<42カ国目;トルコ>失望させないで、カッパドキア!!
- 2016/04/16
- 22:34
お久しぶりです。
現在、エジプト・ダハブ。
またもや沈没中。これは、、、2度あることは3度あるかも!!

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応援よろしくお願いします。
がっかりしょんぼりのパムッカレからカッパドキアへ夜行バスで移動。
カッパドキアの宿は、イスタンブールで知り合った日本人から紹介していただいた、Pein Pensionへ。
この宿は、次回詳しく書くつもりですが、この旅の中でも1、2を争う神宿です。
早朝に到着し、宿に向かって歩いていると、オーナーのおじさんが大きい通りまで出てきて待っていてくれた。そして、着くなり朝食を振舞ってもらった。(ちなみに予約はしていたけど、到着時間なんて伝えていません。)
そんなカッパドキアでもやはりドミトリーは貸切状態。誰か一緒に見て回る友達ができたらいいのに。。。
カッパドキアの見所1つ1つは離れていて車で回るのが効率的。(中には歩いて回っている人もいたけど。)
入場料や交通費を考えるとツアーに参加したほうがお得とのこと。
ということでツアーで見て回る。一人で回っていたら、インド人の5人組が”一緒に回ろうよ!!”って誘ってくれた。久しぶりに使ったヒンディー語のありがどう、”ドンニャバッド”。
まずは地下都市へ。

カッパドキアの歴史は紀元前15世紀まで遡る。古代オリエント、ヒッタイトの中心地として栄えたのち、
4世紀頃からローマ帝国の迫害を受けたキリスト教徒達がやってきて、地下に巨大な都市を築いた。

礼拝堂だったとされている空間の壁には十字架らしきものが掘られている。
驚くべきはこの地下空間、一時的な避難シェルターではなく、おそらく人々が恒久的に生活していたと考えられているとこと。
キッチンやリビングルームとされるところも残っている。
深いところでは地下10階近くまでの層をなしているのだとか。
ベトナムのクチトンネルもそうだったけど、侵入者を防ぐため様々なトラップが仕掛けられている。
トイレは衛生面も考慮して最上階にあったのだとか。やはり匂いで地下都市の存在に気付かれてしまう。
トイレの周りにはあえて穴の中におびき寄せるトラップを仕掛けたのだとか。
地下都市に暮らしている人は、敵を地下におびき寄せて戦ったほうが有利だから。

10万人近い人が暮らせるほとの広さがあるのだとか。
地下都市の後は地上の奇岩を見て回る。

岩にくりぬいてある小さな箱は鳩の巣。カッパドキアの岩は脆くてざらざらで、直接装飾を施すのは難しいらしい。
そのため、鳩の糞から漆喰を作りそれを塗ってから絵を描く。

洞窟に残された教会。
注目するのは全ての絵の目が塗りつぶされていること。
迫害を受けてやってきたキリスト教徒達が作った教会は莫大な数。
それら1つ1つを壊していく労力はさすがのオスマン帝国にもなかったみたい。
目を潰すと、その絵には魂が宿らなくなってしまう。

どこの国に行っても思うけど、宗教って一体何者なんだろう。

宇宙人が住んでそう。
宿に帰るとイラン人の旅人グループが。この日は一緒に宿でバーベキューをして、お酒を一緒にいただいた。
イランって、なんとなく人々が厳格なイメージがあった。
ところが、お酒もガブガブ飲むし、男女入り混じってダンスも踊る。女性も髪の毛を隠していない。
(もちろん、イラン国内では女性はストール義務だし、アルコールも禁じられています。)
とても気さくで話しやすい。

”イランにきたらうちに泊まってね。” イランに行かなきゃいけない理由ができた。
翌日は彼らのレンタカーに便乗してカッパドキアを観光。見所いっぱいありすぎる。
時間がおっとり流れる静かな街。いくられもいられる気がした。

それにしても、どうしたらこんな変な形の岩ができるのだろう。

エリンギ。

集団行動苦手なオイラだけど、旅は仲間がいたほうが楽しいね。
(写真掲載許可とってなくて出せませんm(_ _ )m)
この日の夜も一緒に晩御飯。トルコの伝統舞踊を見に行った。

ずーーっとくるくる回り続けているお姉さん。目回らないのかな?
このあと、舞台に乱入する人民御一行様ありけり。みっともないね。

ベリーダンスも初めて見ちゃった!!
楽しい時間を共有しました。次はイランで会いましょう!!

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このパンはお気に召さないようだ。
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カッパドキアの宿は、イスタンブールで知り合った日本人から紹介していただいた、Pein Pensionへ。
この宿は、次回詳しく書くつもりですが、この旅の中でも1、2を争う神宿です。
早朝に到着し、宿に向かって歩いていると、オーナーのおじさんが大きい通りまで出てきて待っていてくれた。そして、着くなり朝食を振舞ってもらった。(ちなみに予約はしていたけど、到着時間なんて伝えていません。)
そんなカッパドキアでもやはりドミトリーは貸切状態。誰か一緒に見て回る友達ができたらいいのに。。。
カッパドキアの見所1つ1つは離れていて車で回るのが効率的。(中には歩いて回っている人もいたけど。)
入場料や交通費を考えるとツアーに参加したほうがお得とのこと。
ということでツアーで見て回る。一人で回っていたら、インド人の5人組が”一緒に回ろうよ!!”って誘ってくれた。久しぶりに使ったヒンディー語のありがどう、”ドンニャバッド”。
まずは地下都市へ。

カッパドキアの歴史は紀元前15世紀まで遡る。古代オリエント、ヒッタイトの中心地として栄えたのち、
4世紀頃からローマ帝国の迫害を受けたキリスト教徒達がやってきて、地下に巨大な都市を築いた。

礼拝堂だったとされている空間の壁には十字架らしきものが掘られている。
驚くべきはこの地下空間、一時的な避難シェルターではなく、おそらく人々が恒久的に生活していたと考えられているとこと。
キッチンやリビングルームとされるところも残っている。
深いところでは地下10階近くまでの層をなしているのだとか。
ベトナムのクチトンネルもそうだったけど、侵入者を防ぐため様々なトラップが仕掛けられている。
トイレは衛生面も考慮して最上階にあったのだとか。やはり匂いで地下都市の存在に気付かれてしまう。
トイレの周りにはあえて穴の中におびき寄せるトラップを仕掛けたのだとか。
地下都市に暮らしている人は、敵を地下におびき寄せて戦ったほうが有利だから。

10万人近い人が暮らせるほとの広さがあるのだとか。
地下都市の後は地上の奇岩を見て回る。

岩にくりぬいてある小さな箱は鳩の巣。カッパドキアの岩は脆くてざらざらで、直接装飾を施すのは難しいらしい。
そのため、鳩の糞から漆喰を作りそれを塗ってから絵を描く。

洞窟に残された教会。
注目するのは全ての絵の目が塗りつぶされていること。
迫害を受けてやってきたキリスト教徒達が作った教会は莫大な数。
それら1つ1つを壊していく労力はさすがのオスマン帝国にもなかったみたい。
目を潰すと、その絵には魂が宿らなくなってしまう。

どこの国に行っても思うけど、宗教って一体何者なんだろう。

宇宙人が住んでそう。
宿に帰るとイラン人の旅人グループが。この日は一緒に宿でバーベキューをして、お酒を一緒にいただいた。
イランって、なんとなく人々が厳格なイメージがあった。
ところが、お酒もガブガブ飲むし、男女入り混じってダンスも踊る。女性も髪の毛を隠していない。
(もちろん、イラン国内では女性はストール義務だし、アルコールも禁じられています。)
とても気さくで話しやすい。

”イランにきたらうちに泊まってね。” イランに行かなきゃいけない理由ができた。
翌日は彼らのレンタカーに便乗してカッパドキアを観光。見所いっぱいありすぎる。
時間がおっとり流れる静かな街。いくられもいられる気がした。

それにしても、どうしたらこんな変な形の岩ができるのだろう。

エリンギ。

集団行動苦手なオイラだけど、旅は仲間がいたほうが楽しいね。
(写真掲載許可とってなくて出せませんm(_ _ )m)
この日の夜も一緒に晩御飯。トルコの伝統舞踊を見に行った。

ずーーっとくるくる回り続けているお姉さん。目回らないのかな?
このあと、舞台に乱入する人民御一行様ありけり。みっともないね。

ベリーダンスも初めて見ちゃった!!
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