<42カ国目;トルコ>この旅で初めて別れがつらくて泣いた
- 2016/04/20
- 01:40
現在、エジプト・カイロ。
スータンビザを取得してきました!!
今度こそ本当にアフリカ南下を開始します。当初の予定より遅れること3ヶ月、、、こうなるべくしてなっている私の旅。後悔も焦りもありません。

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応援よろしくお願いします。
カッパドキアといえば、もう一つ、気球が有名。
気球自体はスリランカのシーギリアで乗ったことがあった。
高いしすごく迷ったけど、宿のおじさん、オスマンさんがおすすめしてくれたので、参加することにした。
しかし、その日は雪で中止になってしまった。
翌日、気合を入れ直し5時起き。
オスマンさんはわざわざ5時過ぎに起きて、出発前にコーヒーを淹れてくれた。
そして寒いからこれしていきなさい、と、ストールをくれた。
オスマンさん、、、本当にいい人すぎる、、、、
まだ暗いうちからたくさんのバルーンが膨らまされていく。


あいにく曇り空で朝日を見ることができなかったけど、上がり始めるとびっくり。

カッパドキアの絶景はもちろんだけど、それ以上に私を感動させたのは、無数をカラフルなバルーン達。
シーギリアの時は、こんなにたくさんの数は飛んでいなかった。


前日降った雪がちょっぴり残っていて薄っすら雪化粧のカッパドキア。

本当に感動。カッパドキア来てよかった~!!
1時間の空の旅を終え、宿に帰ると、オスマンさんが朝食を用意して待っていてくれた。
本当に絶妙なタイミングで目玉焼きを作っていてくれた。
カッパドキアでもう一つやってみたかったこと。それは洞窟ホテルに泊まること。
カッパドキアの奇岩をくり抜き、宿泊施設にしているところが沢山ある。
もちろん値段はピンからキリまで。私が泊まりたいのはドミトリータイプの安いもの。
残念ながら、私が泊まっていたPelin Pensionには洞窟のお部屋は改修中で泊まれなかった。
オスマンさんに洞窟ホテルに泊まりたいと言ったら、知り合いの施設を当たってくれた。
荷物をPelin pensionに置かせてもらい、洗面用具だけもって1日だけ外泊。
念願の洞窟ホステルはこんな感じ。

ただ、機密性が高くて、湿度が高い。ちょっぴりカビくさい。
窓がないから日中でも暗い。。。うん、1泊でいいかなって感じ。
こちらの10人ほど収容できるドミトリーにも結局私と住み込みの韓国人のスタッフしかいなかった。
朝帰って来たら、一緒に朝ごはん食べようね、って言ってくれたオスマンさん。
でも実は洞窟ホステルも朝食込みだった。。。宿泊客が私しかいないなか、わざわざ作ってくれたのは一目瞭然。
どちらにも申し訳なくて、頑張って両方いただきました。
ここでちょっと悲しい出来事が。
オスマンさんからもらったストールを洞窟ホステルに忘れてきてしまった。Pelin pensionから遠くないので急いで取りに戻るとなんと、韓国人スタッフが持って行ってしまったという。
いつ帰ってくるか聞くと、なんと3週間韓国に一時帰国したという。。。。
確かに、旅人の忘れ物って、ほとんどの場合、取りに戻ってくることなんてないのだとおもう。
だけど、せめて数日間保管して欲しかった。
せっかくオスマンさんにいただいたのに。オスマンさんにごめんなさいをした。
本当に何から何まで面倒を見てくれるオスマンさん。
毎食毎食自分達が食べるご飯と一緒に私の分も作ってくれる。

とある日、お礼にビールを買って持って行った。オスマンさんはビールが大好き。
オスマンさんは英語はそこまでできる方ではないけど、一緒にビールを飲みながらおしゃべり。
そしたらなんと、実家に招待してくれた。オスマンさんのお母さんの畑を見せてもらって、

オスマンさんが将来ホテルを開業しようとしている予定地にも連れて行ってくれた。
ハネムーンは無料で泊めてくれるって!!

どんどん仲良くなっちゃって、どんどん旅立ちがつらくなる。
だけど、いつまでもここに留まっているわけにはいかない、、、。
最後の夕食は私美味しくってばくばく食べていたポテトサラダを用意してくれた。
作り方を教えて欲しいって言っていたから私が帰ってくるのを待っていてくれて、一緒に作った。
(といっても食材はすべて切ってあって、味付けだけ一緒にした感じ。)

別れの朝・・・・
お客さんは私だけ。早朝のバスで旅立つ私のためにいつもより早く朝食を用意してくれる。
キーホルダーやマグネット、友達にあげてと沢山手渡してくれた。
まるでホームステイをしているかのような日々だった。
朝ごはんを食べながら涙が流れてきて止まらない。
うまくいえないけど、両親のように面倒を見てくれた。5日間にオスマンさんが私にしてくれたことを振り返ると、さらに涙が止まらなくなった。そして、ストールの件は本当に申し訳なくなった。
いつかまた帰ってくるよ。
その時は宿代タダにしてね。笑
またいつか、この大好きなカッパドキアに戻ってこれますように。


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カッパドキアといえば、もう一つ、気球が有名。
気球自体はスリランカのシーギリアで乗ったことがあった。
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しかし、その日は雪で中止になってしまった。
翌日、気合を入れ直し5時起き。
オスマンさんはわざわざ5時過ぎに起きて、出発前にコーヒーを淹れてくれた。
そして寒いからこれしていきなさい、と、ストールをくれた。
オスマンさん、、、本当にいい人すぎる、、、、
まだ暗いうちからたくさんのバルーンが膨らまされていく。


あいにく曇り空で朝日を見ることができなかったけど、上がり始めるとびっくり。

カッパドキアの絶景はもちろんだけど、それ以上に私を感動させたのは、無数をカラフルなバルーン達。
シーギリアの時は、こんなにたくさんの数は飛んでいなかった。


前日降った雪がちょっぴり残っていて薄っすら雪化粧のカッパドキア。

本当に感動。カッパドキア来てよかった~!!
1時間の空の旅を終え、宿に帰ると、オスマンさんが朝食を用意して待っていてくれた。
本当に絶妙なタイミングで目玉焼きを作っていてくれた。
カッパドキアでもう一つやってみたかったこと。それは洞窟ホテルに泊まること。
カッパドキアの奇岩をくり抜き、宿泊施設にしているところが沢山ある。
もちろん値段はピンからキリまで。私が泊まりたいのはドミトリータイプの安いもの。
残念ながら、私が泊まっていたPelin Pensionには洞窟のお部屋は改修中で泊まれなかった。
オスマンさんに洞窟ホテルに泊まりたいと言ったら、知り合いの施設を当たってくれた。
荷物をPelin pensionに置かせてもらい、洗面用具だけもって1日だけ外泊。
念願の洞窟ホステルはこんな感じ。

ただ、機密性が高くて、湿度が高い。ちょっぴりカビくさい。
窓がないから日中でも暗い。。。うん、1泊でいいかなって感じ。
こちらの10人ほど収容できるドミトリーにも結局私と住み込みの韓国人のスタッフしかいなかった。
朝帰って来たら、一緒に朝ごはん食べようね、って言ってくれたオスマンさん。
でも実は洞窟ホステルも朝食込みだった。。。宿泊客が私しかいないなか、わざわざ作ってくれたのは一目瞭然。
どちらにも申し訳なくて、頑張って両方いただきました。
ここでちょっと悲しい出来事が。
オスマンさんからもらったストールを洞窟ホステルに忘れてきてしまった。Pelin pensionから遠くないので急いで取りに戻るとなんと、韓国人スタッフが持って行ってしまったという。
いつ帰ってくるか聞くと、なんと3週間韓国に一時帰国したという。。。。
確かに、旅人の忘れ物って、ほとんどの場合、取りに戻ってくることなんてないのだとおもう。
だけど、せめて数日間保管して欲しかった。
せっかくオスマンさんにいただいたのに。オスマンさんにごめんなさいをした。
本当に何から何まで面倒を見てくれるオスマンさん。
毎食毎食自分達が食べるご飯と一緒に私の分も作ってくれる。

とある日、お礼にビールを買って持って行った。オスマンさんはビールが大好き。
オスマンさんは英語はそこまでできる方ではないけど、一緒にビールを飲みながらおしゃべり。
そしたらなんと、実家に招待してくれた。オスマンさんのお母さんの畑を見せてもらって、

オスマンさんが将来ホテルを開業しようとしている予定地にも連れて行ってくれた。
ハネムーンは無料で泊めてくれるって!!

どんどん仲良くなっちゃって、どんどん旅立ちがつらくなる。
だけど、いつまでもここに留まっているわけにはいかない、、、。
最後の夕食は私美味しくってばくばく食べていたポテトサラダを用意してくれた。
作り方を教えて欲しいって言っていたから私が帰ってくるのを待っていてくれて、一緒に作った。
(といっても食材はすべて切ってあって、味付けだけ一緒にした感じ。)

別れの朝・・・・
お客さんは私だけ。早朝のバスで旅立つ私のためにいつもより早く朝食を用意してくれる。
キーホルダーやマグネット、友達にあげてと沢山手渡してくれた。
まるでホームステイをしているかのような日々だった。
朝ごはんを食べながら涙が流れてきて止まらない。
うまくいえないけど、両親のように面倒を見てくれた。5日間にオスマンさんが私にしてくれたことを振り返ると、さらに涙が止まらなくなった。そして、ストールの件は本当に申し訳なくなった。
いつかまた帰ってくるよ。
その時は宿代タダにしてね。笑
またいつか、この大好きなカッパドキアに戻ってこれますように。


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