<71カ国目;ロシア>だって根室っ子ですから。
- 2017/07/31
- 14:55
こんにちは。
予約投稿です。
たぶんもう日本には帰国しているのですが、帰国すると人に会うので忙しくなっちゃうんですよね。
そうすると、ブログを書くのがどうしてもおそろかになってしまう。
鉄は熱いうちに打て。思い出がホカホカのうちに綴っておこうと思います。

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遠くて近い国ロシア。
幼少期を根室で過ごした私にとってはなおさら。
根室の海の向こう側にはみなさんご存知、北方領土。
島を占領され、追い出されるような形で行き場を失った多くの元住人が移り住んで来たのが根室。
だから、年に数回給食にボルシチが出たし、
おじいちゃん、おばあちゃんは北方領土で育ったっていう友達はたくさんいたし、
秋には望郷マラソンって北方領土が見渡せるコースを走る市民マラソン大会があって、
中学校では校内弁論大会があってそこで北方領土について作文を発表させられて、
街には『かえせ北方領土』っていうポスターもあるけど、お店の看板は日本語とロシア語の2ヶ国語表記。
ロシアの船が入ってくるから、たまに白人のガイジンがいるけど、それは英語ではなくロシア語を話すロシア人。
根室っ子って、ハローより先にズドラーストビーチェ覚えるんじゃないかな、これ冗談抜きで。
ちょっぴり日本っぽくない不思議な小さな小さな街、根室。
広島長崎では原爆の授業があるように、根室では北方領土の授業がある。
北方領土はロシアによって ”不法に” 占領されている。
でもその一方で、ビザなし訪問団とかって、同年代のロシア人の子供たちが学校とかにやって来て、
お互い国の歌を歌ったり、折り紙を教えあったり、、、。
私はそんな街で小中学校の約9年を過ごした。
小学校高学年で始まる歴史の授業より先に『かえせ北方領土』が記憶に飛び込んでくる。
だから、ロシアに対してはそんなに良い印象はないかもしれない。
でもどこか特別な国なのよね、一番身近な国のような、一番知っている国のような、、、。
昔から日本人はロシアは近くて遠い国っていうけど、
根室の人にはその思いがさらに強いんじゃないかな。
でも北方領土問題よりももっとずっと前に、根室とロシアはもうひとつ深い縁があるのをご存知ですか???
ロシア帝国の軍人アダム・ラクスマンは、シベリアのイルクーツクに滞在中に
大黒屋光太夫ら6人の日本人漂流者の出会う。
彼らをペテルブルクまで連れて行き、エカテリーナ2世に謁見し、女王からの日本送還の許可得て、
なんと彼らをエカテリーナ号で日本まで送ってくれたのだ。
(通商交渉をする遣日大使としても使命もあったが。)
そんな彼らがロシアを出発してから約1ヶ月。
1792年9月24日に到着した場所が、なんと、根室なんです!!!
そんな200年以上も前から何かと縁のあったロシアを母と2人で旅する。
日本語が話せるガイドさんとタクシーをチャーターして、サンクトペテルブルグ郊外の、
ちょうどラクスマン時代の歴史の舞台に向かった。
まずは、ペテルゴーク。
エカテリーナ2世の旦那のお爺さん、ピョートル大帝が夏を過ごすためのプライベートな宮殿。

内部は撮影禁止ですが、正直どこのヨーロッパのお城と変わらない、
鏡の間があって、猫足のベッドがあって、壁にはたくさんの絵画があって、お高そうな調度品があって、
マナーの悪い人民様御一行が禁止なのに写真撮ってたり、横入りしたり、、、
お城だけではなく、お庭の運河や噴水も素敵です。
ピョートル大帝の時代にはこのお城から直接バルト海に船を出せるように運河がつながっていたのだとか。
敷地内には200個近い噴水や人工の滝があり、当時は電力ではなく、重力と水圧で水を吹き上げていたのだとか。

300年も昔のアイディアとは思えないユーモアに溢れた噴水も。
こちら、ちびっこ大興奮のいたずらの滝。

ベンチに座ってたらいきなり背後から水が降って来ます。
このほか、傘の滝は濡れないように傘のオブジェの下に入るとそこから水が降ってくるというとってもお茶目ないたずら。
(写真ありません。)

こちらは、北方戦争の勝利を記念して作られた噴水。
ピヨートル大帝が、スウェーデンを象徴するライオンの口をこじ開けてるんだけど、、、
なんかゲー吐きかけられたみたいになってるけど大丈夫?!?!?
続きまして、エカテリーナ宮殿。

エカテリーナ2世ではなく、その義理の祖母、ピョートル大帝の奥様・エカテリーナ1世のために建てられて宮殿ですが、孫の嫁のエカテリーナ2世も使用しました。
こちらは琥珀の間以外は内部の撮影が可能でございます。
鏡の間。

こちらで、エカテリーナ2世と大黒屋光太夫が謁見しました。

エカテリーナ2世は特別な椅子を持たず、みんなと同じ椅子と食器を使って食事をとりました。

確か有田焼の暖炉。
長い廊下

大階段

実はペトロゴーフもエカテリーナ宮殿も、戦争で甚大な被害を受けて修復されたもの。


でも、宮殿の中にある美術品や調度品は全て実物。
ロシアに攻め込まれることを危惧し、すべての美術品や調度品を特別な列車でシベリアに運び込み隠しておいた。
現在も多くの場所が改修中であるが、こちらも破壊されることを予想して、たくさんの写真や資料が残されているので
比較的に改修が簡単なのだとか、、、。
、、、そっか、建物自体はレプリカなのね。
なんとなくね、新しすぎる違和感を感じていたのよね、今まで見て来たお城に比べて、、、。
それでも、こんなお城に女王様が住んでいた時代から根室とロシアには縁があったってこと。
感慨深いね。。。

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たぶんもう日本には帰国しているのですが、帰国すると人に会うので忙しくなっちゃうんですよね。
そうすると、ブログを書くのがどうしてもおそろかになってしまう。
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遠くて近い国ロシア。
幼少期を根室で過ごした私にとってはなおさら。
根室の海の向こう側にはみなさんご存知、北方領土。
島を占領され、追い出されるような形で行き場を失った多くの元住人が移り住んで来たのが根室。
だから、年に数回給食にボルシチが出たし、
おじいちゃん、おばあちゃんは北方領土で育ったっていう友達はたくさんいたし、
秋には望郷マラソンって北方領土が見渡せるコースを走る市民マラソン大会があって、
中学校では校内弁論大会があってそこで北方領土について作文を発表させられて、
街には『かえせ北方領土』っていうポスターもあるけど、お店の看板は日本語とロシア語の2ヶ国語表記。
ロシアの船が入ってくるから、たまに白人のガイジンがいるけど、それは英語ではなくロシア語を話すロシア人。
根室っ子って、ハローより先にズドラーストビーチェ覚えるんじゃないかな、これ冗談抜きで。
ちょっぴり日本っぽくない不思議な小さな小さな街、根室。
広島長崎では原爆の授業があるように、根室では北方領土の授業がある。
北方領土はロシアによって ”不法に” 占領されている。
でもその一方で、ビザなし訪問団とかって、同年代のロシア人の子供たちが学校とかにやって来て、
お互い国の歌を歌ったり、折り紙を教えあったり、、、。
私はそんな街で小中学校の約9年を過ごした。
小学校高学年で始まる歴史の授業より先に『かえせ北方領土』が記憶に飛び込んでくる。
だから、ロシアに対してはそんなに良い印象はないかもしれない。
でもどこか特別な国なのよね、一番身近な国のような、一番知っている国のような、、、。
昔から日本人はロシアは近くて遠い国っていうけど、
根室の人にはその思いがさらに強いんじゃないかな。
でも北方領土問題よりももっとずっと前に、根室とロシアはもうひとつ深い縁があるのをご存知ですか???
ロシア帝国の軍人アダム・ラクスマンは、シベリアのイルクーツクに滞在中に
大黒屋光太夫ら6人の日本人漂流者の出会う。
彼らをペテルブルクまで連れて行き、エカテリーナ2世に謁見し、女王からの日本送還の許可得て、
なんと彼らをエカテリーナ号で日本まで送ってくれたのだ。
(通商交渉をする遣日大使としても使命もあったが。)
そんな彼らがロシアを出発してから約1ヶ月。
1792年9月24日に到着した場所が、なんと、根室なんです!!!
そんな200年以上も前から何かと縁のあったロシアを母と2人で旅する。
日本語が話せるガイドさんとタクシーをチャーターして、サンクトペテルブルグ郊外の、
ちょうどラクスマン時代の歴史の舞台に向かった。
まずは、ペテルゴーク。
エカテリーナ2世の旦那のお爺さん、ピョートル大帝が夏を過ごすためのプライベートな宮殿。

内部は撮影禁止ですが、正直どこのヨーロッパのお城と変わらない、
鏡の間があって、猫足のベッドがあって、壁にはたくさんの絵画があって、お高そうな調度品があって、
マナーの悪い人民様御一行が禁止なのに写真撮ってたり、横入りしたり、、、
お城だけではなく、お庭の運河や噴水も素敵です。
ピョートル大帝の時代にはこのお城から直接バルト海に船を出せるように運河がつながっていたのだとか。
敷地内には200個近い噴水や人工の滝があり、当時は電力ではなく、重力と水圧で水を吹き上げていたのだとか。

300年も昔のアイディアとは思えないユーモアに溢れた噴水も。
こちら、ちびっこ大興奮のいたずらの滝。

ベンチに座ってたらいきなり背後から水が降って来ます。
このほか、傘の滝は濡れないように傘のオブジェの下に入るとそこから水が降ってくるというとってもお茶目ないたずら。
(写真ありません。)

こちらは、北方戦争の勝利を記念して作られた噴水。
ピヨートル大帝が、スウェーデンを象徴するライオンの口をこじ開けてるんだけど、、、
なんかゲー吐きかけられたみたいになってるけど大丈夫?!?!?
続きまして、エカテリーナ宮殿。

エカテリーナ2世ではなく、その義理の祖母、ピョートル大帝の奥様・エカテリーナ1世のために建てられて宮殿ですが、孫の嫁のエカテリーナ2世も使用しました。
こちらは琥珀の間以外は内部の撮影が可能でございます。
鏡の間。

こちらで、エカテリーナ2世と大黒屋光太夫が謁見しました。

エカテリーナ2世は特別な椅子を持たず、みんなと同じ椅子と食器を使って食事をとりました。

確か有田焼の暖炉。
長い廊下

大階段

実はペトロゴーフもエカテリーナ宮殿も、戦争で甚大な被害を受けて修復されたもの。


でも、宮殿の中にある美術品や調度品は全て実物。
ロシアに攻め込まれることを危惧し、すべての美術品や調度品を特別な列車でシベリアに運び込み隠しておいた。
現在も多くの場所が改修中であるが、こちらも破壊されることを予想して、たくさんの写真や資料が残されているので
比較的に改修が簡単なのだとか、、、。
、、、そっか、建物自体はレプリカなのね。
なんとなくね、新しすぎる違和感を感じていたのよね、今まで見て来たお城に比べて、、、。
それでも、こんなお城に女王様が住んでいた時代から根室とロシアには縁があったってこと。
感慨深いね。。。

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