史。
私が、学校で配られたホームステイプログラムの案内を親に渡して”行ってみたい。”って言ったら、
あっさりokしてくれたのは、親なりになんか思うところがあったからなんじゃないかな。
日中は語学学校に通い、現地人のホストファミリーの家に滞在してローカルな生活を体験するというプログラム。
参加者は日本人だけで中高生が20人くらい参加していて日本人のコーディネーターさんが添乗していた。
(余談ですが、このメンバーの1人に、医師になってから先輩として再会するんだから世界って狭い。)
そして、いざ出発。これが初めての海外。
これが私の人生をおかしくしてして言ったんだな笑。
それぞれのホストファミリーが空港まで迎えに来てくれていたんだけど、私のホストファミリーはどのファミリーよりも派手に私を迎えに来てくれたことを覚えている。
ふわふわの蝶々の風船と、白いウサギのぬいぐるみを持って迎えてくれた。
その風船もぬいぐるみも今も大切にとってあって、うさちゃんとは、旅に出る直前まで一緒に寝てた。
入院してる時も一緒。手術前に自己血貯血する時に先生が失敗して血まみれになったこともあった。
なので、もはや白うさぎではなく、黒うさぎ。今は日本でお留守番中。
私のホストファミリーはパパとママの2人。自分たちの子供が独立したのを機に日本からの学生の受け入れを始めたようで、私が初めての生徒ってわけではなかった。
当時13歳だった私は、32歳になり、パパとママも歳をとった。
パパはなんと92歳!!!足腰はちょっぴりヨボヨボだけど、相変わらずユーモアのセンスとうんちく話は健在!!!
まぁ、当時の私は何ひとつ理解できなかったんだけどね笑。
空港まで迎えに来てくれた。
ちっとも変わらない2人になんだかちょっぴり安心。



当時の私は、ほんとに英語で何一つ喋れてなくて。
だって、学校でも、"Is this pen?" レベルのことしか習ってなくて。
比較級も、現在進行形も、きっと知らなかった。
とりあえず、イエスかノーかしか喋ってない。
辞書だって当時は電子辞書が出たての頃だったけど、私はそんなの持ってないから分厚い英和辞書持っていって、それをいちいち引きながらコミュニケーション取ってた。1つのこと聞くのに5分かかる。
いやー、いろんなことが昨日のことのように思い出される。。。
現在は引退して山の中にある素敵なおうちで隠居生活をしているけど、パパもママも元々教会の牧師さん。
ちょうどイースターの頃に滞在してたので二人ともてんてこ舞い。
クリスマスよりもイースターの方が教会にとっては忙しいイベントのようだ。
だから、教会でのイベントにたくさん参加することができた。
子供達と一緒にイースターの卵探しをしたり、結婚式に参列したり、ホームレスに炊き出ししたり。
どういう経緯か忘れたけど、語学学校を1日サボって、近くの小学校に折り紙を教えに行ったこともあったな。
とにかく、英語できないのに彼らはほんとに色々と日本じゃできない経験をさせてくれた。
英語わからないけどなんか喋らなきゃ、って思って、当時の私は”日本のお茶が好き”っていうのを言い過ぎたようで。
どこに行く時も、日本茶と急須(前に滞在した生徒さんが置いていってくれたようだ。)を持って行くようになった。
外食する時も笑。”この子はお茶が好きだからこれを飲むの!だからお湯ちょうだい。”と。
それから20年。私の英語も普通にコミュニケーション取るぶんには不自由がないほどに上達した。
それもこれも、彼らとのもどかしい経験があったから。
いいたいことが言えない。聞きたいことが聞けない。
彼らが何年結婚してるかとか、(なんとなく再婚同士ってことはわかってたけど。)何人子供がいるとか、
どんな生活しているかとか、当時聞けなくて知らなかったことを20年越しにやっと聞くことができた。
”ここはあなたのうちだから。好きなようにしてね。冷蔵庫中のものも、パントリーにあるものも。勝手に食べてね。”
”欲しいものはなんかある???”
私は、20年前に食べたアイスの話をした。
”バニラアイスにチョコチップとさくらんぼが入ってるやつ。
あれ、好きって言ったら毎日出て来た。
あの味が忘れられなくて、数年前にアメリカに短期留学した時友達と探し出したんだよ。
確か、人の名前がついてるの。”
そのアイスは、チェリー・ガルシア。
早速買ってくれた。2ケース。
お互いに思い出話をしている中で、
”あなたはほんとに2週間しかいなかったの?こんなにいろんなことして、1年くらいいたんじゃないの?”
うん、私もそう感じる。
でもそれだけ、私の人生において特別で、かけがえのない2週間だったんだ。
そんなパパとママ、わんことの、スローな生活。はじまりはじまり。。。


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これでほんとに最後の再出発。次に帰ってくるときは、もう一時帰国じゃないんだな、、、。
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出発の日。
これが、かれこれ5度目の再出発。家族もそこそこ慣れて来たようだ。
私は、出発当日に、羽田から成田にトランスファーしなきゃいけないってことに気づいたよ。
まあ時間たっぷりあったから問題なかったけど。
今回のエアラインはデルタ。
まあ、本日の装いめっちゃ中国人っぽいけどさ、カウンターのお姉さん、最初から中国語で話しかけるのやめてもらって良いですか?私日本人です。
出発までの時間、ベンチに座ってポーッとしていたら、気になる放送が、、、。
それは、私が乗る便ではない、エティハド航空の放送だったんだけど、
”当便には、フライトナニーが乗務しております。お子様連れのお客様はご遠慮なくお声掛けください。”と。
フライトナニーって?!?!?!
めっちゃいい仕事やん。空飛びながら子供達に夢と希望を振りまくなんて。。。
どっかの航空会社さん、フライトドクターいりませんか???
さて、目指すはアメリカ・メッドフォード。
前回会うことができなかった、20年前に御世話になったホストファミリーについに会いに行く。
直前に、彼らの家の近くで大規模な山火事があって、行くことを延期した。
(参照記事)<一時帰国中>再出発しました、5円玉たっぷり持って!
ついに、ついに、ついに、20年ぶりの再会。
中学校1年生の時に2週間ホームステイさせてもらった。
私は別に特別な英語教育や英会話学校に行っていたわけではないから、私の英語は中学校の授業で習ったものが全て。
私は小学校、中学校大っ嫌い。ある意味私の暗黒歴史。
私が、学校で配られたホームステイプログラムの案内を親に渡して”行ってみたい。”って言ったら、
あっさりokしてくれたのは、親なりになんか思うところがあったからなんじゃないかな。
日中は語学学校に通い、現地人のホストファミリーの家に滞在してローカルな生活を体験するというプログラム。
参加者は日本人だけで中高生が20人くらい参加していて日本人のコーディネーターさんが添乗していた。
(余談ですが、このメンバーの1人に、医師になってから先輩として再会するんだから世界って狭い。)
そして、いざ出発。これが初めての海外。
これが私の人生をおかしくしてして言ったんだな笑。
それぞれのホストファミリーが空港まで迎えに来てくれていたんだけど、私のホストファミリーはどのファミリーよりも派手に私を迎えに来てくれたことを覚えている。
ふわふわの蝶々の風船と、白いウサギのぬいぐるみを持って迎えてくれた。
その風船もぬいぐるみも今も大切にとってあって、うさちゃんとは、旅に出る直前まで一緒に寝てた。
入院してる時も一緒。手術前に自己血貯血する時に先生が失敗して血まみれになったこともあった。
なので、もはや白うさぎではなく、黒うさぎ。今は日本でお留守番中。
私のホストファミリーはパパとママの2人。自分たちの子供が独立したのを機に日本からの学生の受け入れを始めたようで、私が初めての生徒ってわけではなかった。
当時13歳だった私は、32歳になり、パパとママも歳をとった。
パパはなんと92歳!!!足腰はちょっぴりヨボヨボだけど、相変わらずユーモアのセンスとうんちく話は健在!!!
まぁ、当時の私は何ひとつ理解できなかったんだけどね笑。
空港まで迎えに来てくれた。
ちっとも変わらない2人になんだかちょっぴり安心。



当時の私は、ほんとに英語で何一つ喋れてなくて。
だって、学校でも、"Is this pen?" レベルのことしか習ってなくて。
比較級も、現在進行形も、きっと知らなかった。
とりあえず、イエスかノーかしか喋ってない。
辞書だって当時は電子辞書が出たての頃だったけど、私はそんなの持ってないから分厚い英和辞書持っていって、それをいちいち引きながらコミュニケーション取ってた。1つのこと聞くのに5分かかる。
いやー、いろんなことが昨日のことのように思い出される。。。
現在は引退して山の中にある素敵なおうちで隠居生活をしているけど、パパもママも元々教会の牧師さん。
ちょうどイースターの頃に滞在してたので二人ともてんてこ舞い。
クリスマスよりもイースターの方が教会にとっては忙しいイベントのようだ。
だから、教会でのイベントにたくさん参加することができた。
子供達と一緒にイースターの卵探しをしたり、結婚式に参列したり、ホームレスに炊き出ししたり。
どういう経緯か忘れたけど、語学学校を1日サボって、近くの小学校に折り紙を教えに行ったこともあったな。
とにかく、英語できないのに彼らはほんとに色々と日本じゃできない経験をさせてくれた。
英語わからないけどなんか喋らなきゃ、って思って、当時の私は”日本のお茶が好き”っていうのを言い過ぎたようで。
どこに行く時も、日本茶と急須(前に滞在した生徒さんが置いていってくれたようだ。)を持って行くようになった。
外食する時も笑。”この子はお茶が好きだからこれを飲むの!だからお湯ちょうだい。”と。
それから20年。私の英語も普通にコミュニケーション取るぶんには不自由がないほどに上達した。
それもこれも、彼らとのもどかしい経験があったから。
いいたいことが言えない。聞きたいことが聞けない。
彼らが何年結婚してるかとか、(なんとなく再婚同士ってことはわかってたけど。)何人子供がいるとか、
どんな生活しているかとか、当時聞けなくて知らなかったことを20年越しにやっと聞くことができた。
”ここはあなたのうちだから。好きなようにしてね。冷蔵庫中のものも、パントリーにあるものも。勝手に食べてね。”
”欲しいものはなんかある???”
私は、20年前に食べたアイスの話をした。
”バニラアイスにチョコチップとさくらんぼが入ってるやつ。
あれ、好きって言ったら毎日出て来た。
あの味が忘れられなくて、数年前にアメリカに短期留学した時友達と探し出したんだよ。
確か、人の名前がついてるの。”
そのアイスは、チェリー・ガルシア。
早速買ってくれた。2ケース。
お互いに思い出話をしている中で、
”あなたはほんとに2週間しかいなかったの?こんなにいろんなことして、1年くらいいたんじゃないの?”
うん、私もそう感じる。
でもそれだけ、私の人生において特別で、かけがえのない2週間だったんだ。
そんなパパとママ、わんことの、スローな生活。はじまりはじまり。。。


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