<59カ国目;ワーホリAUS>大晦日に1人飛び込んだパブ、忘れていた旅の初心
- 2017/01/01
- 20:42
あけましておめでとうございます。
今年もちかとくまねずみちゃんをよろしくお願いします。
ついに2017年が明けてしまいましたね。もう恐怖でしかないです。
旅が終わること、自分が歳をとること。
去年のニューイヤーはポーランド・ワルシャワだったなぁ。生涯50カ国目のポーランド。
泊まった宿で無料シャンパンが振舞われてて、それ飲みながら宿にいた日本人と年越しうどん作って、
みんなで花火を見に極寒の街に繰り出してでも間に合わなくてたどり着く前に上がり始めちゃって、、、。
宿に帰って、飲み直すもみんなもうグダグダで、、、朝起きると同じ部屋のロン毛でデブでパンクなおじさんがパンツ一丁でめっちゃぐーすか寝てたんだけど、うつ伏せに寝てるのにパンツからなんかはみ出て見えてて、思わず一緒にいた日本人の男の子にどうやったらこんな形態になるのか解説を請うたね。
それが1年前。
一昨年のニューイヤーは、、、
当直だったな。上司とピザ頼んでガキ使見ながら食べようとしてたんだけど、食べ始めた瞬間から忙しくなったな。ひと段落ついた頃にはピザカチカチ。
そんでもって朝も、もう直ぐ交代って時間に差し掛かって嵐のように忙しくなってきた。
交代時間になっても帰れない。゚(゚´Д`゚)゚。
この日私は、アメリカから帰国している友達に会うために札幌に帰る飛行機を予約していた。そしてその友達はこの翌日にアメリカに帰る予定だからこの日を逃したらまた次いつ会えるかわからない。
いろいろな人に手伝ってもらって飛行機もう無理や、、、っていうギリギリのところで間に合って、こんなこともちょっぴり想定してたから荷物持ってきていて職場からタクシーで空港直行したな、、、。
それももう2年前か、、、。
月日が経つのは早いですね。

にほんブログ村
↑今年も応援よろしくお願いします。これ、みなさんが思っておられる以上に励みになってるんだな。
さて、2017。たぶん、おそらく、確実に、maybe、probably 私の旅は終わります。
そんな今年の抱負!!

最後まで無事に旅を楽しむのです!!
12月31日まで仕事でした。
部屋汚い上に割り当てられる部屋数も多くて疲労困憊。
1部屋に時間がかかる上に数も多いから毎日帰るの遅いし、辞めると言ってからはもはややる気も続かなくなっている。
最近3日に1回の割合で帰りの電車で寝過ごして降りる駅を通りすぎてしまう。
この休みは充電に使おうと思ってました。
シェアハウスで年越しするのは私1人。スーザンは旅行に行ったし、アダムはお父さんの家に行った。
私も贅沢にステーキ肉やエビ、大好きなシードレスのブドウに、どぎつい色のさくらんぼ、チョコレートケーキやジュース。1人なのに約5000円分買い込んで引きこもる準備万端!!
だが1つ買い忘れてた、、、というか、もう荷物を持ちきれなくて諦めたんだけど、、、
お酒です。
家に帰ってから、あー買ってないなーってなったんだけど、私の住む町はインド人やバングラデシュ人が多いムスリムエリア。酒屋がありません。
諦めてご飯作り始めて食べたんだけどさ、、、この日に限って無性に飲みなくなった。
50ドル札だけ握りしめて近くのパブに行ってみた。
ニューイヤーにお一人様切ないなーって思ったんだけどね、すぐに”1人ならここで一緒に飲もうよー!!”って誘われた。
50歳は超えている紳士淑女5人組。私が旅をしていることを話すと興味を持ってくれて、iPhoneに入っている写真を見せながら色々と話した。
私の住んでいるエリアはムスリムと中国人で溢れているのに、このパブにはアジア人が一切いない。
本気で私1人だった。
欧米系のいわゆるオーストラリア人とちょっと肌の色が濃くて、でもインド系や黒人とも違って、みんなぽっちゃり太っていてそんなに背が高くない感じの、、、もしかしてアボリジニかな?
私、まだアボリジニにあったことないな。でもニュージーランドでみたマオリに似ているといえば似ている、、、。
そんな人たちが入れ替わり立ち代り声をかけてくれる。そしてダンスフロアーに行って一緒に踊る。疲れたら椅子に座ってまたおしゃべり。
そんなことしてたらテレビでカウントダウンが始まり、年が明けた。

お店のひとみんなとハグをして”HAPPY NEW YEAR"を言い合う。
これがめっちゃ楽しかった。
私かなり飲んだけど、最初の1杯しかお金払ってないな、、、。みんなおごってくれるの。
なんでもっと早く来なかったんだろう。
1人でくるの、ちょっと勇気が必要だったんだよね。
でも、1度行ったらもう大丈夫。連絡先を交換した、また飲みに行こうって!!
ふと最近、いや、アフリカを回っている時からちょっぴり頭の片隅にあったとある思いが心の中で大きくなった。
そして、それをとある方からバシッと指摘されたこともあった。
”なんでせっかく海外にいるのにいつも日本人といるの?”
私は日本人同士でアフリカを縦断した。4ヶ月間、苦楽を共にした最高のメンバー。
本当に彼らと一緒だからあの過酷な状況を笑い飛ばしながら、楽しんで乗り越えられたと思うし、
私は彼らといつまでもずっと旅をし続けたかった。それくらいストレスのない気が合う仲間だった。
あのメンバーじゃなきゃあの旅はできなかったし、私のアフリカ縦断はあれ以上のものにはなりえない。
だけどね、確かにローカルや他の国からの旅人との交流が減ったんだよね。
私は、旅の初め、あえて日本人宿を避けていた。
一人旅をしていて日本人宿を使ったのはタイのバンコクとインドのコルカタのみ。まぁ、そこでそれぞれ一緒にアフリカ縦断したあっちゃんとリョウスケくんに出会ったんだけど。
だからそこに到達するまで日本人の旅友ってほとんどいなかった。
モンゴルのゲルトゥゲルツアーのメンバー、バス停であって一緒に旅したヒューゴさん、中国からベトナムに一緒に越境した医学生ホイワイ君とユーシペック君、ラオスからタイに一緒に向かったギター少女アレクシス、チェンマイ困ったオジサンズ、タイのパーイで再会して私にスクーターの乗り方とキノコ(!)を教えてくれた医学生ルーク君、インドネシアを一緒に旅したエルウィンファミリー。
UAEのムスリム旅人ナディ、チェコで一緒にコスプレゲームに行き、携帯を貸してくれて毎日宿までお迎えに来てくれたアルフォンソ君、プラハを街ブラしたエビとマルティン、トルコで実家に案内してくれたオスマンさん、レバノンで一緒になったバレリーさん、、、、、
この他にも、ブログには登場していないたくさんの人とかけがえのない時間を共有した。
今もたまに”まだ旅をしているの?”、”今どこ?”、”いつうちに来るの?”そんなメールを送ってくれる。
アフリカでは、日本人旅人との出会いが凄まじかった。これはきっと日本人の王道ルートにのっかていたから。
本当にみんないい人たち。
限られた設備のキッチンで作ったシェア飯。
約束していたわけじゃないのに、街の中の”ここで?!?!”っていうようなところで再会しちゃう。そんときにする熱いハグが大好き。
そんな出会いが縁であきらめていたトマト祭りにも参加できた。
彼らとはこれからも日本で会える。そしてそのときに旅の思い出話をするのも帰国後の楽しみのひとつ。
だけど、その間、私が1人で旅をしていて時のようなローカルや他の国からの旅人との交流は希薄になっていた気がする。
全くなかったわけじゃないけど。
日本人といるのね、やっぱり楽だよ。
日本語で話せるっていうのはもちろんあるけど、無条件で信頼できるし、同じコモンセンスを共有しているからストレスがない。
でも、その居心地の良さに甘えてたなって思う自分。
1人の時は、ドキドキしながらだけど、バーにも行ってたよな。最低限のお金だけ持って。
そしてもっと積極的に英語で話しかけてよな、日本人に”日本人ですか?”って声かけるのと同じくらい。
”なんでせっかく海外にいるのにいつも日本人といるの?”
私もかつては同じ疑問持って、そうならないようにしようって思ってたはずなのに。
私にしかできない旅をするんだって、なかば意地みたいなポリシー。
何度も言うけどね、日本人といると居心地良すぎてそんな気持ちどっかいっちゃったんだよね。
それに、日本人旅人って本当に面白い人が多いんだよね、普通に日本で仕事してるだけだったら会えないような人たち。
だけど、昨日1人でパブに飛び込んで、いろんな人としゃべって、いろんな人と踊って思い出した。
もう一度、あの時の旅をしたい。ときには寂しく感じることもあるけど、その時は自分ととことん向き合ったらいい。
私は、映画や漫画のデータをほとんど持っていない。もらったこともあるけど、見ている暇がない。
とにかく常にすることがあった。、、、今考えると何してたんだろうね、日記も溜まっちゃうくらい常になんかしてたな。
レールに乗っからない、私の旅。
私に許された残りの旅期間、1年。
今まで以上に楽しむ!今まで以上にたくさんの人と交流する!
日本じゃできない経験をする、日本じゃ出会えない人と出会う!!
さて、ワーホリ生活もあと4週間。そう思うと心がちょっと締め付けられる。
バックパック1つでやって来たのに、ささやかだけど居場所ができて、生活をした街。
シドニー、私、いつまでもいられるよ。ちゃんとやりがいのある仕事を見つけられたら。
でも、お別れの時は近づいている。あと4週間。心の底から満喫しなくちゃ!!!

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こんなこと思うのも、とあるお方のブログによる影響でしょうか。。。
今年も宜しくお願いします。
みなさんも1年も、ハッピーで実り多いものになりますように!
今年もちかとくまねずみちゃんをよろしくお願いします。
ついに2017年が明けてしまいましたね。もう恐怖でしかないです。
旅が終わること、自分が歳をとること。
去年のニューイヤーはポーランド・ワルシャワだったなぁ。生涯50カ国目のポーランド。
泊まった宿で無料シャンパンが振舞われてて、それ飲みながら宿にいた日本人と年越しうどん作って、
みんなで花火を見に極寒の街に繰り出してでも間に合わなくてたどり着く前に上がり始めちゃって、、、。
宿に帰って、飲み直すもみんなもうグダグダで、、、朝起きると同じ部屋のロン毛でデブでパンクなおじさんがパンツ一丁でめっちゃぐーすか寝てたんだけど、うつ伏せに寝てるのにパンツからなんかはみ出て見えてて、思わず一緒にいた日本人の男の子にどうやったらこんな形態になるのか解説を請うたね。
それが1年前。
一昨年のニューイヤーは、、、
当直だったな。上司とピザ頼んでガキ使見ながら食べようとしてたんだけど、食べ始めた瞬間から忙しくなったな。ひと段落ついた頃にはピザカチカチ。
そんでもって朝も、もう直ぐ交代って時間に差し掛かって嵐のように忙しくなってきた。
交代時間になっても帰れない。゚(゚´Д`゚)゚。
この日私は、アメリカから帰国している友達に会うために札幌に帰る飛行機を予約していた。そしてその友達はこの翌日にアメリカに帰る予定だからこの日を逃したらまた次いつ会えるかわからない。
いろいろな人に手伝ってもらって飛行機もう無理や、、、っていうギリギリのところで間に合って、こんなこともちょっぴり想定してたから荷物持ってきていて職場からタクシーで空港直行したな、、、。
それももう2年前か、、、。
月日が経つのは早いですね。

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↑今年も応援よろしくお願いします。これ、みなさんが思っておられる以上に励みになってるんだな。
さて、2017。たぶん、おそらく、確実に、maybe、probably 私の旅は終わります。
そんな今年の抱負!!

最後まで無事に旅を楽しむのです!!
12月31日まで仕事でした。
部屋汚い上に割り当てられる部屋数も多くて疲労困憊。
1部屋に時間がかかる上に数も多いから毎日帰るの遅いし、辞めると言ってからはもはややる気も続かなくなっている。
最近3日に1回の割合で帰りの電車で寝過ごして降りる駅を通りすぎてしまう。
この休みは充電に使おうと思ってました。
シェアハウスで年越しするのは私1人。スーザンは旅行に行ったし、アダムはお父さんの家に行った。
私も贅沢にステーキ肉やエビ、大好きなシードレスのブドウに、どぎつい色のさくらんぼ、チョコレートケーキやジュース。1人なのに約5000円分買い込んで引きこもる準備万端!!
だが1つ買い忘れてた、、、というか、もう荷物を持ちきれなくて諦めたんだけど、、、
お酒です。
家に帰ってから、あー買ってないなーってなったんだけど、私の住む町はインド人やバングラデシュ人が多いムスリムエリア。酒屋がありません。
諦めてご飯作り始めて食べたんだけどさ、、、この日に限って無性に飲みなくなった。
50ドル札だけ握りしめて近くのパブに行ってみた。
ニューイヤーにお一人様切ないなーって思ったんだけどね、すぐに”1人ならここで一緒に飲もうよー!!”って誘われた。
50歳は超えている紳士淑女5人組。私が旅をしていることを話すと興味を持ってくれて、iPhoneに入っている写真を見せながら色々と話した。
私の住んでいるエリアはムスリムと中国人で溢れているのに、このパブにはアジア人が一切いない。
本気で私1人だった。
欧米系のいわゆるオーストラリア人とちょっと肌の色が濃くて、でもインド系や黒人とも違って、みんなぽっちゃり太っていてそんなに背が高くない感じの、、、もしかしてアボリジニかな?
私、まだアボリジニにあったことないな。でもニュージーランドでみたマオリに似ているといえば似ている、、、。
そんな人たちが入れ替わり立ち代り声をかけてくれる。そしてダンスフロアーに行って一緒に踊る。疲れたら椅子に座ってまたおしゃべり。
そんなことしてたらテレビでカウントダウンが始まり、年が明けた。

お店のひとみんなとハグをして”HAPPY NEW YEAR"を言い合う。
これがめっちゃ楽しかった。
私かなり飲んだけど、最初の1杯しかお金払ってないな、、、。みんなおごってくれるの。
なんでもっと早く来なかったんだろう。
1人でくるの、ちょっと勇気が必要だったんだよね。
でも、1度行ったらもう大丈夫。連絡先を交換した、また飲みに行こうって!!
ふと最近、いや、アフリカを回っている時からちょっぴり頭の片隅にあったとある思いが心の中で大きくなった。
そして、それをとある方からバシッと指摘されたこともあった。
”なんでせっかく海外にいるのにいつも日本人といるの?”
私は日本人同士でアフリカを縦断した。4ヶ月間、苦楽を共にした最高のメンバー。
本当に彼らと一緒だからあの過酷な状況を笑い飛ばしながら、楽しんで乗り越えられたと思うし、
私は彼らといつまでもずっと旅をし続けたかった。それくらいストレスのない気が合う仲間だった。
あのメンバーじゃなきゃあの旅はできなかったし、私のアフリカ縦断はあれ以上のものにはなりえない。
だけどね、確かにローカルや他の国からの旅人との交流が減ったんだよね。
私は、旅の初め、あえて日本人宿を避けていた。
一人旅をしていて日本人宿を使ったのはタイのバンコクとインドのコルカタのみ。まぁ、そこでそれぞれ一緒にアフリカ縦断したあっちゃんとリョウスケくんに出会ったんだけど。
だからそこに到達するまで日本人の旅友ってほとんどいなかった。
モンゴルのゲルトゥゲルツアーのメンバー、バス停であって一緒に旅したヒューゴさん、中国からベトナムに一緒に越境した医学生ホイワイ君とユーシペック君、ラオスからタイに一緒に向かったギター少女アレクシス、チェンマイ困ったオジサンズ、タイのパーイで再会して私にスクーターの乗り方とキノコ(!)を教えてくれた医学生ルーク君、インドネシアを一緒に旅したエルウィンファミリー。
UAEのムスリム旅人ナディ、チェコで一緒にコスプレゲームに行き、携帯を貸してくれて毎日宿までお迎えに来てくれたアルフォンソ君、プラハを街ブラしたエビとマルティン、トルコで実家に案内してくれたオスマンさん、レバノンで一緒になったバレリーさん、、、、、
この他にも、ブログには登場していないたくさんの人とかけがえのない時間を共有した。
今もたまに”まだ旅をしているの?”、”今どこ?”、”いつうちに来るの?”そんなメールを送ってくれる。
アフリカでは、日本人旅人との出会いが凄まじかった。これはきっと日本人の王道ルートにのっかていたから。
本当にみんないい人たち。
限られた設備のキッチンで作ったシェア飯。
約束していたわけじゃないのに、街の中の”ここで?!?!”っていうようなところで再会しちゃう。そんときにする熱いハグが大好き。
そんな出会いが縁であきらめていたトマト祭りにも参加できた。
彼らとはこれからも日本で会える。そしてそのときに旅の思い出話をするのも帰国後の楽しみのひとつ。
だけど、その間、私が1人で旅をしていて時のようなローカルや他の国からの旅人との交流は希薄になっていた気がする。
全くなかったわけじゃないけど。
日本人といるのね、やっぱり楽だよ。
日本語で話せるっていうのはもちろんあるけど、無条件で信頼できるし、同じコモンセンスを共有しているからストレスがない。
でも、その居心地の良さに甘えてたなって思う自分。
1人の時は、ドキドキしながらだけど、バーにも行ってたよな。最低限のお金だけ持って。
そしてもっと積極的に英語で話しかけてよな、日本人に”日本人ですか?”って声かけるのと同じくらい。
”なんでせっかく海外にいるのにいつも日本人といるの?”
私もかつては同じ疑問持って、そうならないようにしようって思ってたはずなのに。
私にしかできない旅をするんだって、なかば意地みたいなポリシー。
何度も言うけどね、日本人といると居心地良すぎてそんな気持ちどっかいっちゃったんだよね。
それに、日本人旅人って本当に面白い人が多いんだよね、普通に日本で仕事してるだけだったら会えないような人たち。
だけど、昨日1人でパブに飛び込んで、いろんな人としゃべって、いろんな人と踊って思い出した。
もう一度、あの時の旅をしたい。ときには寂しく感じることもあるけど、その時は自分ととことん向き合ったらいい。
私は、映画や漫画のデータをほとんど持っていない。もらったこともあるけど、見ている暇がない。
とにかく常にすることがあった。、、、今考えると何してたんだろうね、日記も溜まっちゃうくらい常になんかしてたな。
レールに乗っからない、私の旅。
私に許された残りの旅期間、1年。
今まで以上に楽しむ!今まで以上にたくさんの人と交流する!
日本じゃできない経験をする、日本じゃ出会えない人と出会う!!
さて、ワーホリ生活もあと4週間。そう思うと心がちょっと締め付けられる。
バックパック1つでやって来たのに、ささやかだけど居場所ができて、生活をした街。
シドニー、私、いつまでもいられるよ。ちゃんとやりがいのある仕事を見つけられたら。
でも、お別れの時は近づいている。あと4週間。心の底から満喫しなくちゃ!!!

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こんなこと思うのも、とあるお方のブログによる影響でしょうか。。。
今年も宜しくお願いします。
みなさんも1年も、ハッピーで実り多いものになりますように!