<73カ国目・メキシコ>あらかじめ申し上げますが、似たようなのが続きます
- 2017/09/23
- 13:20
こんにちは。
オアハカが好き過ぎて旅立ちたくないですが、”ケツ”ができたので少し急がねばなりません。
明日の夜行で旅立ちます。

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世界一周ブログランキングに参加中。
1日1クリックで応援宜しくお願いします。
まだまだメキシコシティ。
皆さん、世界史で学んたメキシコの歴史でパッと思い浮かぶのって何ですぁ?
ティオワカン!!!
ティオワカンだと思ってたらね、テオティワカンらしいよ!!!
珍しくツアーに乗っかって行きましたよ。
正直、貧乏旅人には至れり尽くせりのツアーの参加することは結構な贅沢で、
時には手が出ないこともあるし、そうでなくても毎回のようにツアーの参加してたら破産してまう。
でも今回はツアーに参加しました。
なぜならガイドのちゃんとした説明を聞きたかったから。私、中南米史が結構好きなのね。
だって、アンデスの人、顔がアジア人に近い気がするんだもん。
興味のあるところは、ケチらずにお金をかける。on-off大事ね!!!
ちなみに自力で公共交通機関で行ったら、3分の1くらいのお値段です。
ツアーでは、テオティワカンの他にも教会とかに寄るんだけどね。
そんなテオティワカン遺跡。

遠くからでもわかる、熱帯魚集団人民様。っていうのは冗談で。
まずいちばん有名なのから行きますか。
太陽のピラミッド。
年に2度、太陽がこのピラミッドの中心を通るらしく、それによって農耕の時期を把握していたようだ。

紀元前1世紀頃に建設され、その後も増改築が繰り返された、高さ65メートル、世界で3番目に大きいピラミッド。
登頂できるピラミッドでは世界最大らしい。
頂上までは248段の階段があり、地下には120メートルもの地下洞窟が伸びている。

さて登りますか。
わずか248段しかない階段ですが、その高さと、幅の狭さに足がぷるぷるです。
多分時間にしたら15分くらいで登頂できるのですが、はい、頂上に着いた時点で筋肉痛の気配に襲われます。
翌日は物の見事に筋肉痛です。
頂上からの眺めを楽しむ人々。


頂上のど真ん中に敷物敷いて絵を並べて手を繋いで祈ってる人々、、、。

頂上から見えますのが、死者の道と、月のピラミッドでございます。
死者の道。
月のピラミッドの前から南に約4キロほど続く通りで、その道の両側には集合住宅であったと思われる遺跡が並んでいる。

なぜ死者の道か、、、『死者の道』と名付けたのは、12世紀頃にやって来たアステカ人。
道の横にならぶ建物群をお墓と見間違えたから、もしくは、多くの生贄が見つかったことに由来するといわれている。
っていうかまず、テオティワカン文明についてご説明申し上げないと、こんがらかりますよね。
テオティワカン遺跡は、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄したテオティワカン文明の中心地。
当時のアメリカ大陸手じゃ最大規模の都市となり、最盛期には20万人もの人口を誇った。
8世紀に入り、都市は突然放棄され、住人達もどこかへと姿を消してしまったが、その謎は一切解明されてない。
そして12世紀、メキシコ北部から南下して来たアステカ人がこの廃墟を見て神の存在を実感し、”神々の住む場所”=テオティワカンと名付けた。
テオティワカンには文字らしき模様も発見されているが、解読には至っていない。
このテオティワカンの遺跡は、いくつもあるメキシコの古代遺跡と異なる特徴がいくつかわかっている。
まず、都市内には、王や貴族のみならず、庶民も暮らしていたこと。
また、他の遺跡には必ずある球技場が見つかっていない。など。
とにかく、ミステリーなのです。
とりあえず、神様に生贄あげるの大好きだったみたい。年に数百人単位で神に捧げられてたらしいよ。
でもそれは、神に召されるってことで、本人にも家族にもとても名誉なことだったらしい。
ピラミッドの上で、心臓を取り除く儀式を行って、亡骸はピラミッドの上から落としたりしてたらしい。
では、月のピラミッドに行きましょう。

こちらは、途中までしか登れません。
とにかくすごい急勾配の階段です。


こちらからは、今度は太陽のピラミッドが見えるわけです。
死者の道を1キロほど行ったところにあります。死者の道は私と見事にかぶっていて写っておりません。
さて、テオティワカンの観光ももちろんたのしかったのですが、またもやメンバーが最高でした。
アメリカ人に、ブラジル人に、ポーランド人。
特に年が近い5人はすぐに仲良くなったよ。

写ってないけどね、ポーランド人の老夫婦は最後迷子になったよ。
ランチタイムもみんなで同じテーブルに座って楽しかったね。
驚くのは、5人中4人がクリスマスにアイスランドにってオーロラ見るために凍えた経験があるってこと。
もしかしたら、どこかのスーパーあたりですれ違っていてかもしれないね。

楽しかったねー!!!やっぱりたまにはツアーに参加してみるもんだ。
ってことで、テオティワカンについてレポートいたしましたが、中米、この手の遺跡がたっぷりとございます。
私も既に3箇所ほど巡っており、どれがとれだかわからなくなって来ております。
アステカとか、サポテカとか、テカテカし過ぎてるんです。
別のツアーで知り合ったアルゼンチンから北上して来た旅人の話によると、中米のみならず南米もこんな感じだそうです。
そんなわけで、こんなのが今後もいくつか続くかと思いますがどうぞよろしくご贔屓のほどを。。。

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※次回は、フリーダの旦那について。
オアハカが好き過ぎて旅立ちたくないですが、”ケツ”ができたので少し急がねばなりません。
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皆さん、世界史で学んたメキシコの歴史でパッと思い浮かぶのって何ですぁ?
ティオワカン!!!
ティオワカンだと思ってたらね、テオティワカンらしいよ!!!
珍しくツアーに乗っかって行きましたよ。
正直、貧乏旅人には至れり尽くせりのツアーの参加することは結構な贅沢で、
時には手が出ないこともあるし、そうでなくても毎回のようにツアーの参加してたら破産してまう。
でも今回はツアーに参加しました。
なぜならガイドのちゃんとした説明を聞きたかったから。私、中南米史が結構好きなのね。
だって、アンデスの人、顔がアジア人に近い気がするんだもん。
興味のあるところは、ケチらずにお金をかける。on-off大事ね!!!
ちなみに自力で公共交通機関で行ったら、3分の1くらいのお値段です。
ツアーでは、テオティワカンの他にも教会とかに寄るんだけどね。
そんなテオティワカン遺跡。

遠くからでもわかる、熱帯魚集団人民様。っていうのは冗談で。
まずいちばん有名なのから行きますか。
太陽のピラミッド。
年に2度、太陽がこのピラミッドの中心を通るらしく、それによって農耕の時期を把握していたようだ。

紀元前1世紀頃に建設され、その後も増改築が繰り返された、高さ65メートル、世界で3番目に大きいピラミッド。
登頂できるピラミッドでは世界最大らしい。
頂上までは248段の階段があり、地下には120メートルもの地下洞窟が伸びている。

さて登りますか。
わずか248段しかない階段ですが、その高さと、幅の狭さに足がぷるぷるです。
多分時間にしたら15分くらいで登頂できるのですが、はい、頂上に着いた時点で筋肉痛の気配に襲われます。
翌日は物の見事に筋肉痛です。
頂上からの眺めを楽しむ人々。


頂上のど真ん中に敷物敷いて絵を並べて手を繋いで祈ってる人々、、、。

頂上から見えますのが、死者の道と、月のピラミッドでございます。
死者の道。
月のピラミッドの前から南に約4キロほど続く通りで、その道の両側には集合住宅であったと思われる遺跡が並んでいる。

なぜ死者の道か、、、『死者の道』と名付けたのは、12世紀頃にやって来たアステカ人。
道の横にならぶ建物群をお墓と見間違えたから、もしくは、多くの生贄が見つかったことに由来するといわれている。
っていうかまず、テオティワカン文明についてご説明申し上げないと、こんがらかりますよね。
テオティワカン遺跡は、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄したテオティワカン文明の中心地。
当時のアメリカ大陸手じゃ最大規模の都市となり、最盛期には20万人もの人口を誇った。
8世紀に入り、都市は突然放棄され、住人達もどこかへと姿を消してしまったが、その謎は一切解明されてない。
そして12世紀、メキシコ北部から南下して来たアステカ人がこの廃墟を見て神の存在を実感し、”神々の住む場所”=テオティワカンと名付けた。
テオティワカンには文字らしき模様も発見されているが、解読には至っていない。
このテオティワカンの遺跡は、いくつもあるメキシコの古代遺跡と異なる特徴がいくつかわかっている。
まず、都市内には、王や貴族のみならず、庶民も暮らしていたこと。
また、他の遺跡には必ずある球技場が見つかっていない。など。
とにかく、ミステリーなのです。
とりあえず、神様に生贄あげるの大好きだったみたい。年に数百人単位で神に捧げられてたらしいよ。
でもそれは、神に召されるってことで、本人にも家族にもとても名誉なことだったらしい。
ピラミッドの上で、心臓を取り除く儀式を行って、亡骸はピラミッドの上から落としたりしてたらしい。
では、月のピラミッドに行きましょう。

こちらは、途中までしか登れません。
とにかくすごい急勾配の階段です。


こちらからは、今度は太陽のピラミッドが見えるわけです。
死者の道を1キロほど行ったところにあります。死者の道は私と見事にかぶっていて写っておりません。
さて、テオティワカンの観光ももちろんたのしかったのですが、またもやメンバーが最高でした。
アメリカ人に、ブラジル人に、ポーランド人。
特に年が近い5人はすぐに仲良くなったよ。

写ってないけどね、ポーランド人の老夫婦は最後迷子になったよ。
ランチタイムもみんなで同じテーブルに座って楽しかったね。
驚くのは、5人中4人がクリスマスにアイスランドにってオーロラ見るために凍えた経験があるってこと。
もしかしたら、どこかのスーパーあたりですれ違っていてかもしれないね。

楽しかったねー!!!やっぱりたまにはツアーに参加してみるもんだ。
ってことで、テオティワカンについてレポートいたしましたが、中米、この手の遺跡がたっぷりとございます。
私も既に3箇所ほど巡っており、どれがとれだかわからなくなって来ております。
アステカとか、サポテカとか、テカテカし過ぎてるんです。
別のツアーで知り合ったアルゼンチンから北上して来た旅人の話によると、中米のみならず南米もこんな感じだそうです。
そんなわけで、こんなのが今後もいくつか続くかと思いますがどうぞよろしくご贔屓のほどを。。。

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