<60カ国目;ネパール>私の名前はf○○kです
- 2017/02/14
- 21:21
こんにちは。現在、ネパール・ポカラ。毎日ぐだぐだまったりです。
宿のお兄さんがギター上手なので、連日教えてもらってます。
ギター、移動日じゃない限り、毎日出して弾いてます。まだ1曲も形になってませんが、
歌ってよ!!って言われて躊躇なく弾ける曲をいくつか作りたいです!!
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私の名前はチカです。
スペイン語やポルトガル語でチカ=chicaは、女の子や小さいっていう意味。
なのでアルファベットでもスペルはCHICAにしています。
モンゴル語でも、女性的、とか綺麗っていう意味らしくて、
ロシア語では〇〇ちゃん、みたいな意味らしい。
日本語の名前は独特だからなかなか難しいなかで、こう言った言葉と関連つけて覚えてもらってます。
スペイン語圏で自分の名前を言うとまず、笑われる。そして、"でもchicaは大きいね(身長が)。”って言われる。
そんな私の名前、”ちか”は世界的にかわいい意味を持っているのですが、ここネパールでは最悪なんです。
もろにF〇〇Kを意味するらしいです。
これを教えてくれたのは、北インドのマナリで入り浸っていたカフェのお兄さん。ネパール人だった。
話は少しそれますが、
インドのチベタンエリア、レーを目指して寄ったマナリ。高度順応のための滞在だったのだけど、その時旅していたみんなで体調崩した。
それでみんなで、葛根湯を飲んでいた。
私も今、風邪っぽくて葛根湯を飲んでいるんですよ。マナリでしていたように、蜂蜜レモンジンジャーに溶かして。
それで、街の雰囲気も似ていてインドでのことを色々思い出してしまったわけです。
二度と行きたくないと思った国だけど、最近はまた、行ってもいいかなって思っている自分。
うん、でもやっぱり優先順位は低いけどね。
そして葛根湯でもうひとネタ。
アフリカを一緒に旅していたメンバーも道中で一度体調を崩した。
だから、私の葛根湯をあげた。
そしたら、それをあけるなり、”これ、焼きそばの匂いがする!!” とか言い出して、
みんなも ”あー、まじだー。” とかいって、みんな一生懸命くんくんしている。
、、、いやぁ。懐かしいね、っていうか、アホだね。うちら。
あの頃は日本の味に飢えていたもんね。
今思い出しても、にやけちゃう。楽しかった時間。
旅友が投稿していた言葉。『二度と戻れない時間』。
1日1日を大切にしなくちゃ!!
っていう葛根湯の話はどうでもよくて、私の名前についてです。
そうなんですよ。F〇〇Kなんですよ。
だから、カフェのお兄さんにネパールでは自分の名前言っちゃダメだよって言われて、その代わりに、ネパールの名前をもらった。
Muskan (ムスカン)。happy っていう意味です。
だからネパールでの私の名前はムスカンです。
オーストラリアの最初の仕事のイタリアンレストランにネパール人がいて、その人も私のことをムスカンって呼んでくれた。
現地語で変な意味の名前を持つ日本人、きっと私だけじゃないはず。
そんな名前のお話。
カトマンドゥで行った場所。ダルハール広場。王宮前広場。王宮の前に面した王国の中心地であった場所。
ところでネパールの王朝って、2008年に廃止されたばっかりだって知ってました?
つい10年前までは王様がいたんです。
そしてびっくりなことに、2001年6月に国王を含む王族9人が殺害される事件が起こっているんです。
王太子ディペンドラが国王であるビレンドラを含む王族を銃撃し、その後地震も自殺を図ったというもの。
ただ、事件に不自然な点や、矛盾が多数存在することから、ディペンドラが真犯人かは疑問視されている。
ディペンドラは左利きなのに、自殺のために頭を撃ち抜いた銃弾は右側から貫通していたり、事件時泥酔状態だと言われてたディペンドラの体内からはアルコールが検出されなかったり。
国王亡き後、昏睡状態だったディペンドラが3日間王位に就いたのちに死亡。その後に就いたビレンドラ国王の弟ギャレンドラのクーデターとする説もある。というのも、王族が一同集結する晩餐会なのい、ギャレンドラの一族はほとんど参加していなかった。そして参加した者もギャレンドラの親類だけ無傷だった。
こんなことがつい最近起こっていたんですね。王位争いとか、近代ヨーロッパで終わったかと思ってた。
事件の現場となったのはこのダルハール広場ではありませんが、そんなネパール王室ゆかりの地なのですが、、、

壊れてる。

ぼろっぼろ。

倒れそう。
完全にただの瓦礫の山になっているものもある。
そうなんです、2015年に起きた地震のダメージです。

いろいろなところに足場が組まれて修復作業をしているようだけど、まだまだ道は長いんじゃないかな。

ミュージアムも閉館中。
私、これはこれでいいと思うんだよね。無理に修復しなくても。
ネパール王朝の象徴として豪華絢爛を誇った王宮広場も自然の脅威にはかなわなかった。
完成した物はいつか壊れるっていうのが自然の摂理。
ギラギラに修復しました!!みたいな観光地いっぱいあるけど、それに果たして価値はあるのかなぁ。
そういうところ、私あんまり好きじゃない。けど、お金がある国はそういうことやりがち。
東欧とかアジアってお金がないから、そのままのそのままの状態で保たれている遺跡が沢山ある。
世界遺産でも野ざらし。
そういうところが自然な感じや歴史の重みが感じれられて好き。
毎年毎年、世界遺産が増えていくけれど、ありすぎてそのありがたみが薄れてくる気がする。
でも、震災の被害を逃れたところはやっぱりすごい。

かなり傾いてるけどね。

骸骨かわいい

これ、王様からのなぞなぞなんだって。壁に描かれた文字。

世界中のいろいろな言語(文字)で描かれている。日本語もあるらしいけど、見つけられなかった。

こちらは英語。WINTERはわかるね。
これを、解読することができたら、この排水溝からミルクを流すと王様が言ったそうだ。

でも、未だにミルクは流れていない。
って自称ガイドおじさんが勝手に説明してくれた。ノーマネーって言って逃げる。
ネパールには生き神、クマリ様がいらっしゃる。
そのお屋敷もダルハール広場に面している。生き神様を写真で撮ることは禁止されているが、時折顔を出してくれるっていうから、少し待っていいたものの、、、現れなかった。残念、、、。

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宿のお兄さんがギター上手なので、連日教えてもらってます。
ギター、移動日じゃない限り、毎日出して弾いてます。まだ1曲も形になってませんが、
歌ってよ!!って言われて躊躇なく弾ける曲をいくつか作りたいです!!
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スペイン語やポルトガル語でチカ=chicaは、女の子や小さいっていう意味。
なのでアルファベットでもスペルはCHICAにしています。
モンゴル語でも、女性的、とか綺麗っていう意味らしくて、
ロシア語では〇〇ちゃん、みたいな意味らしい。
日本語の名前は独特だからなかなか難しいなかで、こう言った言葉と関連つけて覚えてもらってます。
スペイン語圏で自分の名前を言うとまず、笑われる。そして、"でもchicaは大きいね(身長が)。”って言われる。
そんな私の名前、”ちか”は世界的にかわいい意味を持っているのですが、ここネパールでは最悪なんです。
もろにF〇〇Kを意味するらしいです。
これを教えてくれたのは、北インドのマナリで入り浸っていたカフェのお兄さん。ネパール人だった。
話は少しそれますが、
インドのチベタンエリア、レーを目指して寄ったマナリ。高度順応のための滞在だったのだけど、その時旅していたみんなで体調崩した。
それでみんなで、葛根湯を飲んでいた。
私も今、風邪っぽくて葛根湯を飲んでいるんですよ。マナリでしていたように、蜂蜜レモンジンジャーに溶かして。
それで、街の雰囲気も似ていてインドでのことを色々思い出してしまったわけです。
二度と行きたくないと思った国だけど、最近はまた、行ってもいいかなって思っている自分。
うん、でもやっぱり優先順位は低いけどね。
そして葛根湯でもうひとネタ。
アフリカを一緒に旅していたメンバーも道中で一度体調を崩した。
だから、私の葛根湯をあげた。
そしたら、それをあけるなり、”これ、焼きそばの匂いがする!!” とか言い出して、
みんなも ”あー、まじだー。” とかいって、みんな一生懸命くんくんしている。
、、、いやぁ。懐かしいね、っていうか、アホだね。うちら。
あの頃は日本の味に飢えていたもんね。
今思い出しても、にやけちゃう。楽しかった時間。
旅友が投稿していた言葉。『二度と戻れない時間』。
1日1日を大切にしなくちゃ!!
っていう葛根湯の話はどうでもよくて、私の名前についてです。
そうなんですよ。F〇〇Kなんですよ。
だから、カフェのお兄さんにネパールでは自分の名前言っちゃダメだよって言われて、その代わりに、ネパールの名前をもらった。
Muskan (ムスカン)。happy っていう意味です。
だからネパールでの私の名前はムスカンです。
オーストラリアの最初の仕事のイタリアンレストランにネパール人がいて、その人も私のことをムスカンって呼んでくれた。
現地語で変な意味の名前を持つ日本人、きっと私だけじゃないはず。
そんな名前のお話。
カトマンドゥで行った場所。ダルハール広場。王宮前広場。王宮の前に面した王国の中心地であった場所。
ところでネパールの王朝って、2008年に廃止されたばっかりだって知ってました?
つい10年前までは王様がいたんです。
そしてびっくりなことに、2001年6月に国王を含む王族9人が殺害される事件が起こっているんです。
王太子ディペンドラが国王であるビレンドラを含む王族を銃撃し、その後地震も自殺を図ったというもの。
ただ、事件に不自然な点や、矛盾が多数存在することから、ディペンドラが真犯人かは疑問視されている。
ディペンドラは左利きなのに、自殺のために頭を撃ち抜いた銃弾は右側から貫通していたり、事件時泥酔状態だと言われてたディペンドラの体内からはアルコールが検出されなかったり。
国王亡き後、昏睡状態だったディペンドラが3日間王位に就いたのちに死亡。その後に就いたビレンドラ国王の弟ギャレンドラのクーデターとする説もある。というのも、王族が一同集結する晩餐会なのい、ギャレンドラの一族はほとんど参加していなかった。そして参加した者もギャレンドラの親類だけ無傷だった。
こんなことがつい最近起こっていたんですね。王位争いとか、近代ヨーロッパで終わったかと思ってた。
事件の現場となったのはこのダルハール広場ではありませんが、そんなネパール王室ゆかりの地なのですが、、、

壊れてる。

ぼろっぼろ。

倒れそう。
完全にただの瓦礫の山になっているものもある。
そうなんです、2015年に起きた地震のダメージです。

いろいろなところに足場が組まれて修復作業をしているようだけど、まだまだ道は長いんじゃないかな。

ミュージアムも閉館中。
私、これはこれでいいと思うんだよね。無理に修復しなくても。
ネパール王朝の象徴として豪華絢爛を誇った王宮広場も自然の脅威にはかなわなかった。
完成した物はいつか壊れるっていうのが自然の摂理。
ギラギラに修復しました!!みたいな観光地いっぱいあるけど、それに果たして価値はあるのかなぁ。
そういうところ、私あんまり好きじゃない。けど、お金がある国はそういうことやりがち。
東欧とかアジアってお金がないから、そのままのそのままの状態で保たれている遺跡が沢山ある。
世界遺産でも野ざらし。
そういうところが自然な感じや歴史の重みが感じれられて好き。
毎年毎年、世界遺産が増えていくけれど、ありすぎてそのありがたみが薄れてくる気がする。
でも、震災の被害を逃れたところはやっぱりすごい。

かなり傾いてるけどね。

骸骨かわいい

これ、王様からのなぞなぞなんだって。壁に描かれた文字。

世界中のいろいろな言語(文字)で描かれている。日本語もあるらしいけど、見つけられなかった。

こちらは英語。WINTERはわかるね。
これを、解読することができたら、この排水溝からミルクを流すと王様が言ったそうだ。

でも、未だにミルクは流れていない。
って自称ガイドおじさんが勝手に説明してくれた。ノーマネーって言って逃げる。
ネパールには生き神、クマリ様がいらっしゃる。
そのお屋敷もダルハール広場に面している。生き神様を写真で撮ることは禁止されているが、時折顔を出してくれるっていうから、少し待っていいたものの、、、現れなかった。残念、、、。

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