<73カ国目・メキシコ>ハンプティダンプティディエゴさん
- 2017/09/24
- 20:10
こんにちは。
現在、メキシコ・オアハカ。
朝から小さいけど地震が頻発しております。
メキシコの建物は、崩れるから外に逃げろといわれました。
朝方なので、みんなパジャマ姿で中庭に逃げました、が、大したことないレベルでした。
すごいのは、ここの宿のオーナーさん。
大声で、指示を出してみんなを誘導してました。
彼、たぶんメキシコ人じゃないと思う。
彼の行き届いた管理のおかげでめっちゃ快適宿。今日の夜行で出発しますが、もうちょっと居たかった、、、。

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さて、まだまだメキシコシティでの出来事が続きます。
メキシコ、本当に見どころたっぷりなんです。
メキシコを代表する画家で眉毛美人のフリーダ・カーロについてはレポートしましたが、
(参照記事)
<73カ国目・メキシコ>フリーダと私の共通点
続きまして、旦那の方も行ってみましょう。
日本では、旦那の方はあんまり知られて居ない気かする。。。旦那も有名な画家さんだったんですよ、女たらしですが。
今でこそ、世界的には、妻、フリーダ・カーロの方が有名ですが、元々は、ディエゴの方が名の知れた、画家でした。
今は、フリーダ・カーロ美術館となっている”青い家”ももともと2人で住んでた場所だからね。

作品も1部屋分しか飾ってもらえてないからね。

ディエゴ・リベラ。
10歳の時から、絵画を学び、その後奨学金を得て、スペイン、パリなどに留学。
現地で多くの画家達と交友を持ち、キュビズムの強い影響を受けた。
この頃から、女たらしでありまして、あっちゃこっちゃの女性画家と交際しては、子供を作り、養育費など責任は一切負わなかった。
メキシコに帰国後、メキシコ壁画運動の中心人物となった。
メキシコ壁画運動とは、1920から1930年代のメキシコ革命下のメキシコで起こった、
メキシコ革命の意義や、国民のアイデンティティをわかりやすく民衆に伝えるために、個人所有ではなく、誰でもいつでもみられる壁画を描いた運動。
その時のディエゴの壁画は今でも残されております。
メキシコシティにある、ベシャスアルテス宮殿。
私が行った日には日曜日だったせいか、無料で入れたよ。
こちらにあるのが、『十字路の人物』


こちら、元々はアメリカ・ニューヨークのロックフェラーセンターに寄贈されるために描かれたのだが、アメリカの建国者達に並んで、社会主義者のレーニンが描かれた絵の内容が急進的すぎて、関税間近でロックフェラーに破壊されてしまった。
それを、母国メキシコで描き直したものである。
もうひとつ、ディエゴ・リベラ壁画館にあるのがこちら。

ピアノの発表会やってたよ!! 日曜日だから、入場料は無料だった。

『アラメダ公園の日曜の午後の夢』
こちらは、ホテルの壁画として描かれたが、そのホテルは、1985年の地震で崩壊したため、壁画を守るために、
この壁画の保存のための建物が作られた。

絵画の真ん中にいるのは、メキシコのアイドル骸骨カトリーナと、9歳のディエゴ・リベラ。
幼いディエゴの肩に優しく手をかけるのは、2番目の妻、フリーダ・カーロ。
話はちょっと飛びますが、メキシコ各地で見かけるドレスを着た骸骨・カトリーナ。

19世紀の版画家・ポサダが小説の挿絵に描いたのが始まり。
先住民と貴族の貧部の差が広がり、先住民達は自分達の生活を恥じるようになり、伝統文化『死者の礼賛』が失われつつあり、それを守るために描かれた物語の挿絵。
もともとカトリーナは骸骨ではなかった。
カトリーナは、ヨーロッパの貴族が来ているドレスを着て、肌を彼らに似せて白く塗った原住民の女の子。
これは、私の憶測だけど、原住民の貧困を示すために骸骨のようにガリガリだったのかな、、、。
今ではどんなお土産屋さんにもいるカトリーナ。
そんな彼女が有名になったのは、ディエゴが彼女をこの壁画に登場させたから。
『死者の日』っていうメキシコのお祭りは、スペインのトマト祭りのように、旅人がこぞって出かけるイベントになっている。
そんな、フリーダ・カーロの旦那ディエゴ・リベラ。
22歳年下のフリーダと結婚し、その2人の容姿から美女と野獣カップルといわれた。

結婚後も女遊びはおさまらず、ついにはフリーダの妹にまで手を出す。
一度離婚するも、1年後に復縁。その後は、フリーダの死まで夫婦で居続けたが、フリーダの氏の翌年に再婚している。
そんなディエゴを好きすぎたフリーダ。
彼女が、カラフルな民族衣装で着飾るようになったのも、ディエゴと結婚してからなのだとか。
彼女の絵がどことなく不幸そうなのは、私は勝手に彼のせいだと思っている。。。
彼女が注いだ愛が、きっとディエゴには半分しか届いて居ないからだ。
そんなこと思いながら、メキシコで一番有名な夫婦の芸術を楽しみましたとさ。

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現在、メキシコ・オアハカ。
朝から小さいけど地震が頻発しております。
メキシコの建物は、崩れるから外に逃げろといわれました。
朝方なので、みんなパジャマ姿で中庭に逃げました、が、大したことないレベルでした。
すごいのは、ここの宿のオーナーさん。
大声で、指示を出してみんなを誘導してました。
彼、たぶんメキシコ人じゃないと思う。
彼の行き届いた管理のおかげでめっちゃ快適宿。今日の夜行で出発しますが、もうちょっと居たかった、、、。

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さて、まだまだメキシコシティでの出来事が続きます。
メキシコ、本当に見どころたっぷりなんです。
メキシコを代表する画家で眉毛美人のフリーダ・カーロについてはレポートしましたが、
(参照記事)
<73カ国目・メキシコ>フリーダと私の共通点
続きまして、旦那の方も行ってみましょう。
日本では、旦那の方はあんまり知られて居ない気かする。。。旦那も有名な画家さんだったんですよ、女たらしですが。
今でこそ、世界的には、妻、フリーダ・カーロの方が有名ですが、元々は、ディエゴの方が名の知れた、画家でした。
今は、フリーダ・カーロ美術館となっている”青い家”ももともと2人で住んでた場所だからね。

作品も1部屋分しか飾ってもらえてないからね。

ディエゴ・リベラ。
10歳の時から、絵画を学び、その後奨学金を得て、スペイン、パリなどに留学。
現地で多くの画家達と交友を持ち、キュビズムの強い影響を受けた。
この頃から、女たらしでありまして、あっちゃこっちゃの女性画家と交際しては、子供を作り、養育費など責任は一切負わなかった。
メキシコに帰国後、メキシコ壁画運動の中心人物となった。
メキシコ壁画運動とは、1920から1930年代のメキシコ革命下のメキシコで起こった、
メキシコ革命の意義や、国民のアイデンティティをわかりやすく民衆に伝えるために、個人所有ではなく、誰でもいつでもみられる壁画を描いた運動。
その時のディエゴの壁画は今でも残されております。
メキシコシティにある、ベシャスアルテス宮殿。
私が行った日には日曜日だったせいか、無料で入れたよ。
こちらにあるのが、『十字路の人物』


こちら、元々はアメリカ・ニューヨークのロックフェラーセンターに寄贈されるために描かれたのだが、アメリカの建国者達に並んで、社会主義者のレーニンが描かれた絵の内容が急進的すぎて、関税間近でロックフェラーに破壊されてしまった。
それを、母国メキシコで描き直したものである。
もうひとつ、ディエゴ・リベラ壁画館にあるのがこちら。

ピアノの発表会やってたよ!! 日曜日だから、入場料は無料だった。

『アラメダ公園の日曜の午後の夢』
こちらは、ホテルの壁画として描かれたが、そのホテルは、1985年の地震で崩壊したため、壁画を守るために、
この壁画の保存のための建物が作られた。

絵画の真ん中にいるのは、メキシコのアイドル骸骨カトリーナと、9歳のディエゴ・リベラ。
幼いディエゴの肩に優しく手をかけるのは、2番目の妻、フリーダ・カーロ。
話はちょっと飛びますが、メキシコ各地で見かけるドレスを着た骸骨・カトリーナ。

19世紀の版画家・ポサダが小説の挿絵に描いたのが始まり。
先住民と貴族の貧部の差が広がり、先住民達は自分達の生活を恥じるようになり、伝統文化『死者の礼賛』が失われつつあり、それを守るために描かれた物語の挿絵。
もともとカトリーナは骸骨ではなかった。
カトリーナは、ヨーロッパの貴族が来ているドレスを着て、肌を彼らに似せて白く塗った原住民の女の子。
これは、私の憶測だけど、原住民の貧困を示すために骸骨のようにガリガリだったのかな、、、。
今ではどんなお土産屋さんにもいるカトリーナ。
そんな彼女が有名になったのは、ディエゴが彼女をこの壁画に登場させたから。
『死者の日』っていうメキシコのお祭りは、スペインのトマト祭りのように、旅人がこぞって出かけるイベントになっている。
そんな、フリーダ・カーロの旦那ディエゴ・リベラ。
22歳年下のフリーダと結婚し、その2人の容姿から美女と野獣カップルといわれた。

結婚後も女遊びはおさまらず、ついにはフリーダの妹にまで手を出す。
一度離婚するも、1年後に復縁。その後は、フリーダの死まで夫婦で居続けたが、フリーダの氏の翌年に再婚している。
そんなディエゴを好きすぎたフリーダ。
彼女が、カラフルな民族衣装で着飾るようになったのも、ディエゴと結婚してからなのだとか。
彼女の絵がどことなく不幸そうなのは、私は勝手に彼のせいだと思っている。。。
彼女が注いだ愛が、きっとディエゴには半分しか届いて居ないからだ。
そんなこと思いながら、メキシコで一番有名な夫婦の芸術を楽しみましたとさ。

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