<59カ国目;ワーホリAUS>ワーホリ完結。みんながドラマの主人公!
- 2017/01/26
- 22:37
こんばんは。
ついに明日の早朝にシドニーを出発します。
4ヶ月ぶりのパッキング。、、、荷物がぱんぱかぱーん!!やばい。入らない。Σ(゚д゚|||)
どおしよ。どおしよ。。。
あーまた始まるのか、、、。
毎日毎日パッキング。洗濯はスクラバウオッシュ(洗濯専用のアウトドア便利グッズ)。下着類を枕元に干して寝る。お風呂の後に体拭くのはセイムタオル。
安宿で常に貴重品身につけながら生活する毎日。
きゃっっはー−!!楽しみでしかないね!明日は早速車中泊。

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オーストラリアカテゴリーからはこれが最後の投稿です。
シドニー最後の日の今日はオーストラリアディでした。

コーヒー仲間のカヨちゃんとオペラハウスがあるサーキュラーキーに行ってきました。

1788年1月26日にイギリス艦隊がオーストラリアに上陸したのを記念した日。
シドニーの街は人種問わず、国旗の描かれたコスチュームやナショナルカラーの黄色や緑のいでたちの人がたくさん。
だけどこのオーストラリアディ、もともと住んでいたアボリジニからしたら、植民地支配が始まった日です。
そんな日が国民の休日になっているなんてとっても複雑な気持ちでしょう。
そしてそれと同時に中国のnew yearを祝う鳥のオブジェも町中に溢れるという日本人にはよくわからない光景。
これが多民族国家のオーストラリア。
すべての人がみんな平等に幸せに満たされて生活すること、とってもむずかしい。
旅を始めたのは2015年の5月15日。
ノリノリで仕事を辞めたのに、出発前日になって楽しみっていう気持ちより不安のほうが大きくなった。
前日までパッキングしない自分が悪いのだが、持っていきたいものの半分を入れた時点で荷物パンパン。
仕方なく持っていくものを減らすんだけど、どれも自分には必要だと思っていたもの。それが一つ一つ少なくなることがさらに不安を増長した。
もう涙が止まらなくて夜もほとんど眠れず。お母さんが作ってくれた朝ごはんもほとんど食べれずに出発。
あの日は本当に思ってた。
1ヶ月でもいいや。とりあえずアジアの行きたいところをサクサク回って早く帰ってこようって。
だからワーホリするなんて選択肢、頭の中に1ミクロンもなかった。
そんな私がワーホリに興味を持つようになったのは、インドで知り合ったハナちゃんの言葉。
ハナちゃんは私と同じ年の30歳だった。ハナちゃんはインドだけの短期旅行者。
ハナちゃんはワーホリをすることを決めていた。
私はくわしく調べることもせず年齢的に無理だって思っていたけど、ギリギリ間に合うって話をしてくれた。
日本に帰ってハナちゃんはワーホリの準備を始めたけど、そこで得た情報を私にメールしてくれた。
そんなわけでするかどうかわからないけど、一応ビザだけ申請しようって思って私も行動に移した。
旅をしているうちに、”旅と生活はやっぱり違う”ってつくづく思った。
旅先で目に映るのは良い意味でも悪い意味でもキラキラした一番綺麗な表面だけ。
私は一度ゆっくり腰を据えて海外で生活してみたいって思った。
高校時代に留学していた時にたくさん涙流しながらも居場所を築いた。
あれをもう一度やりたいって思った。
そして旅を中断。ワーホリを決行することにした。
旅を中断することにも葛藤はあった。お金のこととか、仕事に戻る期限のこととか。
でもこれでよかった。これが私の100点満点の答えだった。
たった4ヶ月だけど、私はシドニーに住んで仕事をして日本と同じような日常を営んだ。
そして生活しているうちに、やっぱり”旅と生活とは違う”って思った。
ワーホリは沈没(旅人が同じ場所にしばらく滞在すること)じゃない。
何が違うか、、、いっぱいあるけど一番伝えたいのは知り合った人のこと。
旅中もたくさんたくさん素敵な人たちに出会えた。
どんな世界遺産に行ったとか、どこの絶景を見たとか、そんなことよりも人との出会いが私の旅を彩っている。
”旅”っていう共通の趣味を持っていて、そして結構過酷な環境で経験をシェアしたらね、そりゃ大切な仲間になるよ。
オーストラリアで出会った人たち。
私は恵まれていたからかもしれないけどみんな向上心のある頑張る人だった。
その『頑張る』が旅の中の『頑張る』より切実。生活、生きていくことがかかってる。
(旅って道楽要素が大きいからね。)
そして、英語力が旅みたいに、”苦手だから”って済まされる問題じゃなくなってくる。
みんなそれなりに英語が少しでも上達するように努力や工夫を重ねてる。
私の職場は、英語環境だったけど、みんな外人。アジア人。
英語も喋れない人もいて、スーパーバイザーにいびられながら必死で働いてた。
生きるためにはお金が必要だから。
ワーホリメーカーも自分もそうだったようにまずレジュメ配りで挫折する。
あんだけ配ったら1つくらい連絡くるやろう、、、っていう期待は見事に裏切られる。
やっと仕事が見つかっても容赦なくクビにされる。
物価の割に安い給料。初めの頃には生活できるのかっていう不安もつきまとう。
でも、みんなここでめげずに乗り越える。
常に前を見ている。
オーストラリアにいる間のことだけじゃなくて、日本に帰ってからのことも。
日本に帰ったらこの経験をどう活かしていこうか、日本に帰った時のために今何ができるか。
異国にやってきて、ゼロから自分の居場所を築く。
転勤や進学で日本でも同じような経験はしてきたけど、これに言葉と文化の違いも付いてくる。
そんでもって、私はアジア人差別ってのも存在してるって確信してる。
たぶんみんな何度も涙を流してきてると思う。私はしょっちゅう泣いてたよ。
悔しい時、情けない時。誰かの優しさが嬉しかった時。
ワーホリメーカーだけじゃなくて、永住権でバリバリ働いてきてる人だってその地位を手にするまでに日本にいてその地位まで上り詰めるのの10倍しんどい道のりを歩んできたって思う。
シェアハウスのスーザンもズーもママタもそれぞれの国からオーストラリアにやってきてたくさん苦労しながら今の居場所を築いている。
新しいシェアメイト・ズーはまさにブラジルからやってきたばかりで、必死になって仕事を探しているけど、なかなかうまくいっていないみたい。
空いている時間にいつもシェアハウスをピカピカに磨き上げてくれる。
そしていつもご飯を自分の作ったご飯をわけてくれる。
だけど、彼女、いっつもすごく前向き。
ここにいるのは意味があるからって。
ビザが簡単に降りたのはオーストラリアに行けっていう意味だと思うって。
そしてそうなったのはきっと自分のスキルを必要としている人がオーストラリアにいるってことだって。
なんでかわからないけど、オーストラリアで知りたった人たちの言葉は旅人の言葉よりも私の心に響いた。
素直に受け取れた。
心にしみわたっていく栄養のように。
ワーホリも旅も同じ。
きっと何かのきっかけでしかなくて、得られたものは今後の人生で活かすためのもの。
線はつないで線にしなくちゃ、線もつないで形にしなくちゃ。
すべての出会いに感謝。







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ついに明日の早朝にシドニーを出発します。
4ヶ月ぶりのパッキング。、、、荷物がぱんぱかぱーん!!やばい。入らない。Σ(゚д゚|||)
どおしよ。どおしよ。。。
あーまた始まるのか、、、。
毎日毎日パッキング。洗濯はスクラバウオッシュ(洗濯専用のアウトドア便利グッズ)。下着類を枕元に干して寝る。お風呂の後に体拭くのはセイムタオル。
安宿で常に貴重品身につけながら生活する毎日。
きゃっっはー−!!楽しみでしかないね!明日は早速車中泊。

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シドニー最後の日の今日はオーストラリアディでした。

コーヒー仲間のカヨちゃんとオペラハウスがあるサーキュラーキーに行ってきました。

1788年1月26日にイギリス艦隊がオーストラリアに上陸したのを記念した日。
シドニーの街は人種問わず、国旗の描かれたコスチュームやナショナルカラーの黄色や緑のいでたちの人がたくさん。
だけどこのオーストラリアディ、もともと住んでいたアボリジニからしたら、植民地支配が始まった日です。
そんな日が国民の休日になっているなんてとっても複雑な気持ちでしょう。
そしてそれと同時に中国のnew yearを祝う鳥のオブジェも町中に溢れるという日本人にはよくわからない光景。
これが多民族国家のオーストラリア。
すべての人がみんな平等に幸せに満たされて生活すること、とってもむずかしい。
旅を始めたのは2015年の5月15日。
ノリノリで仕事を辞めたのに、出発前日になって楽しみっていう気持ちより不安のほうが大きくなった。
前日までパッキングしない自分が悪いのだが、持っていきたいものの半分を入れた時点で荷物パンパン。
仕方なく持っていくものを減らすんだけど、どれも自分には必要だと思っていたもの。それが一つ一つ少なくなることがさらに不安を増長した。
もう涙が止まらなくて夜もほとんど眠れず。お母さんが作ってくれた朝ごはんもほとんど食べれずに出発。
あの日は本当に思ってた。
1ヶ月でもいいや。とりあえずアジアの行きたいところをサクサク回って早く帰ってこようって。
だからワーホリするなんて選択肢、頭の中に1ミクロンもなかった。
そんな私がワーホリに興味を持つようになったのは、インドで知り合ったハナちゃんの言葉。
ハナちゃんは私と同じ年の30歳だった。ハナちゃんはインドだけの短期旅行者。
ハナちゃんはワーホリをすることを決めていた。
私はくわしく調べることもせず年齢的に無理だって思っていたけど、ギリギリ間に合うって話をしてくれた。
日本に帰ってハナちゃんはワーホリの準備を始めたけど、そこで得た情報を私にメールしてくれた。
そんなわけでするかどうかわからないけど、一応ビザだけ申請しようって思って私も行動に移した。
旅をしているうちに、”旅と生活はやっぱり違う”ってつくづく思った。
旅先で目に映るのは良い意味でも悪い意味でもキラキラした一番綺麗な表面だけ。
私は一度ゆっくり腰を据えて海外で生活してみたいって思った。
高校時代に留学していた時にたくさん涙流しながらも居場所を築いた。
あれをもう一度やりたいって思った。
そして旅を中断。ワーホリを決行することにした。
旅を中断することにも葛藤はあった。お金のこととか、仕事に戻る期限のこととか。
でもこれでよかった。これが私の100点満点の答えだった。
たった4ヶ月だけど、私はシドニーに住んで仕事をして日本と同じような日常を営んだ。
そして生活しているうちに、やっぱり”旅と生活とは違う”って思った。
ワーホリは沈没(旅人が同じ場所にしばらく滞在すること)じゃない。
何が違うか、、、いっぱいあるけど一番伝えたいのは知り合った人のこと。
旅中もたくさんたくさん素敵な人たちに出会えた。
どんな世界遺産に行ったとか、どこの絶景を見たとか、そんなことよりも人との出会いが私の旅を彩っている。
”旅”っていう共通の趣味を持っていて、そして結構過酷な環境で経験をシェアしたらね、そりゃ大切な仲間になるよ。
オーストラリアで出会った人たち。
私は恵まれていたからかもしれないけどみんな向上心のある頑張る人だった。
その『頑張る』が旅の中の『頑張る』より切実。生活、生きていくことがかかってる。
(旅って道楽要素が大きいからね。)
そして、英語力が旅みたいに、”苦手だから”って済まされる問題じゃなくなってくる。
みんなそれなりに英語が少しでも上達するように努力や工夫を重ねてる。
私の職場は、英語環境だったけど、みんな外人。アジア人。
英語も喋れない人もいて、スーパーバイザーにいびられながら必死で働いてた。
生きるためにはお金が必要だから。
ワーホリメーカーも自分もそうだったようにまずレジュメ配りで挫折する。
あんだけ配ったら1つくらい連絡くるやろう、、、っていう期待は見事に裏切られる。
やっと仕事が見つかっても容赦なくクビにされる。
物価の割に安い給料。初めの頃には生活できるのかっていう不安もつきまとう。
でも、みんなここでめげずに乗り越える。
常に前を見ている。
オーストラリアにいる間のことだけじゃなくて、日本に帰ってからのことも。
日本に帰ったらこの経験をどう活かしていこうか、日本に帰った時のために今何ができるか。
異国にやってきて、ゼロから自分の居場所を築く。
転勤や進学で日本でも同じような経験はしてきたけど、これに言葉と文化の違いも付いてくる。
そんでもって、私はアジア人差別ってのも存在してるって確信してる。
たぶんみんな何度も涙を流してきてると思う。私はしょっちゅう泣いてたよ。
悔しい時、情けない時。誰かの優しさが嬉しかった時。
ワーホリメーカーだけじゃなくて、永住権でバリバリ働いてきてる人だってその地位を手にするまでに日本にいてその地位まで上り詰めるのの10倍しんどい道のりを歩んできたって思う。
シェアハウスのスーザンもズーもママタもそれぞれの国からオーストラリアにやってきてたくさん苦労しながら今の居場所を築いている。
新しいシェアメイト・ズーはまさにブラジルからやってきたばかりで、必死になって仕事を探しているけど、なかなかうまくいっていないみたい。
空いている時間にいつもシェアハウスをピカピカに磨き上げてくれる。
そしていつもご飯を自分の作ったご飯をわけてくれる。
だけど、彼女、いっつもすごく前向き。
ここにいるのは意味があるからって。
ビザが簡単に降りたのはオーストラリアに行けっていう意味だと思うって。
そしてそうなったのはきっと自分のスキルを必要としている人がオーストラリアにいるってことだって。
なんでかわからないけど、オーストラリアで知りたった人たちの言葉は旅人の言葉よりも私の心に響いた。
素直に受け取れた。
心にしみわたっていく栄養のように。
ワーホリも旅も同じ。
きっと何かのきっかけでしかなくて、得られたものは今後の人生で活かすためのもの。
線はつないで線にしなくちゃ、線もつないで形にしなくちゃ。
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