<40カ国目;イスラエル>写真少ない長文ですが、真面目な歴史のお話
- 2016/03/25
- 03:36
現在、トルコ・イスタンブール。
ハマムに行ってきたよ!!これ、この旅でやりたいこと100個のうちの一つ。めっちゃ気持ちいい!!トルコにいるうちにもう1回行く!!

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エルサレムの街を歩く。
エルサレムの旧市街は城壁に囲まれている。この城壁は1500年代、オスマン帝国の支配時代に作られたもの。
嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会、3大宗教の聖地が全てこの城壁の中にある。
城壁の出入りは現在開いている7つの門から。
そのうちの1、つダマスカス門。上からイスラエル兵が常にこちらに銃口を向けている。
はっきり言ってやりすぎじゃないかって思う。

もちろん、各宗教の聖地付近はその宗教の色が出てくるけど、基本的にはオスマン帝国時代に築かれたのもあってか、城壁の中はアラブ半島の国々でよく見かけた作りに似ている。
小さな路地にいくつもお店が並んでいるスーク(市場)のよう。
お店の店員さんも、普通に歩いている人も、店員さんの客引きのしつこさも、セクハラっぽいところもまさにムスリムといった感じ。


小さな路地を歩くのは楽しい。ストリードフードも美味しそうだけど、びっくりするほど高い(>_<)。
イスラエルはユダヤ人の国だっていうイメージがあったからそのギャップにちょっと驚いた。
このギャップもこの国の歴史を知っていたらもっと別の見方をしただろうに、、、。
何にも知らなかったから、だたのギャップにしか感じなかった。
私はまたもや何も知らずにこの地にやってきたのだが、そのことを激しく後悔。
イブラヒムさんはイスラム教徒。オリーブ山という、旧市街からバスで15分ほど行ったところに住んでいます。
あまり長時間話す時間は残念ながらなかったけれど、イブラヒムさんは冗談を交えながら壁に貼ってある新聞記事や写真を見ながら色々お話してくれました。
イブラヒムさんの先祖は代々250(450だったかな?、、、)年以上このオリーブ山に住んでいて、イブラヒムさんもこの家で生まれたそうです。
でも、イブラヒムさんは今、この地に住むために毎月2000ドルを支払っているそうです。
イブラヒムさんの家は屋上部分に増築しようとした形跡があったけど、無許可で増築したと罰金刑になったそうです。
イブラヒムさんがイスラエルで生まれたけど、パスポートを持っていないと言います。
だけど、平和活動家としていろいろな国に行き、演説をしているそうです。
今年は日本に行き、安倍総理とお寿司を食べるそうです。笑
恥ずかしながら、イブラヒムさんとおしゃべりしている時、私はこの国のことを何も理解していなかった。
何がどうなっていて、テロが多いのか、危険な国だと言われるのか。
なぜイブラヒムさんがこういった活動をしているのか。
イブラヒムさんがおうちに帰ってから(イブラヒムさんは旅人が泊まる建物とは別に住んでいるそうです。)
自分なりに勉強した。
イスラエルの歴史はとっても複雑。かなり端折ってまとめると、、、
(私なりに解釈したところもあるので、ちょっぴり間違ってたりもするかも、、、)
紀元前11世紀にはユダヤ人のダビデ王やソロモン王が台頭して国家が成立していた。
その後新バビロニアやローマ帝国などに攻め込まれ、ユダヤ人は世界に散らばって行きます。
その後、この地にキリストが生まれ、、、
7世紀にイスラム帝国に攻め込まれイスラム教徒がやってきて、、、
11世紀にキリスト教徒が十字軍を遠征させ聖地奪還を試みたり、、、
16世紀にはオスマン帝国に支配されるようになり、、、
このオスマン帝国が支配することにより争いの歴史に終止符が打たれ、ムスリムの国となります。
そして約400年ほどその栄華は続きました。
しかし、その後世界各国に散ったユダヤ人たちが各国で迫害を受け、この地に戻ってきます。
オスマン帝国時代からこの地に住んでいたムスリムと帰ってきたユダヤ人の関係は悪化します。
その仲介に入ったのはイギリス。ムスリムに対し、イギリス軍に協力するならムスリム国家成立に協力する(フサイン・マクマホン協定)と約束した裏でユダヤ人にもイギリス軍に協力するならユダヤ人国家成立に協力する(バルフォア宣言)と約束します。
イギリスはパレスチナを委任統治領とします。
そこにナチスドイツの迫害にあったユダヤ人の流入が加速します。
収拾をつけられなくなったイギリスはこの問題を国連に委ねます。そこでの決定もパレスチナ分割案。
そしてアメリカなどの思惑もあり、ユダヤ人有利に事が運ぶ。
そんな国連分割案に沿って1948年にイスラエル国が成立。
そんな決定に近隣ムスリム国が黙っちゃいない。イスラエルに攻め込み、第1次中東戦争勃発。アメリカを味方につけたイスラエルが勝利し、国連分割案ではパレスチナ領であったところまでイスラエルが持って行く。その時にエジプトとヨルダンが攻め込んだのが現在のパレスチナ自治区にあたる地域で、その後しばらく。ガザ地区はエジプトの、ヨルダン西岸地区はヨルダン側の占領下に置かれる。
でも結局イスラエルの占領下になる。
パレスチナ側の抵抗運動の末、1993年にパレスチナ暫定自治協定が結ばれる。
その後パレスチナ自治区からはイスラエル軍、ユダヤ人は撤退することとなるが、現在ヨルダン西岸地区ではユダヤ人人口は増えている。ユダヤ人(イスラエル人)がパレスチナ側に入植しているのである。
そして、それだけではなく、、、
なんと2002年ころから、テロリストの侵入を防ぐ防護壁という名目で高い壁を建設し始めた。
その壁は国連で決めた境界線を大きくパレスチナ側に食い込む形でそびえ立っている。

次回、レポートしますが、
私はパレスチナ側でその壁を見ることになる。
呆れて言葉がない。
私たちには理解できない歴史や苦悩、民族背景などがあるにせよ、
この壁を築いたのは、そう遠くない昔に壁の中に追いやられた人たち。。。

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エルサレムの街を歩く。
エルサレムの旧市街は城壁に囲まれている。この城壁は1500年代、オスマン帝国の支配時代に作られたもの。
嘆きの壁、岩のドーム、聖墳墓教会、3大宗教の聖地が全てこの城壁の中にある。
城壁の出入りは現在開いている7つの門から。
そのうちの1、つダマスカス門。上からイスラエル兵が常にこちらに銃口を向けている。
はっきり言ってやりすぎじゃないかって思う。

もちろん、各宗教の聖地付近はその宗教の色が出てくるけど、基本的にはオスマン帝国時代に築かれたのもあってか、城壁の中はアラブ半島の国々でよく見かけた作りに似ている。
小さな路地にいくつもお店が並んでいるスーク(市場)のよう。
お店の店員さんも、普通に歩いている人も、店員さんの客引きのしつこさも、セクハラっぽいところもまさにムスリムといった感じ。


小さな路地を歩くのは楽しい。ストリードフードも美味しそうだけど、びっくりするほど高い(>_<)。
イスラエルはユダヤ人の国だっていうイメージがあったからそのギャップにちょっと驚いた。
このギャップもこの国の歴史を知っていたらもっと別の見方をしただろうに、、、。
何にも知らなかったから、だたのギャップにしか感じなかった。
私はまたもや何も知らずにこの地にやってきたのだが、そのことを激しく後悔。
イブラヒムさんはイスラム教徒。オリーブ山という、旧市街からバスで15分ほど行ったところに住んでいます。
あまり長時間話す時間は残念ながらなかったけれど、イブラヒムさんは冗談を交えながら壁に貼ってある新聞記事や写真を見ながら色々お話してくれました。
イブラヒムさんの先祖は代々250(450だったかな?、、、)年以上このオリーブ山に住んでいて、イブラヒムさんもこの家で生まれたそうです。
でも、イブラヒムさんは今、この地に住むために毎月2000ドルを支払っているそうです。
イブラヒムさんの家は屋上部分に増築しようとした形跡があったけど、無許可で増築したと罰金刑になったそうです。
イブラヒムさんがイスラエルで生まれたけど、パスポートを持っていないと言います。
だけど、平和活動家としていろいろな国に行き、演説をしているそうです。
今年は日本に行き、安倍総理とお寿司を食べるそうです。笑
恥ずかしながら、イブラヒムさんとおしゃべりしている時、私はこの国のことを何も理解していなかった。
何がどうなっていて、テロが多いのか、危険な国だと言われるのか。
なぜイブラヒムさんがこういった活動をしているのか。
イブラヒムさんがおうちに帰ってから(イブラヒムさんは旅人が泊まる建物とは別に住んでいるそうです。)
自分なりに勉強した。
イスラエルの歴史はとっても複雑。かなり端折ってまとめると、、、
(私なりに解釈したところもあるので、ちょっぴり間違ってたりもするかも、、、)
紀元前11世紀にはユダヤ人のダビデ王やソロモン王が台頭して国家が成立していた。
その後新バビロニアやローマ帝国などに攻め込まれ、ユダヤ人は世界に散らばって行きます。
その後、この地にキリストが生まれ、、、
7世紀にイスラム帝国に攻め込まれイスラム教徒がやってきて、、、
11世紀にキリスト教徒が十字軍を遠征させ聖地奪還を試みたり、、、
16世紀にはオスマン帝国に支配されるようになり、、、
このオスマン帝国が支配することにより争いの歴史に終止符が打たれ、ムスリムの国となります。
そして約400年ほどその栄華は続きました。
しかし、その後世界各国に散ったユダヤ人たちが各国で迫害を受け、この地に戻ってきます。
オスマン帝国時代からこの地に住んでいたムスリムと帰ってきたユダヤ人の関係は悪化します。
その仲介に入ったのはイギリス。ムスリムに対し、イギリス軍に協力するならムスリム国家成立に協力する(フサイン・マクマホン協定)と約束した裏でユダヤ人にもイギリス軍に協力するならユダヤ人国家成立に協力する(バルフォア宣言)と約束します。
イギリスはパレスチナを委任統治領とします。
そこにナチスドイツの迫害にあったユダヤ人の流入が加速します。
収拾をつけられなくなったイギリスはこの問題を国連に委ねます。そこでの決定もパレスチナ分割案。
そしてアメリカなどの思惑もあり、ユダヤ人有利に事が運ぶ。
そんな国連分割案に沿って1948年にイスラエル国が成立。
そんな決定に近隣ムスリム国が黙っちゃいない。イスラエルに攻め込み、第1次中東戦争勃発。アメリカを味方につけたイスラエルが勝利し、国連分割案ではパレスチナ領であったところまでイスラエルが持って行く。その時にエジプトとヨルダンが攻め込んだのが現在のパレスチナ自治区にあたる地域で、その後しばらく。ガザ地区はエジプトの、ヨルダン西岸地区はヨルダン側の占領下に置かれる。
でも結局イスラエルの占領下になる。
パレスチナ側の抵抗運動の末、1993年にパレスチナ暫定自治協定が結ばれる。
その後パレスチナ自治区からはイスラエル軍、ユダヤ人は撤退することとなるが、現在ヨルダン西岸地区ではユダヤ人人口は増えている。ユダヤ人(イスラエル人)がパレスチナ側に入植しているのである。
そして、それだけではなく、、、
なんと2002年ころから、テロリストの侵入を防ぐ防護壁という名目で高い壁を建設し始めた。
その壁は国連で決めた境界線を大きくパレスチナ側に食い込む形でそびえ立っている。

次回、レポートしますが、
私はパレスチナ側でその壁を見ることになる。
呆れて言葉がない。
私たちには理解できない歴史や苦悩、民族背景などがあるにせよ、
この壁を築いたのは、そう遠くない昔に壁の中に追いやられた人たち。。。

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