<62カ国目;タジキスタン>おばあちゃんがお祈りしてくれた。。。
- 2017/04/30
- 12:38
キルギス・ビシュケクの日本人宿に滞在中。
意味不明の中国国境を共に超えたバーバラ、ズーさんとも再会。
早速ご飯に行って来ましたよー!!

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世界一周ブログランキングに参加中。今日のバナーは日本の国旗。
日本人宿に滞在中だから。
タジキスタンで突如ホームステイをすることになった。
3回寝返り打てる広々ベッド。

一緒にいればいるだけ心がつながっていく。別れがどんどん辛くなる。
”うちにも泊まりにおいでよ。一緒にバザールに行こう。” 息子さんもなんども誘ってくれる。
でも当初の予定通り2泊で次へ進もう。
日本を出発した時点で当初の予定より1週間遅れ。さらにタジクビザの凡ミスもあって予定より2週間くらい遅れている。
私がいま所持しているビザにはそれぞれ有効期限ってものがある。ある程度は余裕を持って計画したつもりだけど、
旅をし始めたら、いろんな人の話を聞いていろいろ行きたい場所、やって見たい場所は増えてくる。
いつも何かを天秤にかけていかなくてはいけない。
それが人生だね。
ドゥシャンベの宿では、オシュで共に過ごした、ドイツ人バイク旅人・トーマス、バスチャンと再会。
嬉しい再会。

トーマスは私と同業者。イケメンドクターや!!
めっちゃかっこいいやん!!絶対スクラブ(手術着)似合う。紺かエンジがいい!!
ってかこんなドクターがオーベン(指導医)やったら手元じゃなくてずっと顔見てるわー。
とか勝手に妄想。
わたし、この仕事に就いてよかったなって思うのは、憧れだったお医者さんが誰かの命のために全力尽くしてる姿を誰よりも、患者さんよりも看護師さんよりも身近で見られること。
だってやっぱりお医者さんかっこいいもん!!!テレビドラマと一緒。
私はまだまだ足元にも及ばない。
いつかはちゃんと患者さんからも同じ医者からも安心していろんなことを任せてもらえる医者になりたい。
帰ったら修行のし直しだ!!
って話は逸れましたが。。。
2日目の夜、私は明日先に進むってことを伝えた。たった2日しか一緒にいないのに、それを伝えるのが辛かった。
何度も何度もそのタイミングを逃した。
やっと言えたけど、行った瞬間寂しさがこみ上げて来た。
初日の夜も、寝る前におばあちゃんは私の部屋に来てしばらくソファに座っていった。
言葉通じないから何にもしない。ニコニコ微笑み合うだけ。
しばらくしたらおばあちゃんは、お休みのジェスチャーをして部屋から出て行った。
”スパコーイナイノーチ。”たしかこれ、ロシア語でおやすみなさい。
その翌日、出発前の夜も、寝る前におばあちゃんは私の部屋にやって来た。
ムスリムのお祈り用のマットと、数珠のようなものを持って。
そしてマットを敷いて、そのマットの前に私の荷物を置いた。
そして、私の目の前でお祈りを始めた。
その時私は日記を書いていた。
、、、んっと、、、えっと、、、あたしゃどうしたらいいんだ?
とりあえず、日記書くのやめて正座しとくべき?
凝視していいんだろうか??
場所的におばあちゃんの真ん前にいるんだけど、こっち向いて祈ってるってことは私の方角にメッカがあるんだよね??
ってことは私はメッカとおばあちゃんの間にある障害物?
ちょっとずれてよけるべきか??
でも、わざわざ私の荷物をマットの前に置いたし、、、これは私に向けて祈ってくれているようにも思える。
よけたら失礼か、、、。
とりあえず、その場でおとなしくしていた。視界はずらし目にして。
お祈りの途中からおばあちゃんが数珠みたいなのを持ってお祈りをし始めた。
何度かモスクでムスリムが祈ってる瞬間を見たことがある。
だけど、数珠なんて使ってるの見たことがなかった。仏教徒みたいだなー、なんて思ってたけど、、、
お祈りが終わったらおばあちゃんがその数珠をくれた。
それと一緒に頭を覆うスカーフも。

この時思ったよ。
おばあちゃんはカーバ神殿に向かってじゃなくて私のために祈ってくれてたんだって。
たぶん、旅の安全を願って、荷物と私にも念を送ってくれて、あの数珠をくれたんだ。。。
何かせめてものお礼をしたいけど、私はいっつも貰うばかりで何にも持ってない。
5円玉があったのでそれを使って時間があるときに少しずつ練習しているマクラメ編みのブレスレットを作った。
みんな分作りたかったけど、時間がなくておばあちゃんとサラの分しか作れなかった。
翌朝、渡そうと思ったら、おばあちゃんいなかった。もう出かけちゃったらしい。
あー、言葉が通じたら、前日にそのことがわかってたら、早起きしてありがとうとさようならを伝えたかったし、
最後にもう1回ハグもしたかった。
言葉が通じないのもどかしいね。
サラにおばあちゃんの分も託す。そしたらサラは私にピアスと髪留めをくれた。
もう何にもいらないのに。。。
みんなにお別れ。また帰ってこなきゃいけない場所ができた。
パミール高原がシーズンの時期に必ず帰ってくるからね。


たくさんの優しさと思い出をありがとう。

おばあちゃんがくれたスカーフ。これから向かうイランでは必須だからね。
これ付けてイランは旅しよう。

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タジキスタンで突如ホームステイをすることになった。
3回寝返り打てる広々ベッド。

一緒にいればいるだけ心がつながっていく。別れがどんどん辛くなる。
”うちにも泊まりにおいでよ。一緒にバザールに行こう。” 息子さんもなんども誘ってくれる。
でも当初の予定通り2泊で次へ進もう。
日本を出発した時点で当初の予定より1週間遅れ。さらにタジクビザの凡ミスもあって予定より2週間くらい遅れている。
私がいま所持しているビザにはそれぞれ有効期限ってものがある。ある程度は余裕を持って計画したつもりだけど、
旅をし始めたら、いろんな人の話を聞いていろいろ行きたい場所、やって見たい場所は増えてくる。
いつも何かを天秤にかけていかなくてはいけない。
それが人生だね。
ドゥシャンベの宿では、オシュで共に過ごした、ドイツ人バイク旅人・トーマス、バスチャンと再会。
嬉しい再会。

トーマスは私と同業者。イケメンドクターや!!
めっちゃかっこいいやん!!絶対スクラブ(手術着)似合う。紺かエンジがいい!!
ってかこんなドクターがオーベン(指導医)やったら手元じゃなくてずっと顔見てるわー。
とか勝手に妄想。
わたし、この仕事に就いてよかったなって思うのは、憧れだったお医者さんが誰かの命のために全力尽くしてる姿を誰よりも、患者さんよりも看護師さんよりも身近で見られること。
だってやっぱりお医者さんかっこいいもん!!!テレビドラマと一緒。
私はまだまだ足元にも及ばない。
いつかはちゃんと患者さんからも同じ医者からも安心していろんなことを任せてもらえる医者になりたい。
帰ったら修行のし直しだ!!
って話は逸れましたが。。。
2日目の夜、私は明日先に進むってことを伝えた。たった2日しか一緒にいないのに、それを伝えるのが辛かった。
何度も何度もそのタイミングを逃した。
やっと言えたけど、行った瞬間寂しさがこみ上げて来た。
初日の夜も、寝る前におばあちゃんは私の部屋に来てしばらくソファに座っていった。
言葉通じないから何にもしない。ニコニコ微笑み合うだけ。
しばらくしたらおばあちゃんは、お休みのジェスチャーをして部屋から出て行った。
”スパコーイナイノーチ。”たしかこれ、ロシア語でおやすみなさい。
その翌日、出発前の夜も、寝る前におばあちゃんは私の部屋にやって来た。
ムスリムのお祈り用のマットと、数珠のようなものを持って。
そしてマットを敷いて、そのマットの前に私の荷物を置いた。
そして、私の目の前でお祈りを始めた。
その時私は日記を書いていた。
、、、んっと、、、えっと、、、あたしゃどうしたらいいんだ?
とりあえず、日記書くのやめて正座しとくべき?
凝視していいんだろうか??
場所的におばあちゃんの真ん前にいるんだけど、こっち向いて祈ってるってことは私の方角にメッカがあるんだよね??
ってことは私はメッカとおばあちゃんの間にある障害物?
ちょっとずれてよけるべきか??
でも、わざわざ私の荷物をマットの前に置いたし、、、これは私に向けて祈ってくれているようにも思える。
よけたら失礼か、、、。
とりあえず、その場でおとなしくしていた。視界はずらし目にして。
お祈りの途中からおばあちゃんが数珠みたいなのを持ってお祈りをし始めた。
何度かモスクでムスリムが祈ってる瞬間を見たことがある。
だけど、数珠なんて使ってるの見たことがなかった。仏教徒みたいだなー、なんて思ってたけど、、、
お祈りが終わったらおばあちゃんがその数珠をくれた。
それと一緒に頭を覆うスカーフも。

この時思ったよ。
おばあちゃんはカーバ神殿に向かってじゃなくて私のために祈ってくれてたんだって。
たぶん、旅の安全を願って、荷物と私にも念を送ってくれて、あの数珠をくれたんだ。。。
何かせめてものお礼をしたいけど、私はいっつも貰うばかりで何にも持ってない。
5円玉があったのでそれを使って時間があるときに少しずつ練習しているマクラメ編みのブレスレットを作った。
みんな分作りたかったけど、時間がなくておばあちゃんとサラの分しか作れなかった。
翌朝、渡そうと思ったら、おばあちゃんいなかった。もう出かけちゃったらしい。
あー、言葉が通じたら、前日にそのことがわかってたら、早起きしてありがとうとさようならを伝えたかったし、
最後にもう1回ハグもしたかった。
言葉が通じないのもどかしいね。
サラにおばあちゃんの分も託す。そしたらサラは私にピアスと髪留めをくれた。
もう何にもいらないのに。。。
みんなにお別れ。また帰ってこなきゃいけない場所ができた。
パミール高原がシーズンの時期に必ず帰ってくるからね。


たくさんの優しさと思い出をありがとう。

おばあちゃんがくれたスカーフ。これから向かうイランでは必須だからね。
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