<61カ国目;キルギス>人生最悪の凡ミスでタジキスタンに入国できなかった話
- 2017/04/24
- 18:47
こんにちは。
予約投稿でリアリタイムとの時差が生じでおりますが、2度目のアタックで本日無事タジキスタンに入国しました!!
タジキスタンもネット規制があると聞いていましたが、比較的サクサク繋がります。
しかし、インスタグラムとツイッターにアクセスができません_(:□ 」∠)_。

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キルギス・オシュに到着した翌日。
キルギス人の男の子・ティモがオシュから40キロほど離れたところにある湖に行くのにタクシーをシェアする仲間を探していた。
私たちは前日の夜に到着したばかりだったし、私は翌日にすぐタジキスタンに移動する予定だった。
タジキスタンの後、またオシュに戻ってくる。観光は戻って来てからでいいやと思っていた。
丁重にお断りすると、しばらくしてまたティモが私たちのところにやって来た。
”自分は明日地元に戻るからどうしても今日行かなければならい。
タクシーを1台チャーターしていて1人じゃ寂しいから、もうお金いらないから一緒に行こうよ!!”
っていうお誘い。
タダなら行く〜〜!!(((o(*゚▽゚*)o)))
お菓子と飲み物を買い込んでいざ!!!

のどかな道が続いている。
ティモくんはオシュの観光資源について調査しているらしい。ホテルに聞き込み行ったりしてた。
ツーリズムについて勉強している彼、旅行に興味なくて国内旅行もほとんどしたことがなかったらしい。
そんな彼に、私らはどんな風に写っているのかな。
45分ほどのドライブで湖に到着。
湖というか、ダムっぽい。知らずに歩いていたら立入禁止区域だったようで警備員さんに怒られる_(:□ 」∠)_。
タクシーの運転手さんに別のポイントまで連れて行ってもらう。
湖の色は青く澄んでいてとてもキレイ。と言ってもやっぱり前日に見た雪景色の空の青さが鮮やかすぎたから
それには負ける。

ティモくんと湖沿いを歩いていると、釣りをしながらピックニックしているおじさんたちに遭遇。
私たちに声をかけてくれた。
お茶とピラフをご馳走してくれた。

そのほかにも卵や、ネギ、くるみや、ひまわりの種、、、次から次へといろいろ出てくる。
卵も、ネギも、くるみも、ひまわりも、おじさんの村で作られたもので、お店で買ったものじゃないんだって。
パミール高原の山の麓に住むおじさん。パミールの山々を見ながら暮らす自分の村が大好きらしい。
いつか日本の ”フジヤマ”を見るのが夢なのだとか。でも今は仕事が忙しくてどこにも行けないのだとか。
ティモくんが通訳をしてくれるからおしゃべりができるけど、ロシア語の知識がないことが本当に悔やまれる。
中央アジア、英語を喋れる人は少ない。
私が外人だってわかると(キルギス人にはびっくりするくらい日本人顔の人とちょっとどこかで欧米の血が混ざったような肌の白いアジア人、、、例えていうなら、白鵬みたいな、、、の顔の人がいる。)積極的にはなしかけてくれるひともいるけど、彼らの英語も結局 ”What is your name?"レベル。その先の会話がなかなか繋がらない。
ロシア語は、ダー(はい)くらいしか言えない。
”シュトーエータ?”っていうのが ”これなんですか?” っぽい。
あと、よく”スパコーイ”っていわれるんだけど、これは一体なんだ???
あと、”OK” はおなじみ ”ハラショー”
”ニエット ロスキー” ロシア語は話せませんアピール。
あと、”カレンカ、カレンカ??”って聞かれるんだけど、これは多分韓国人?て尋ねられてるんだと思って
”ヤポンスカ”って返す。
名前を聞かれていることすらわからない。
今一番欲しいものは、ロシア語の指差し会話帳です!!
ウォッカを飲みながら上機嫌なおじさんたち。
しばらく一緒にピクニックをしていると警察官がやって来た。
どうやらここ、釣り禁止らしい。笑。
ティモくんのとっさの機転でタクシーが迎えにくる時間だからと、その場を退散。
でも、おじさんたちのおかげて、いい天気といい景色の中で思いがけないピクニックが楽しめた。
おじさんたちありがどう。
パミール高原もいいけど、富士山も素敵だよ。いつか見に来てね!
さて、この日の晩御飯。
一緒に国境を超えたズーさん、ティモくん、私は翌日にオシュを後にする。
みんなで最後の晩餐。
ローカルレストランへ。
薄暗くて、静かな店内。BGMもかかってないし、お客さんの話す声も控えめな気がする。

お座敷席が病院のベッドみたい。
頼んだのはもちろんラグマン。キルギスラグマン第1号!!

美味しかったねー。

味はウイグルのものとほとんど変わりません。
さて翌日、私はタジキスタンに向けて出発。
宿でタクシーを手配してもらった。
本来であれば長距離シェアタクシー乗り場に行って乗らなければならない。
シェアタクシーは満席にならないと出発しない。すぐに満席になることもあれば、数時間待たされることも。。。
アフリカの国でもよくあったシステム。
だけど、宿で手配してもらうと私の分の席以外が満席になった時点でなんと宿まで迎えに来てくるのだ!!
私の分以外が埋まるのを待たなきゃいけないのは同じだから出発が何時になるかはわからない。
だけど、宿にシェアタクシーがやってくる30分前くらいに宿のオーナーさんに連絡が入るからそれまでは宿でネットをいじったりしながら待っていることができる。
長距離シェアタクシー乗り場までのタクシー代もかからない。
でも、、、お値段高いんでしょ??? ってことになるのかと思いきや、ネットで調べた金額と同じ。
割増料金もなければ、手数料もない。
あと30分って言われてから、1時間半後にお迎えはやって来た、、、。
どうやら同じように予約お迎えの人がいたようだがお迎えポイントに行ったら予約キャンセルになってしまって、また満席になるまで人探しをしていたらしい。
8人乗りのミニバン。私が最後だったから、真ん中の席しか空いてなかった。
隣の女の人が赤ちゃん抱っこしてる。変な咳してる。
そんでもって時折、赤ちゃんの頭が私の腕に触れるんだけど、汗まみれの上にめちゃめちゃ熱い、、、。
熱発してますね。。。こんな子車に乗せて大丈夫かね?道はそれほどいいわけじゃない。
、、、嘔吐大丈夫かな、、、。私も変な風とか引きたくないな、、、とか思ったり。
そうこうしているうちに、キルギス側の国境の町・バトケンに到着。
ここで、国境を超えてタジキスタンの国境の町・イスファラ行きのシェアタクシーに乗り換える。
もちろんここでも、満席になるのを待ちます。
、、、、誰もこない、、、。
私は、イスファラでもシェアタクシーを乗り換えてさらに先のホジェンドという町まで行く。
それを知っている運転手さんがあまりにも人が来ないので、追加料金を払えば今すぐに出発してくれると、提案してくれた。
うーん、お金もったいないけど、、、暗くなる前にホジェンドについておきたいしな、、、、。
悩んでいたら、ついに乗客がやって来て出発。
キルギス国境をサクッと越えて、、、
車で数百メートル先のタジキスタン側の国境に到着。
ここでもパスポートとあらかじめコピーしていたオンラインビザを渡すと、、、、
なんかロシア語で話しかけられるんだけど、何を言っているのかちっとも理解できない。
困り果ててたら、英語ができる人がやって来た。
”このビザ4月20日からです!だから君は4月20日まで入国できないよ。”
、、、、、、っはい???そんなわけはないと思うのですが、、、って
見てみてたら、、、

もう弁解の余地ないっす。
(ちなみにこの日は4月16日。)
ああああぁぁぁぁぁーーーーー〜〜〜〜。゚(゚´Д`゚)゚。
完全に凡ミスや、、、4月12日から有効のつもりでいた。
よく、ビザが必要なのに、リサーチ不足でそれを知らずに国境まで行ってビザないからもちろん越境できず、とかいう話聞くけど、
私の場合、ビザは申請していた。しかもなんならタジクのビザはこちら側で有効期限を指定できる。
要は自分で4月20日って指定したのに4月12日からっていつの段階からか覚え違いをしていたという残念すぎるやつ。
凡ミスや、、、私の人生においても結構でかい方や。
そんなわけで、タクシーは私をタジク国境においてイスファラへと向かっていた。
1人逆方向を向き、トボトボと歩いてキルギス側の国境に戻る。
”アホなヤポンスカがビザ期限間違ってて入国できないのでそちらに送り返します。”
そんな連絡がタジク側からキルギス側に行っていたのかわからないけど、
”ビザプロブレム?”といってゲートを開けて待っていてくれた。スタンプ押すお兄さんも苦笑い。
そして、ゲートを警備している兵隊さんが、”そこ座っとけ”って日陰に私を座らせて、街へと帰る車を見つけてくれた。
中央アジアではおなじみの有料ヒッチハイク。
4月20にちまであと4日。国境の街、バトケンで20日を待つことも考えたけど、私はまた5時間かけでオシュまで戻ることにした。
オシュはキルギス第2の都市。バトケンは小さな街なので4日間は持て余してしまうような気がした。
そして宿にはバーバラやトーマス達がいるはずだった。
運転手さんに携帯を借りて宿に電話をしていたので、オーナーさんが、バーバラ達に事情を話していたようだ。
”タジキスタンってそんなに小さい国だったのね。”
”そんなにここが気に入ったん??”
みんなが苦笑いのジョークで迎えてくれた。
この人たち、本当に大好き!!!
帰って来てよかった。
ここから数日間、アットホームなオシュでの沈没生活が始まります。

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キルギス人の男の子・ティモがオシュから40キロほど離れたところにある湖に行くのにタクシーをシェアする仲間を探していた。
私たちは前日の夜に到着したばかりだったし、私は翌日にすぐタジキスタンに移動する予定だった。
タジキスタンの後、またオシュに戻ってくる。観光は戻って来てからでいいやと思っていた。
丁重にお断りすると、しばらくしてまたティモが私たちのところにやって来た。
”自分は明日地元に戻るからどうしても今日行かなければならい。
タクシーを1台チャーターしていて1人じゃ寂しいから、もうお金いらないから一緒に行こうよ!!”
っていうお誘い。
タダなら行く〜〜!!(((o(*゚▽゚*)o)))
お菓子と飲み物を買い込んでいざ!!!

のどかな道が続いている。
ティモくんはオシュの観光資源について調査しているらしい。ホテルに聞き込み行ったりしてた。
ツーリズムについて勉強している彼、旅行に興味なくて国内旅行もほとんどしたことがなかったらしい。
そんな彼に、私らはどんな風に写っているのかな。
45分ほどのドライブで湖に到着。
湖というか、ダムっぽい。知らずに歩いていたら立入禁止区域だったようで警備員さんに怒られる_(:□ 」∠)_。
タクシーの運転手さんに別のポイントまで連れて行ってもらう。
湖の色は青く澄んでいてとてもキレイ。と言ってもやっぱり前日に見た雪景色の空の青さが鮮やかすぎたから
それには負ける。

ティモくんと湖沿いを歩いていると、釣りをしながらピックニックしているおじさんたちに遭遇。
私たちに声をかけてくれた。
お茶とピラフをご馳走してくれた。

そのほかにも卵や、ネギ、くるみや、ひまわりの種、、、次から次へといろいろ出てくる。
卵も、ネギも、くるみも、ひまわりも、おじさんの村で作られたもので、お店で買ったものじゃないんだって。
パミール高原の山の麓に住むおじさん。パミールの山々を見ながら暮らす自分の村が大好きらしい。
いつか日本の ”フジヤマ”を見るのが夢なのだとか。でも今は仕事が忙しくてどこにも行けないのだとか。
ティモくんが通訳をしてくれるからおしゃべりができるけど、ロシア語の知識がないことが本当に悔やまれる。
中央アジア、英語を喋れる人は少ない。
私が外人だってわかると(キルギス人にはびっくりするくらい日本人顔の人とちょっとどこかで欧米の血が混ざったような肌の白いアジア人、、、例えていうなら、白鵬みたいな、、、の顔の人がいる。)積極的にはなしかけてくれるひともいるけど、彼らの英語も結局 ”What is your name?"レベル。その先の会話がなかなか繋がらない。
ロシア語は、ダー(はい)くらいしか言えない。
”シュトーエータ?”っていうのが ”これなんですか?” っぽい。
あと、よく”スパコーイ”っていわれるんだけど、これは一体なんだ???
あと、”OK” はおなじみ ”ハラショー”
”ニエット ロスキー” ロシア語は話せませんアピール。
あと、”カレンカ、カレンカ??”って聞かれるんだけど、これは多分韓国人?て尋ねられてるんだと思って
”ヤポンスカ”って返す。
名前を聞かれていることすらわからない。
今一番欲しいものは、ロシア語の指差し会話帳です!!
ウォッカを飲みながら上機嫌なおじさんたち。
しばらく一緒にピクニックをしていると警察官がやって来た。
どうやらここ、釣り禁止らしい。笑。
ティモくんのとっさの機転でタクシーが迎えにくる時間だからと、その場を退散。
でも、おじさんたちのおかげて、いい天気といい景色の中で思いがけないピクニックが楽しめた。
おじさんたちありがどう。
パミール高原もいいけど、富士山も素敵だよ。いつか見に来てね!
さて、この日の晩御飯。
一緒に国境を超えたズーさん、ティモくん、私は翌日にオシュを後にする。
みんなで最後の晩餐。
ローカルレストランへ。
薄暗くて、静かな店内。BGMもかかってないし、お客さんの話す声も控えめな気がする。

お座敷席が病院のベッドみたい。
頼んだのはもちろんラグマン。キルギスラグマン第1号!!

美味しかったねー。

味はウイグルのものとほとんど変わりません。
さて翌日、私はタジキスタンに向けて出発。
宿でタクシーを手配してもらった。
本来であれば長距離シェアタクシー乗り場に行って乗らなければならない。
シェアタクシーは満席にならないと出発しない。すぐに満席になることもあれば、数時間待たされることも。。。
アフリカの国でもよくあったシステム。
だけど、宿で手配してもらうと私の分の席以外が満席になった時点でなんと宿まで迎えに来てくるのだ!!
私の分以外が埋まるのを待たなきゃいけないのは同じだから出発が何時になるかはわからない。
だけど、宿にシェアタクシーがやってくる30分前くらいに宿のオーナーさんに連絡が入るからそれまでは宿でネットをいじったりしながら待っていることができる。
長距離シェアタクシー乗り場までのタクシー代もかからない。
でも、、、お値段高いんでしょ??? ってことになるのかと思いきや、ネットで調べた金額と同じ。
割増料金もなければ、手数料もない。
あと30分って言われてから、1時間半後にお迎えはやって来た、、、。
どうやら同じように予約お迎えの人がいたようだがお迎えポイントに行ったら予約キャンセルになってしまって、また満席になるまで人探しをしていたらしい。
8人乗りのミニバン。私が最後だったから、真ん中の席しか空いてなかった。
隣の女の人が赤ちゃん抱っこしてる。変な咳してる。
そんでもって時折、赤ちゃんの頭が私の腕に触れるんだけど、汗まみれの上にめちゃめちゃ熱い、、、。
熱発してますね。。。こんな子車に乗せて大丈夫かね?道はそれほどいいわけじゃない。
、、、嘔吐大丈夫かな、、、。私も変な風とか引きたくないな、、、とか思ったり。
そうこうしているうちに、キルギス側の国境の町・バトケンに到着。
ここで、国境を超えてタジキスタンの国境の町・イスファラ行きのシェアタクシーに乗り換える。
もちろんここでも、満席になるのを待ちます。
、、、、誰もこない、、、。
私は、イスファラでもシェアタクシーを乗り換えてさらに先のホジェンドという町まで行く。
それを知っている運転手さんがあまりにも人が来ないので、追加料金を払えば今すぐに出発してくれると、提案してくれた。
うーん、お金もったいないけど、、、暗くなる前にホジェンドについておきたいしな、、、、。
悩んでいたら、ついに乗客がやって来て出発。
キルギス国境をサクッと越えて、、、
車で数百メートル先のタジキスタン側の国境に到着。
ここでもパスポートとあらかじめコピーしていたオンラインビザを渡すと、、、、
なんかロシア語で話しかけられるんだけど、何を言っているのかちっとも理解できない。
困り果ててたら、英語ができる人がやって来た。
”このビザ4月20日からです!だから君は4月20日まで入国できないよ。”
、、、、、、っはい???そんなわけはないと思うのですが、、、って
見てみてたら、、、

もう弁解の余地ないっす。
(ちなみにこの日は4月16日。)
ああああぁぁぁぁぁーーーーー〜〜〜〜。゚(゚´Д`゚)゚。
完全に凡ミスや、、、4月12日から有効のつもりでいた。
よく、ビザが必要なのに、リサーチ不足でそれを知らずに国境まで行ってビザないからもちろん越境できず、とかいう話聞くけど、
私の場合、ビザは申請していた。しかもなんならタジクのビザはこちら側で有効期限を指定できる。
要は自分で4月20日って指定したのに4月12日からっていつの段階からか覚え違いをしていたという残念すぎるやつ。
凡ミスや、、、私の人生においても結構でかい方や。
そんなわけで、タクシーは私をタジク国境においてイスファラへと向かっていた。
1人逆方向を向き、トボトボと歩いてキルギス側の国境に戻る。
”アホなヤポンスカがビザ期限間違ってて入国できないのでそちらに送り返します。”
そんな連絡がタジク側からキルギス側に行っていたのかわからないけど、
”ビザプロブレム?”といってゲートを開けて待っていてくれた。スタンプ押すお兄さんも苦笑い。
そして、ゲートを警備している兵隊さんが、”そこ座っとけ”って日陰に私を座らせて、街へと帰る車を見つけてくれた。
中央アジアではおなじみの有料ヒッチハイク。
4月20にちまであと4日。国境の街、バトケンで20日を待つことも考えたけど、私はまた5時間かけでオシュまで戻ることにした。
オシュはキルギス第2の都市。バトケンは小さな街なので4日間は持て余してしまうような気がした。
そして宿にはバーバラやトーマス達がいるはずだった。
運転手さんに携帯を借りて宿に電話をしていたので、オーナーさんが、バーバラ達に事情を話していたようだ。
”タジキスタンってそんなに小さい国だったのね。”
”そんなにここが気に入ったん??”
みんなが苦笑いのジョークで迎えてくれた。
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帰って来てよかった。
ここから数日間、アットホームなオシュでの沈没生活が始まります。

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