<29カ国目;ポーランド>言葉を失う惨劇の舞台、ビルケナウ
- 2016/01/18
- 00:30
現在、まだまだウクライナ・キエフ。
明日、オデッサという街に移動します。オデッサからは黒海を航路で渡り、トルコに入る予定です。

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第1アウシュビッツを見学。そのまま同じ日に”ビルケナウ”こと第2収容所を見学予定であった。
しかし、アウシュピッツで目の当たりにした光景があまりにも想像を絶していて、私はあの日、これ以上回ることができないと感じた。
1日休息日を挟み、改めてビルケナウに赴いた。
アウシュピッツ収容所から発着するシャトルバスで15分。第2アウシュビッツことビルケナウに到着。
こちらは第1収容所の定員が増えたため、その受け皿として造られた。
門をくぐるなり視界に入ってくるのは、こちらもみなさん一度は目にしたことのある光景。

線路の先に希望はなかった。

列車は人間を運ぶためのものではない。ただの貨物車両。

広大な敷地は東京ドーム37個分。これだけの敷地に300以上の建物が建てられ、ピーク時には90000人が収容された。まさに殺人工場。
アウシュビッツの設備ですら、私には劣悪で耐え難いもの。だが、こちらビルケナウはそれよりもさらに劣悪なのである。
見ているだけで、長期間にわたって収容するつもりが一切ないことがわかる。
つまり、ガス室送り、もしくは自ら餓死するまでの簡易的な収容所として造られている。
まず、宿舎。

3段ベッド。私が見ている時に隣で話していた英語ガイドさんの盗み聞きをした情報によると、
このベッドに6人が寝ていた。場所によっては日中でも全く日が入らない。
でもみんな3段ベッドの1番上を希望した。なぜか、、、
感染症や栄養失調で下痢が蔓延。この宿舎の中で、みな垂れ流し状態だった。
トイレを使うことが1日に2回しか許されていなかった。行きたくても宿舎は常時施錠されていた。
もし施錠されていなくても、別棟のトイレまで歩いていける者はいなかった。
だから一番上が好まれた。上から下痢が落ちてくることがないから。
そんな1日に2回しか使用が許されていないトイレはただの穴。


洗面所。お湯は出たのかな?水はきれいだったのかな?

ビルケナウの建物はそのほとんどが証拠隠滅のために破壊された。

何かの遺跡かのように煙突だけ残っている。

宿舎の壁に残された壁画。収容者がかいたのかな?
何をどうしたら、これだけ多くの人の命を奪おう、っていう発想が生まれるのか?
処刑する人も同じ人間。上からの命令があったにせよ、この事態を止めることはできなかったのだろうか。
旅友と話したこと。『もし自分にアウシュビッツの刑務官、処刑者の命が下ったらどうする』
私は答えた。『自殺する。』
でもきっと、私が死んだらきっと家族や地域の人も連帯責任で処刑されるんだろうね。
だからきっと誰もこの事態を止めることができなかった。
目の前に広がる光景にため息しか出ない。心の中は恐怖と怒りでいっぱい。
殺された人の多くは一般人。ただユダヤ人というだけで殺された。
収容所に入るまで、彼らは私たちと同じように暮らしていた。家族がいた。友達がいた。生活があった。歴史があった。

残されている収容者の収容前の写真。私たちのそれと何ら変わらない。
クラクフの宿で知り合った日本人旅人に映画、”シンドラーのリスト”を借りた。
以前見たことのある映画。アウシュビッツを訪れた後に見ると、また心に重く響く者がある。
涙が止まらない。
そしてカンボジアのキリングフィールドを訪れたことを思い出す。
どうして人は歴史から学べないのだろう、、、。
この先の未来に新しい負の遺産がこれ以上増えないことを心から願います。


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第1アウシュビッツを見学。そのまま同じ日に”ビルケナウ”こと第2収容所を見学予定であった。
しかし、アウシュピッツで目の当たりにした光景があまりにも想像を絶していて、私はあの日、これ以上回ることができないと感じた。
1日休息日を挟み、改めてビルケナウに赴いた。
アウシュピッツ収容所から発着するシャトルバスで15分。第2アウシュビッツことビルケナウに到着。
こちらは第1収容所の定員が増えたため、その受け皿として造られた。
門をくぐるなり視界に入ってくるのは、こちらもみなさん一度は目にしたことのある光景。

線路の先に希望はなかった。

列車は人間を運ぶためのものではない。ただの貨物車両。

広大な敷地は東京ドーム37個分。これだけの敷地に300以上の建物が建てられ、ピーク時には90000人が収容された。まさに殺人工場。
アウシュビッツの設備ですら、私には劣悪で耐え難いもの。だが、こちらビルケナウはそれよりもさらに劣悪なのである。
見ているだけで、長期間にわたって収容するつもりが一切ないことがわかる。
つまり、ガス室送り、もしくは自ら餓死するまでの簡易的な収容所として造られている。
まず、宿舎。

3段ベッド。私が見ている時に隣で話していた英語ガイドさんの盗み聞きをした情報によると、
このベッドに6人が寝ていた。場所によっては日中でも全く日が入らない。
でもみんな3段ベッドの1番上を希望した。なぜか、、、
感染症や栄養失調で下痢が蔓延。この宿舎の中で、みな垂れ流し状態だった。
トイレを使うことが1日に2回しか許されていなかった。行きたくても宿舎は常時施錠されていた。
もし施錠されていなくても、別棟のトイレまで歩いていける者はいなかった。
だから一番上が好まれた。上から下痢が落ちてくることがないから。
そんな1日に2回しか使用が許されていないトイレはただの穴。


洗面所。お湯は出たのかな?水はきれいだったのかな?

ビルケナウの建物はそのほとんどが証拠隠滅のために破壊された。

何かの遺跡かのように煙突だけ残っている。

宿舎の壁に残された壁画。収容者がかいたのかな?
何をどうしたら、これだけ多くの人の命を奪おう、っていう発想が生まれるのか?
処刑する人も同じ人間。上からの命令があったにせよ、この事態を止めることはできなかったのだろうか。
旅友と話したこと。『もし自分にアウシュビッツの刑務官、処刑者の命が下ったらどうする』
私は答えた。『自殺する。』
でもきっと、私が死んだらきっと家族や地域の人も連帯責任で処刑されるんだろうね。
だからきっと誰もこの事態を止めることができなかった。
目の前に広がる光景にため息しか出ない。心の中は恐怖と怒りでいっぱい。
殺された人の多くは一般人。ただユダヤ人というだけで殺された。
収容所に入るまで、彼らは私たちと同じように暮らしていた。家族がいた。友達がいた。生活があった。歴史があった。

残されている収容者の収容前の写真。私たちのそれと何ら変わらない。
クラクフの宿で知り合った日本人旅人に映画、”シンドラーのリスト”を借りた。
以前見たことのある映画。アウシュビッツを訪れた後に見ると、また心に重く響く者がある。
涙が止まらない。
そしてカンボジアのキリングフィールドを訪れたことを思い出す。
どうして人は歴史から学べないのだろう、、、。
この先の未来に新しい負の遺産がこれ以上増えないことを心から願います。


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