<53カ国目;ナミビア>砂漠にぽつんと、、、ゴーストタウン!
- 2016/09/12
- 13:35
現在一時帰国中。
毎日お化粧してる、、、こんなの久しぶりだ。
旅に出る前は3ヶ月で1本使い切っていたファンデーション、1年3ヶ月旅してまだ1本も使い切ってないもんね。。。

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現在42位!!久しぶりに50番以内。
ナミビアのハイライト、ナミブ砂漠をコンプリートした私たち。
私としてはナミビアはもうやりきった感じ。だけどミハオ、カロリーナには、もう1か所行きたいところがあったようだ。
その名も、Kolmanskop=コールマンスコプ。旅人の間ではゴーストタウンと言われている。
砂漠の中に突如現れる古めかしい建物が建ちならぶ小さな集落。
最初、蜃気楼かと思ったよ。(遠巻きからの写真がないのが残念(>_<))
1908年にダイヤモンドが発見されゴールドラッシュならぬダイヤモンドラッシュに湧いたドイツ人たちが移り住んできた。
この砂漠のど真ん中にドイツ風の街を建設。学校、病院、発電所のほかボーリング場やドイツの人気歌手がコンサートを開くような豪華な劇場や屋外プール、カジノまであった。
とりあえず母国ドイツに劣らない立派な街を築いた。
だが採掘量が減り、ダイヤモンドの価値が暴落していくにつれ、人々は母国に帰ったり近隣の別のダイヤモンド鉱山に移っていき、1956年には無人と化した。
日本でも廃墟ブームの今、この砂漠のど真ん中のゴーストタウンにも観光客があふれています。
100年前のボーリング場。今と全く同じだね。


砂漠のど真ん中、食物が腐らないように冷蔵庫がマストアイテム。

そのための氷工場。住人には毎日、氷と飲むための真水10リットルタダで配られていたのだとか。
そしてその製氷工場の隣には、その冷気を利用したソーセージ工場があった。
いかにもドイツ人だね。そしてめっちゃ賢いアイディア!!


ソーセージをこねるボールの中も今は砂だらけ。
今現在でもそうらしいけど、当時も採掘の肉体労働を担っていたのは低賃金で雇われた黒人さんたち。
新しい労働者が鉱山に入る前に数日間、街の外で隔離されていたらしい。疫病を持ち込まないように。
彼らは見つけたダイヤモンドを飲みこんで持ち出さないよう、口にマスクのようなものをされて作業させられていた。
そして彼らが仕事を辞める時も、数日にわたって毎日便をチェックしてダイヤモンドを飲み込んでいないか確認してから街の外に出していた。
だけど、黒人労働者もいろいろな知恵で街の外にダイヤモンドを出そうとした。いろいろなところに隠したり、鳩に持って行かせたり。博物館にはその攻防が展示されていて興味深い。
みんな、お金持ちなんだから、1粒や2粒持っていってもいいじゃんね。
ここは病院。

こちらも、当時は南部アフリカエリアで一番の設備を誇っていた。
南部アフリカで唯一のレントゲン撮影機もここにあった。
だけどこのレントゲン機はもっぱら、労働者がダイヤモンドを飲み込んでいないかのチェックに使われたようだ。
病院の中も砂が侵食。


砂に飲まれた偉い人のお屋敷。

壊れずに残っている部屋は現在のものとほとんど変わらない。問題なく住めるレベル。



家具や家電も当時最新のものがドイツから持ち込まれていた。

バスタブだってあったんだから!!
そして、数キロ先の海水を引いてきて造られた屋外プール。

100年前の街とは思えない!!
鉄道まで通っていた。その鉄道は港町リューデリッツまで繋がっていた。
当時の技術にもかかわらず、わずが数日で敷かれた鉄道。
いまもナミビアでは鉄道整備中だけど、いつまでたっても完成しないってガイドさんが嘆いておった。
コールマンスコプからは20分ほどのドライブで港町リューデリッツにたどり着ける。
ここからたくさんのドイツ人とドイツ製品が荷下しされたんだね。

最後の夜はここ、リューデリッツの海の見えるキャンプサイトでお泊まり。

海をみながらお食事。

2週間を超えた私たち4人の旅。
本当に心から楽しんだ。
彼らの発想は良い意味で日本人の発想とは違う。だからいろいろ気づかされたし、日本人の旅仲間を探してパーティを組むのとはまったく違った旅ができたと思う。
彼らの旅もこれからまだまだ続いていく。
いつかまた、どこかで会えたらいいな。そしてまた一緒に旅ができたらいいな。

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旅に出る前は3ヶ月で1本使い切っていたファンデーション、1年3ヶ月旅してまだ1本も使い切ってないもんね。。。

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私としてはナミビアはもうやりきった感じ。だけどミハオ、カロリーナには、もう1か所行きたいところがあったようだ。
その名も、Kolmanskop=コールマンスコプ。旅人の間ではゴーストタウンと言われている。
砂漠の中に突如現れる古めかしい建物が建ちならぶ小さな集落。
最初、蜃気楼かと思ったよ。(遠巻きからの写真がないのが残念(>_<))
1908年にダイヤモンドが発見されゴールドラッシュならぬダイヤモンドラッシュに湧いたドイツ人たちが移り住んできた。
この砂漠のど真ん中にドイツ風の街を建設。学校、病院、発電所のほかボーリング場やドイツの人気歌手がコンサートを開くような豪華な劇場や屋外プール、カジノまであった。
とりあえず母国ドイツに劣らない立派な街を築いた。
だが採掘量が減り、ダイヤモンドの価値が暴落していくにつれ、人々は母国に帰ったり近隣の別のダイヤモンド鉱山に移っていき、1956年には無人と化した。
日本でも廃墟ブームの今、この砂漠のど真ん中のゴーストタウンにも観光客があふれています。
100年前のボーリング場。今と全く同じだね。


砂漠のど真ん中、食物が腐らないように冷蔵庫がマストアイテム。

そのための氷工場。住人には毎日、氷と飲むための真水10リットルタダで配られていたのだとか。
そしてその製氷工場の隣には、その冷気を利用したソーセージ工場があった。
いかにもドイツ人だね。そしてめっちゃ賢いアイディア!!


ソーセージをこねるボールの中も今は砂だらけ。
今現在でもそうらしいけど、当時も採掘の肉体労働を担っていたのは低賃金で雇われた黒人さんたち。
新しい労働者が鉱山に入る前に数日間、街の外で隔離されていたらしい。疫病を持ち込まないように。
彼らは見つけたダイヤモンドを飲みこんで持ち出さないよう、口にマスクのようなものをされて作業させられていた。
そして彼らが仕事を辞める時も、数日にわたって毎日便をチェックしてダイヤモンドを飲み込んでいないか確認してから街の外に出していた。
だけど、黒人労働者もいろいろな知恵で街の外にダイヤモンドを出そうとした。いろいろなところに隠したり、鳩に持って行かせたり。博物館にはその攻防が展示されていて興味深い。
みんな、お金持ちなんだから、1粒や2粒持っていってもいいじゃんね。
ここは病院。

こちらも、当時は南部アフリカエリアで一番の設備を誇っていた。
南部アフリカで唯一のレントゲン撮影機もここにあった。
だけどこのレントゲン機はもっぱら、労働者がダイヤモンドを飲み込んでいないかのチェックに使われたようだ。
病院の中も砂が侵食。


砂に飲まれた偉い人のお屋敷。

壊れずに残っている部屋は現在のものとほとんど変わらない。問題なく住めるレベル。



家具や家電も当時最新のものがドイツから持ち込まれていた。

バスタブだってあったんだから!!
そして、数キロ先の海水を引いてきて造られた屋外プール。

100年前の街とは思えない!!
鉄道まで通っていた。その鉄道は港町リューデリッツまで繋がっていた。
当時の技術にもかかわらず、わずが数日で敷かれた鉄道。
いまもナミビアでは鉄道整備中だけど、いつまでたっても完成しないってガイドさんが嘆いておった。
コールマンスコプからは20分ほどのドライブで港町リューデリッツにたどり着ける。
ここからたくさんのドイツ人とドイツ製品が荷下しされたんだね。

最後の夜はここ、リューデリッツの海の見えるキャンプサイトでお泊まり。

海をみながらお食事。

2週間を超えた私たち4人の旅。
本当に心から楽しんだ。
彼らの発想は良い意味で日本人の発想とは違う。だからいろいろ気づかされたし、日本人の旅仲間を探してパーティを組むのとはまったく違った旅ができたと思う。
彼らの旅もこれからまだまだ続いていく。
いつかまた、どこかで会えたらいいな。そしてまた一緒に旅ができたらいいな。

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