<4カ国目:カンボジア>カンボジアの歴史について考える
- 2015/07/08
- 23:11
現在、シェムリアップ。本日ラオスに移動予定でしたが、風邪ひいたようで喉が痛いし、鼻水がぽたぽた出る。ので、本日は書き物の日に当てます。

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宜しくお願いします。
カンボジアの観光スポットといえばアンコールワット。それはシェムリアップという場所にあり、ここプノンペンは訪れない観光客もたくさんいるそうです。
ただ、そんなプノンペンにもパーティホステルは存在します。
今回も飛び込みで入ったホステルが、新しくて、すいていて、落ち着いた雰囲気で良かったです。
プノンペンの観光地といえば、キリングフィールドとトゥールスレン拷問博物館。
どちらもクメールルージュ(ポルポト)による虐殺の悲惨さを伝える負の遺産。
サイゴンからプノンペンのバスの中でポルポトやカンボジアでの歴史について読んたけど、
着く前からどんよりした気分になった。
ひどすぎる。出来たら観光したくなかった。数年前の自分なら多分行かなかったかなと思う。
まず、キリングフィールド。文字通り処刑場。何の罪もない人を殺すためだけに連れてきた場所。
もともと中国人墓地だったようで中国語の墓石も残っている。

キリングフィールドでは無料でオーディオガイドが貸してもらえます。もちろん日本語もあります。
これ、とても素晴らしい。私たちは説明を聞きながらゆっくりと現実に向き合わされる。
生還者の証言なども聞ける。
穴を掘りそこの横に膝間付かせ、処刑し穴に落としていったらしい。

クメールルージュは殺すのに銃は使わないらしい。銃弾がもったいないから。農具や木の棒など身近な道具で殴り殺された。
展示してある頭蓋骨は陥没していたり穴が空いているものが多く、どのように殺されたのか推測できる。(このモニュメントは写真撮影許されているものです。)

殺された人はごく一般の人。
理由は、お金持ちだから、頭がいいから、農民じゃないから、メガネかけているから、本を読んでいるから、恋愛してるから、手が綺麗だから、、、もうなんでもあり。
海外に留学していた人は新しい国づくりに協力してほしいと言われ帰国し殺された。
学者、教師、医者などの知識人が真っ先に処刑された。そして、代わりに子供が医者や刑務官をしていたらしい。わずが3ヶ月ほどの訓練で。もちろん病人は死んでゆく、大人の顔色を伺って子供は密告をする。
ポルポトの思想は原始共産主義と言われるもので、階級や格差があってはいけなくて、農民が一番偉いらしい。だから、わずか3日でプノンペンの住民を全て農村に移住させ農業に従事させた。
そしてなんだかんだ理由をつけて人口800万人のうち250万人を処刑した。
どんなあたまで考えたらこんなむごいこと思いつくのか。そしてそんな社会が成り立つと思ったのか。なによりそんな人がなんで一国家の頭首になったのか。考えてもわからない。
フランスに留学しているインテリのポルポトさんは、いち早く処刑の対象なのに、ベトナム軍により陥落されたのちも、軟禁状態ではあったものの、再婚し家族に囲まれ穏やかに過ごされたようだ。
私、ポルポトが死んだ日のニュースを覚えている。
このようなキリングフィールドはカンボジアに現在確認されているだけで約80ある。
どこを掘っても人骨が出てくるらしい。
このキリングフィールドもいまだに雨が降るたびに地表に歯や骨、服がむき出しになる。


本当に冗談みたいな看板。

この時点でだいぶしんどかったけれど、市内にあるトゥールスレン博物館へ。こちらはキリングフィールドに連行される前に拷問が行われた場所。
もともと学校だった場所。各教室に黒板が残っていた。床のタイル、中庭の鉄棒もいかにも学校といった様子。

拷問に使われた部屋には生々しい写真が展示され、ベッドや足かせが残っていた。牢屋として使われた教室には、レンガや木の板を適当に2メートルくらい積み上げて仕切ったトイレくらいの部屋が沢山ある。レンガの壁も木の壁も蹴っ飛ばしたらすぐ壊れそう。それでも誰も逃げる気持ちなんて起こさなかったんだろうな。
無数に展示された被害者の顔写真は明らかに姿勢がおかしい。多分後手に縛られて撮影されているんだと思う。
これから処刑する人を写真に残した意味も不明。正確な被害者の人数はわからないのに。
何より、この惨劇が起きたのは私が生まれるわずか10年ほど前のごく最近の出来事。
その頃生まれた人々って日本ではバブルを謳歌した年代。カンボジアでは老人を見かけないのは気のせいだろうか?
しかも隣国のベトナム戦争っていう惨劇から数年と経ってない。(ベトナム戦争がこの惨劇のきっかけでもある。)
そしてどんな惨劇にもちらつく大国アメリカ、中国の存在。
どうして人は歴史から学べないのかな?
ホステルのドミを2人で独占利用したスペイン人アナと飲みに行った。
彼女が言ったこと:
どんな国にもこの手の惨劇の歴史はある、スペインにだってある。ただ、まだそれほど時間が経っていないだけ。
今もこの世界のどこかで同じようなことが起こってるよ。
確かにその通りだと思った。
政治も外交もわからないけど、とりあえず、戦争は嫌です!!

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虫屋台~!!

屋台めしー。野菜入れ放題。麺なくなっちゃて野菜入れて食べてたら、替え玉くれた!
甘いアイスコーヒーも残りが少なくなったら暑い緑茶足してくれた笑
お腹?ゆるいけどまだ肛門括約筋自制内だから気にしない。

無形文化遺産の影絵はスクリーンの裏も表も使う。アジアンな音楽が素敵~。屋外シアターの夜風も気持ち良い。

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カンボジアの観光スポットといえばアンコールワット。それはシェムリアップという場所にあり、ここプノンペンは訪れない観光客もたくさんいるそうです。
ただ、そんなプノンペンにもパーティホステルは存在します。
今回も飛び込みで入ったホステルが、新しくて、すいていて、落ち着いた雰囲気で良かったです。
プノンペンの観光地といえば、キリングフィールドとトゥールスレン拷問博物館。
どちらもクメールルージュ(ポルポト)による虐殺の悲惨さを伝える負の遺産。
サイゴンからプノンペンのバスの中でポルポトやカンボジアでの歴史について読んたけど、
着く前からどんよりした気分になった。
ひどすぎる。出来たら観光したくなかった。数年前の自分なら多分行かなかったかなと思う。
まず、キリングフィールド。文字通り処刑場。何の罪もない人を殺すためだけに連れてきた場所。
もともと中国人墓地だったようで中国語の墓石も残っている。

キリングフィールドでは無料でオーディオガイドが貸してもらえます。もちろん日本語もあります。
これ、とても素晴らしい。私たちは説明を聞きながらゆっくりと現実に向き合わされる。
生還者の証言なども聞ける。
穴を掘りそこの横に膝間付かせ、処刑し穴に落としていったらしい。

クメールルージュは殺すのに銃は使わないらしい。銃弾がもったいないから。農具や木の棒など身近な道具で殴り殺された。
展示してある頭蓋骨は陥没していたり穴が空いているものが多く、どのように殺されたのか推測できる。(このモニュメントは写真撮影許されているものです。)

殺された人はごく一般の人。
理由は、お金持ちだから、頭がいいから、農民じゃないから、メガネかけているから、本を読んでいるから、恋愛してるから、手が綺麗だから、、、もうなんでもあり。
海外に留学していた人は新しい国づくりに協力してほしいと言われ帰国し殺された。
学者、教師、医者などの知識人が真っ先に処刑された。そして、代わりに子供が医者や刑務官をしていたらしい。わずが3ヶ月ほどの訓練で。もちろん病人は死んでゆく、大人の顔色を伺って子供は密告をする。
ポルポトの思想は原始共産主義と言われるもので、階級や格差があってはいけなくて、農民が一番偉いらしい。だから、わずか3日でプノンペンの住民を全て農村に移住させ農業に従事させた。
そしてなんだかんだ理由をつけて人口800万人のうち250万人を処刑した。
どんなあたまで考えたらこんなむごいこと思いつくのか。そしてそんな社会が成り立つと思ったのか。なによりそんな人がなんで一国家の頭首になったのか。考えてもわからない。
フランスに留学しているインテリのポルポトさんは、いち早く処刑の対象なのに、ベトナム軍により陥落されたのちも、軟禁状態ではあったものの、再婚し家族に囲まれ穏やかに過ごされたようだ。
私、ポルポトが死んだ日のニュースを覚えている。
このようなキリングフィールドはカンボジアに現在確認されているだけで約80ある。
どこを掘っても人骨が出てくるらしい。
このキリングフィールドもいまだに雨が降るたびに地表に歯や骨、服がむき出しになる。


本当に冗談みたいな看板。

この時点でだいぶしんどかったけれど、市内にあるトゥールスレン博物館へ。こちらはキリングフィールドに連行される前に拷問が行われた場所。
もともと学校だった場所。各教室に黒板が残っていた。床のタイル、中庭の鉄棒もいかにも学校といった様子。

拷問に使われた部屋には生々しい写真が展示され、ベッドや足かせが残っていた。牢屋として使われた教室には、レンガや木の板を適当に2メートルくらい積み上げて仕切ったトイレくらいの部屋が沢山ある。レンガの壁も木の壁も蹴っ飛ばしたらすぐ壊れそう。それでも誰も逃げる気持ちなんて起こさなかったんだろうな。
無数に展示された被害者の顔写真は明らかに姿勢がおかしい。多分後手に縛られて撮影されているんだと思う。
これから処刑する人を写真に残した意味も不明。正確な被害者の人数はわからないのに。
何より、この惨劇が起きたのは私が生まれるわずか10年ほど前のごく最近の出来事。
その頃生まれた人々って日本ではバブルを謳歌した年代。カンボジアでは老人を見かけないのは気のせいだろうか?
しかも隣国のベトナム戦争っていう惨劇から数年と経ってない。(ベトナム戦争がこの惨劇のきっかけでもある。)
そしてどんな惨劇にもちらつく大国アメリカ、中国の存在。
どうして人は歴史から学べないのかな?
ホステルのドミを2人で独占利用したスペイン人アナと飲みに行った。
彼女が言ったこと:
どんな国にもこの手の惨劇の歴史はある、スペインにだってある。ただ、まだそれほど時間が経っていないだけ。
今もこの世界のどこかで同じようなことが起こってるよ。
確かにその通りだと思った。
政治も外交もわからないけど、とりあえず、戦争は嫌です!!

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屋台めしー。野菜入れ放題。麺なくなっちゃて野菜入れて食べてたら、替え玉くれた!
甘いアイスコーヒーも残りが少なくなったら暑い緑茶足してくれた笑
お腹?ゆるいけどまだ肛門括約筋自制内だから気にしない。

無形文化遺産の影絵はスクリーンの裏も表も使う。アジアンな音楽が素敵~。屋外シアターの夜風も気持ち良い。