<48カ国目;ルワンダ>思わず涙した賛美歌
- 2016/06/19
- 22:39
お久しぶりです。
現在タンザニア・ダルエスサラーム。
タンザン鉄道に乗ってザンビアに移動したいのですが、、、火曜日まで電車がない(-。-;)
一時帰国のチケット買ったよ!!

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ルワンダと言って思い浮かぶのは、数年前に見た映画、”ホテル ルワンダ”。
音楽大好きだったんだよね。
....ホテルルワンダ。
1994年に、100日間に100万人のルワンダ人が虐殺されたと言われるルワンダ虐殺。
その混乱状態の中、1200人以上の難民を匿ったホテルを基にした実話。
実際のホテル、ホテル・ミラコリンズは改装されたものの現在も営業を続けています。
ルワンダの首都・キガリの丘の上に立つ高級ホテルのひとつです。

貧乏旅人が足を踏み入れるのがはばかられるおしゃれなホテルです。

でも中を見学させてもらえました。
おしゃれなロビー。

映画の中で、籠城が長引き飲み水がなくなってきて、プールの水を利用するシーンがあった。

中庭にはnever againのモニュメント。

キガリの街中にもいたるところにnever again のモニュメント。そしてたくさんのお花が手向けられている。

...ルワンダ虐殺
もともとルワンダには3つの部族、フツ族、ツチ族、トゥワ族がお互いを尊重しあいながら仲よく暮らしていた。
19世紀になると、ヨーロッパの列強諸国が植民地化しようと乗り込んでくる。
ヨーロッパ列強諸国は支配を容易にしようと、部族間の差異を明確にした。
そして部族間の対立をあおり、部族間が協力し支配者(ドイツ、ベルギー)に反乱することがないように仕向けた。
3つの部族で一番優位に位置つけたツチ族によってフツ族を支配する。
ツチ族も列強諸国の支配者によって管理されているので、フツ族を管理することができないツチ族はヨーロッパ人によって罰せられる。こうして列強諸国に対する憎悪は同胞に向けられていく。
第1次世界大戦後からルワンダを支配していたベルギーはIDカードを導入し、民族の区別をさらに拡大した。
その後1962年にルワンダはベルギーから独立するが、列強によって創り上げられた民族間格差と差別、フツ族のツチ族に対する優越感への嫉妬や憎悪は消えるところか膨大していく。
1994年4月、フツ族の大統領が暗殺される。もちろん犯人は分からない。
”犯人はツチ族だ、皆殺しにしろ!”
そんなラジオ放送が流されると同時に人々は手に武器を取り、次々と隣人や仲間を虐殺し始める。
ツチ族のIDを持っているだけで殺される。子供の前で両親を殺す。両親の前で子供を殺す。女性たちはHIV保持者によってレイプされた。フツ族の女性はツチ族の遺体に群がりアクセサリーや衣類を略奪した。
小さな子供たちも国連軍が助けに来てくれることを信じていた。
だけど国際社会もこの事実に目をつむった。ようやく国連が動き出した時にはもう取り返しのつかない数の犠牲者が出ていた。
虐殺が始まって100日後、ツチ族を中心とする反政府勢力、ルワンダ愛国戦線によってこの虐殺は終焉を迎えた。
ナチスによるユダヤ人迫害やポルポトによる虐殺よりも高い死亡率を誇るルワンダ虐殺。
こういった場所に行くといつもいつも思うことだけど、人間はどうして歴史から学ぶことができないのか。
シリアや南スーダン、今この瞬間もこの世界のどこかで多くの命が犠牲になっているかもしれない。
私たちが知らないだけかもしれない。
地球の歴史上、あと何回くらいこの悲劇が繰り返されるのだろうか。。。
1000の丘の町と言われるキガリ。その丘の一つに、ルワンダ虐殺のメモリアルがあります。

キガリの町を見下ろしながら、多くの犠牲者が眠っています。


悲劇からわずが22年。まるでそんな悲劇なんてなかったかのように、ルワンダの町には笑顔と優しさがあふれています。
そしてこれまでのアフリカの国違って町に秩序があり、とても清潔です。
ゴミひとつ落ちていない。
ルワンダに入国する際に、持っているビニール袋類は全て没収されます。
だけど旅人、何かと液体類も多くビニール袋なしは正直不可能。ウインドブレーカーの袋の仲に隠して持ち込みました。
もちろんルワンダ国内では一切廃棄していません。
そして月に一度、国民総出でゴミ拾いをする日があるそうです。その日は学校も仕事もお休みなのだとか。
外国人だからとぼったくられることは一切ない。すべて国民と同じ値段です。
国民の足はバイクタクシー。1回500フラン(70円程度)で乗れます。
でもたまに400フランで連れて行ってくれるドライバーがいます。いつも通り500フラン払おうとすると、”自分は400でやってるから”とちゃんとお釣りを渡してくる。
そして他の国とは違ってヘルメット着用義務があり、スカートを履いている女性もしっかりと跨って乗らないといけないなど、安全に対する意識が高い。
みんなジャンボ!って挨拶してくれる。ルワンダの国民性は日本人と似ているのだとか。
とっても勤勉でちょっぴり恥ずかしがり屋さん。でもこちらから歩み寄ると人懐っこくてどこまでも親切。
首都のキガリでも停電は日常茶飯事。それでも町は活気に満ちていてとっても明るい。
あんなに憎み合った部族同士の衝突はもはや全くなさそう。(この話はルワンダでは未だにタブーとされているらしい。)
どのようにして100万人の命が奪われるまで憎しみあった部族が和解できたのか、私はそれも疑問に思った。
町を歩いていると聞こえてきた美しい歌声。
歌声に引き寄せられて入った建物は質素な教会だった。
賛美歌の練習中だったようだけど、私たちが入ったタイミングで練習おわちゃったみたい。
でも、私たちのために、もう2曲歌ってくれた。
その歌声が、本当に本当にパワフルでエネルギッシュで。。。
心の底までつきささるような歌声だった。後半には涙で前が見えなくなった。

まさにルワンダのうちに秘めた思いを聞かされたようだった。
とっても明るくて力強くて、だけどどこか憂いがある。
ルワンダ、とっても素敵な国だった。上から目線だけど、これからもっともっといい国になると思う。
いつかまた帰ってこなくちゃ。
ルワンダに、世界に、平和が続きますように。

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ルワンダと言って思い浮かぶのは、数年前に見た映画、”ホテル ルワンダ”。
音楽大好きだったんだよね。
....ホテルルワンダ。
1994年に、100日間に100万人のルワンダ人が虐殺されたと言われるルワンダ虐殺。
その混乱状態の中、1200人以上の難民を匿ったホテルを基にした実話。
実際のホテル、ホテル・ミラコリンズは改装されたものの現在も営業を続けています。
ルワンダの首都・キガリの丘の上に立つ高級ホテルのひとつです。

貧乏旅人が足を踏み入れるのがはばかられるおしゃれなホテルです。

でも中を見学させてもらえました。
おしゃれなロビー。

映画の中で、籠城が長引き飲み水がなくなってきて、プールの水を利用するシーンがあった。

中庭にはnever againのモニュメント。

キガリの街中にもいたるところにnever again のモニュメント。そしてたくさんのお花が手向けられている。

...ルワンダ虐殺
もともとルワンダには3つの部族、フツ族、ツチ族、トゥワ族がお互いを尊重しあいながら仲よく暮らしていた。
19世紀になると、ヨーロッパの列強諸国が植民地化しようと乗り込んでくる。
ヨーロッパ列強諸国は支配を容易にしようと、部族間の差異を明確にした。
そして部族間の対立をあおり、部族間が協力し支配者(ドイツ、ベルギー)に反乱することがないように仕向けた。
3つの部族で一番優位に位置つけたツチ族によってフツ族を支配する。
ツチ族も列強諸国の支配者によって管理されているので、フツ族を管理することができないツチ族はヨーロッパ人によって罰せられる。こうして列強諸国に対する憎悪は同胞に向けられていく。
第1次世界大戦後からルワンダを支配していたベルギーはIDカードを導入し、民族の区別をさらに拡大した。
その後1962年にルワンダはベルギーから独立するが、列強によって創り上げられた民族間格差と差別、フツ族のツチ族に対する優越感への嫉妬や憎悪は消えるところか膨大していく。
1994年4月、フツ族の大統領が暗殺される。もちろん犯人は分からない。
”犯人はツチ族だ、皆殺しにしろ!”
そんなラジオ放送が流されると同時に人々は手に武器を取り、次々と隣人や仲間を虐殺し始める。
ツチ族のIDを持っているだけで殺される。子供の前で両親を殺す。両親の前で子供を殺す。女性たちはHIV保持者によってレイプされた。フツ族の女性はツチ族の遺体に群がりアクセサリーや衣類を略奪した。
小さな子供たちも国連軍が助けに来てくれることを信じていた。
だけど国際社会もこの事実に目をつむった。ようやく国連が動き出した時にはもう取り返しのつかない数の犠牲者が出ていた。
虐殺が始まって100日後、ツチ族を中心とする反政府勢力、ルワンダ愛国戦線によってこの虐殺は終焉を迎えた。
ナチスによるユダヤ人迫害やポルポトによる虐殺よりも高い死亡率を誇るルワンダ虐殺。
こういった場所に行くといつもいつも思うことだけど、人間はどうして歴史から学ぶことができないのか。
シリアや南スーダン、今この瞬間もこの世界のどこかで多くの命が犠牲になっているかもしれない。
私たちが知らないだけかもしれない。
地球の歴史上、あと何回くらいこの悲劇が繰り返されるのだろうか。。。
1000の丘の町と言われるキガリ。その丘の一つに、ルワンダ虐殺のメモリアルがあります。

キガリの町を見下ろしながら、多くの犠牲者が眠っています。


悲劇からわずが22年。まるでそんな悲劇なんてなかったかのように、ルワンダの町には笑顔と優しさがあふれています。
そしてこれまでのアフリカの国違って町に秩序があり、とても清潔です。
ゴミひとつ落ちていない。
ルワンダに入国する際に、持っているビニール袋類は全て没収されます。
だけど旅人、何かと液体類も多くビニール袋なしは正直不可能。ウインドブレーカーの袋の仲に隠して持ち込みました。
もちろんルワンダ国内では一切廃棄していません。
そして月に一度、国民総出でゴミ拾いをする日があるそうです。その日は学校も仕事もお休みなのだとか。
外国人だからとぼったくられることは一切ない。すべて国民と同じ値段です。
国民の足はバイクタクシー。1回500フラン(70円程度)で乗れます。
でもたまに400フランで連れて行ってくれるドライバーがいます。いつも通り500フラン払おうとすると、”自分は400でやってるから”とちゃんとお釣りを渡してくる。
そして他の国とは違ってヘルメット着用義務があり、スカートを履いている女性もしっかりと跨って乗らないといけないなど、安全に対する意識が高い。
みんなジャンボ!って挨拶してくれる。ルワンダの国民性は日本人と似ているのだとか。
とっても勤勉でちょっぴり恥ずかしがり屋さん。でもこちらから歩み寄ると人懐っこくてどこまでも親切。
首都のキガリでも停電は日常茶飯事。それでも町は活気に満ちていてとっても明るい。
あんなに憎み合った部族同士の衝突はもはや全くなさそう。(この話はルワンダでは未だにタブーとされているらしい。)
どのようにして100万人の命が奪われるまで憎しみあった部族が和解できたのか、私はそれも疑問に思った。
町を歩いていると聞こえてきた美しい歌声。
歌声に引き寄せられて入った建物は質素な教会だった。
賛美歌の練習中だったようだけど、私たちが入ったタイミングで練習おわちゃったみたい。
でも、私たちのために、もう2曲歌ってくれた。
その歌声が、本当に本当にパワフルでエネルギッシュで。。。
心の底までつきささるような歌声だった。後半には涙で前が見えなくなった。

まさにルワンダのうちに秘めた思いを聞かされたようだった。
とっても明るくて力強くて、だけどどこか憂いがある。
ルワンダ、とっても素敵な国だった。上から目線だけど、これからもっともっといい国になると思う。
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